久々のブログは単発ものから・・・
小石川後楽園の得仁堂の床に、古い瀬戸の本業敷瓦が敷き詰められていることを、以前多治見のモザイクタイルミュージアムで
やっていた敷瓦の世界展の展示写真で知った。そして、一昨年だったか、年に1回の得仁堂内部公開日に合わせて見てきたのだが、
その直後に、同じ小石川後楽園内の九八屋に興味深い敷瓦があったことをSNSで見て、愕然としたのだった。。。
それ以来再訪する機会をうかがっていた。
いつもながら家を出るのが遅く、阿佐ヶ谷の茶嘉葉さんへ行った後に向かったので、着いたのはもう3時過ぎ。
着いたら九八屋へ直行。九八屋とは、小さな茅葺のあずまやのような建物で、内部は周囲に作り付けのベンチがあるぐらい。
もとは酒をふるまう場所だったようで、「酒を飲むには昼は九分、夜は八分にすべし」という教訓から名づけられたという。
その床に、目的の敷瓦があるのだ。戸のない入口から四半貼りされた敷瓦が見えている。おぉ、これだ!!
近寄ってみると、いちばん目につく入口の中央部に、海松文と呼ばれる模様が印刻された分厚い敷瓦が数枚嵌っている。
模様は2種類あり、印刻はとても深くくっきりしている。どちらも海藻の海松(みる)を図案化した、古い文様である。
着物やなんかのデザインでは見たことがある。いや、この模様の敷瓦もどこかで見たことがある気がするのだが・・・
記憶違いかもしれない。
一枚だけ、水玉模様のような敷瓦もあった。
じっくり見ていると、無地に見えるまわりの敷瓦もかすかに模様の痕跡があり、もとは模様が入っていたが踏まれ踏まれて
擦り切れてしまったようだ。釉薬のガラス質が剥げて素焼きのレンガのようになってしまっている。。。(涙)
九八屋には灯りがなく、中の方の陰になっている部分は真っ暗・・・そして蚊がわらわらと湧いてきた(汗)
模様が擦り切れた敷瓦以外に、もとから無地だったと見られる敷瓦や、少し新しそうな敷瓦などが混在している。
新しいものはコンクリート平板っぽく、おそらく改修時に傷んだ敷瓦を取り除き補充されたと思われる。
九八屋の改修歴について公園事務所で尋ねてみたのだが詳しい資料はなく分からないということだったが、
ネット上に公開されている「東京都における文化財庭園の保存活用計画(小石川後楽園)」という資料を見ると
1710(宝永7)年の絵図に現在の位置とほぼ同じ場所に九八屋らしき建物が描かれている。関東大震災により損傷し、
1929(昭和4)年までに修復。そして第二次大戦の空襲で焼失し、1959(昭和34)年に再建したとの記載がある。
建物の上物は焼けても基礎は残るだろう。敷瓦のあの激しい傷み方は、焼けたからではないか。
敷瓦は焼け残ったものをそのまま使っているのか知りたくて、昭和34年の再建工事の詳細記録が残っていないのかと
東京都公園建設課に問い合わせたが、ないと。。。しかし文化財なので、元からあるものはそのまま保存するのが原則との話。
小石川後楽園は1923(大正12)年に史跡及び名勝、1952(昭和27)年に特別史跡及び特別名勝に指定されている。
こちらは園内にある、西行堂跡。頼房の時代に建てられ西行法師の木像が安置されたお堂があったが、こちらも戦災で
焼失したという。基礎と敷瓦が残っており、九八屋もこれと同じような状態で焼け残ったことがイメージできる。
こちらの敷瓦は印刻がなく釉薬もかかっていない。九八屋のものより古そうに見えるが・・・
九八屋の敷瓦も少なくとも昭和34年のものには見えないし、昭和4年のものにも見えないと、私は思う。
再建時または近年の整備で、状態のよいものをよく見える入口付近に並べ、粉々になってしまった分を補填するぐらいの
ことは行われたと想像する。どちらにしても貴重なので、現在の踏み放題の状態は心配・・・保護した方がよいかも。。
そんなことを考えながら1時間ほど九八屋の付近をうろついていた。他のお客さんは入口からちょっと覗き込んでは、
敷瓦を撮る私を不審そうに見ながら出て行く(苦笑)。
4時半になるともう薄暗くて写真も厳しい。。。しかし園内であと1ヶ所見たいところがある。
薄暮の中、山道のような園路を急いで愛宕坂へ。ここにも水玉の敷瓦があると、先に見に行ったタイル友の会のメンバーから
報告を受けていたのだ(笑)。確かに、あった!!
九八屋にあったのと同じだ!やはりだいぶ厚みがありそうだな。
園路の敷石には切り石が使われているので、敷瓦とまぎわらしいのだが(苦笑)、さらにあと数枚の敷瓦があった。
西行堂跡にあったものと同じような敷瓦、そしてこれはよく見ると海松文の擦り切れた敷瓦じゃないか!!
余ったから使ったのだろうか。園内もっと探せばまだあるかもしれないな!
