大和田から京阪守口市へ行って文禄堤を見ることに。
文禄堤は豊臣秀吉が淀川の治水のために築いた堤で、その上に道がある。
守口市駅は降りたことがない(と思う)が、いつも電車の窓から
駅前の奇妙な橋をみていた。なんでこんなところに崖があるのか・・・と。
これが文禄堤だった。
駅の真ん前に残る、3階建ての古い商店と、堤上の道へ上る坂道。
どこか山の手の駅前にありそうな風景だが、元淀川氾濫原であった守口のような
平坦な街ではちょっと不自然な風景。
この道の外側とは2~3mの高低差があり、
おそらくこの町家の裏側も3階建てになっている。
1軒だけ洋風建築もあった。
セットバックした3階にも2階と同じ形の軒の装飾がある。
(これだけ携帯カメラ。夕暮れにはめっぽう弱い)
堤上の道を京都方面へ歩いていくと、国道1号線に出たところで堤は終わり。
また守口市駅へ引き返す。
しかしなぜ川のないところに堤があるのか、と一見不思議だが、
明治時代の淀川改修でこのあたりの淀川の流路を変更しているのである。
かつてはこの京阪守口市駅のすぐそばまで淀川が蛇行してきていたのを、
ちょうど川幅分だけ北西へおいやり、流れを緩やかにしたのだ。
大阪市旭区との境界線が旧淀川の流路を物語っている。
文禄堤は豊臣秀吉が淀川の治水のために築いた堤で、その上に道がある。
守口市駅は降りたことがない(と思う)が、いつも電車の窓から
駅前の奇妙な橋をみていた。なんでこんなところに崖があるのか・・・と。
これが文禄堤だった。
駅の真ん前に残る、3階建ての古い商店と、堤上の道へ上る坂道。
どこか山の手の駅前にありそうな風景だが、元淀川氾濫原であった守口のような
平坦な街ではちょっと不自然な風景。
この道の外側とは2~3mの高低差があり、
おそらくこの町家の裏側も3階建てになっている。
1軒だけ洋風建築もあった。
セットバックした3階にも2階と同じ形の軒の装飾がある。
(これだけ携帯カメラ。夕暮れにはめっぽう弱い)
堤上の道を京都方面へ歩いていくと、国道1号線に出たところで堤は終わり。
また守口市駅へ引き返す。
しかしなぜ川のないところに堤があるのか、と一見不思議だが、
明治時代の淀川改修でこのあたりの淀川の流路を変更しているのである。
かつてはこの京阪守口市駅のすぐそばまで淀川が蛇行してきていたのを、
ちょうど川幅分だけ北西へおいやり、流れを緩やかにしたのだ。
大阪市旭区との境界線が旧淀川の流路を物語っている。
私は守口界隈のことは全然知りませんので全てへえーっ!です。
さすがはぷにょさん、川関係は詳しいし研究熱心ですね。
敬服致します。
どのあたりでしょうか。
ぜんぜん知りませんでしたよ!
こんなブログの簡単な文章でも書くときには
本など引っ張り出したり結構時間がかかります(汗)。
仕事や遊びで通るだけの場所もちょっと踏み込んでみる、
ということを続けていたら、大阪のまちが面として
つながってくるんじゃないかな、と思っていつもうろついています。
小さなお城は各地にあったのですね。
岸和田城とか、三木城とか、尼崎城とか。。。。
守口城の場所の謎についても、ちょっと気にかけておきます。
私、変わった地形の場所や、変わった雰囲気の場所にとっても惹かれます。
文禄堤はまさにそんな場所ですよね!
ブログまだ少しですが見せていただきました。
幅広い興味をお持ちのようで、楽しいブログですね!
共通する分野もあるので(私のはほとんどシロウトですが)
これからも楽しみに見せていただきますね!
駅前に残っているのが面白いですね。
行く前は文禄堤という言葉だけ知っていて、土手があるのかなと思っていたので、街並みがあったのは意外でした。
小高い旧市街は(寺内町なども)、脇道からの眺めがよかったり、開放感があるので好きです。
というのを別々に知っていたのですが、
これがそれとは今回やっと知りました。
現在川でないところにあるのが面白いでしょう。