今日の犬の散歩は大正方面へ。また3時間コースです。
以前に「黄昏の岩崎運河橋梁」の記事で載せた岩崎運河橋梁と同じかたちですが、
こちらは木津川橋梁。JR大正駅の天王寺側にあります。
色も同じで双子のようです。

ダブルワーレントラスと呼ばれる構造で、昭和3年完成。
非常に背が高く無骨な感じもしますが、比較的細い材からなり、
繊細な感じも併せ持っています。

木津川橋梁のすぐ南側にあるのが、大浪橋。昭和12年完成。
大正区と浪速区を結ぶ橋なので大浪橋と名づけられたそうです。
ちなみに、「大正区」の名前は大正橋にちなんでつけられたということで、
橋の名前→区の名前→また橋の名前、と循環していますね。

トラス状の二重アーチによって、橋脚なしでこのスパンを支えられています。
白くてとても美しい橋です。



この場所にも渡しがあったようで、橋のたもとに「わたし 勘助島」と
書かれた石標がおかれていました。
(大正区域は豊臣時代に勘助島と呼ばれるようになったそうです)
------
追記です。この場所には「下ノ渡」と呼ばれる渡し船があったそうです。
以前に「黄昏の岩崎運河橋梁」の記事で載せた岩崎運河橋梁と同じかたちですが、
こちらは木津川橋梁。JR大正駅の天王寺側にあります。
色も同じで双子のようです。

ダブルワーレントラスと呼ばれる構造で、昭和3年完成。
非常に背が高く無骨な感じもしますが、比較的細い材からなり、
繊細な感じも併せ持っています。

木津川橋梁のすぐ南側にあるのが、大浪橋。昭和12年完成。
大正区と浪速区を結ぶ橋なので大浪橋と名づけられたそうです。
ちなみに、「大正区」の名前は大正橋にちなんでつけられたということで、
橋の名前→区の名前→また橋の名前、と循環していますね。

トラス状の二重アーチによって、橋脚なしでこのスパンを支えられています。
白くてとても美しい橋です。



この場所にも渡しがあったようで、橋のたもとに「わたし 勘助島」と
書かれた石標がおかれていました。
(大正区域は豊臣時代に勘助島と呼ばれるようになったそうです)
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追記です。この場所には「下ノ渡」と呼ばれる渡し船があったそうです。
言われないと見分けつかないですよ。
同じ人のデザインなんですかね?
あまりのソックリさに驚きました。
きっちいさんのブログを見に行ったとき
私が今日撮った写真か!?と思いましたもんね。