あぁもう閉園時間だ、出口へ急ごう。・・・しかし、もう真っ暗で道がどこにあるのか見えない。。。
出口に近いと思われる森の中の道を進みかけたが、遭難の危機を感じたので(汗)、遠回りだが来た道を戻ることに。
まだいることを気づかれずに門を閉められてしまうのでは・・・と恐ろしくなり小走りで出口へ向かった。
あぁ冬は日が短くて困る。。。
小石川後楽園の得仁堂の床に、古い瀬戸の本業敷瓦が敷き詰められていることを、以前多治見のモザイクタイルミュージアムで
やっていた敷瓦の世界展の展示写真で知った。そして、一昨年だったか、年に1回の得仁堂内部公開日に合わせて見てきたのだが、
その直後に、同じ小石川後楽園内の九八屋に興味深い敷瓦があったことをSNSで見て、愕然としたのだった。。。
それ以来再訪する機会をうかがっていた。
いつもながら家を出るのが遅く、阿佐ヶ谷の茶嘉葉さんへ行った後に向かったので、着いたのはもう3時過ぎ。
着いたら九八屋へ直行。九八屋とは、小さな茅葺のあずまやのような建物で、内部は周囲に作り付けのベンチがあるぐらい。
もとは酒をふるまう場所だったようで、「酒を飲むには昼は九分、夜は八分にすべし」という教訓から名づけられたという。
その床に、目的の敷瓦があるのだ。戸のない入口から四半貼りされた敷瓦が見えている。おぉ、これだ!!
近寄ってみると、いちばん目につく入口の中央部に、海松文と呼ばれる模様が印刻された分厚い敷瓦が数枚嵌っている。
模様は2種類あり、印刻はとても深くくっきりしている。どちらも海藻の海松(みる)を図案化した、古い文様である。
着物やなんかのデザインでは見たことがある。いや、この模様の敷瓦もどこかで見たことがある気がするのだが・・・
記憶違いかもしれない。
一枚だけ、水玉模様のような敷瓦もあった。
じっくり見ていると、無地に見えるまわりの敷瓦もかすかに模様の痕跡があり、もとは模様が入っていたが踏まれ踏まれて
擦り切れてしまったようだ。釉薬のガラス質が剥げて素焼きのレンガのようになってしまっている。。。(涙)
九八屋には灯りがなく、中の方の陰になっている部分は真っ暗・・・そして蚊がわらわらと湧いてきた(汗)
模様が擦り切れた敷瓦以外に、もとから無地だったと見られる敷瓦や、少し新しそうな敷瓦などが混在している。
新しいものはコンクリート平板っぽく、おそらく改修時に傷んだ敷瓦を取り除き補充されたと思われる。
九八屋の改修歴について公園事務所で尋ねてみたのだが詳しい資料はなく分からないということだったが、
ネット上に公開されている「東京都における文化財庭園の保存活用計画(小石川後楽園)」という資料を見ると
1710(宝永7)年の絵図に現在の位置とほぼ同じ場所に九八屋らしき建物が描かれている。関東大震災により損傷し、
1929(昭和4)年までに修復。そして第二次大戦の空襲で焼失し、1959(昭和34)年に再建したとの記載がある。
建物の上物は焼けても基礎は残るだろう。敷瓦のあの激しい傷み方は、焼けたからではないか。
敷瓦は焼け残ったものをそのまま使っているのか知りたくて、昭和34年の再建工事の詳細記録が残っていないのかと
東京都公園建設課に問い合わせたが、ないと。。。しかし文化財なので、元からあるものはそのまま保存するのが原則との話。
小石川後楽園は1923(大正12)年に史跡及び名勝、1952(昭和27)年に特別史跡及び特別名勝に指定されている。
こちらは園内にある、西行堂跡。頼房の時代に建てられ西行法師の木像が安置されたお堂があったが、こちらも戦災で
焼失したという。基礎と敷瓦が残っており、九八屋もこれと同じような状態で焼け残ったことがイメージできる。
こちらの敷瓦は印刻がなく釉薬もかかっていない。九八屋のものより古そうに見えるが・・・
九八屋の敷瓦も少なくとも昭和34年のものには見えないし、昭和4年のものにも見えないと、私は思う。
再建時または近年の整備で、状態のよいものをよく見える入口付近に並べ、粉々になってしまった分を補填するぐらいの
ことは行われたと想像する。どちらにしても貴重なので、現在の踏み放題の状態は心配・・・保護した方がよいかも。。
そんなことを考えながら1時間ほど九八屋の付近をうろついていた。他のお客さんは入口からちょっと覗き込んでは、
敷瓦を撮る私を不審そうに見ながら出て行く(苦笑)。
4時半になるともう薄暗くて写真も厳しい。。。しかし園内であと1ヶ所見たいところがある。
薄暮の中、山道のような園路を急いで愛宕坂へ。ここにも水玉の敷瓦があると、先に見に行ったタイル友の会のメンバーから
報告を受けていたのだ(笑)。確かに、あった!!
九八屋にあったのと同じだ!やはりだいぶ厚みがありそうだな。
園路の敷石には切り石が使われているので、敷瓦とまぎわらしいのだが(苦笑)、さらにあと数枚の敷瓦があった。
西行堂跡にあったものと同じような敷瓦、そしてこれはよく見ると海松文の擦り切れた敷瓦じゃないか!!
余ったから使ったのだろうか。園内もっと探せばまだあるかもしれないな!
あぁもう閉園時間だ、出口へ急ごう。・・・しかし、もう真っ暗で道がどこにあるのか見えない。。。
出口に近いと思われる森の中の道を進みかけたが、遭難の危機を感じたので(汗)、遠回りだが来た道を戻ることに。
まだいることを気づかれずに門を閉められてしまうのでは・・・と恐ろしくなり小走りで出口へ向かった。
あぁ冬は日が短くて困る。。。
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