映画「ひろしま」横浜上映会のお手伝いをさせていただいた時に、小林一平さんがおっしゃった一言が忘れられません。
「きれいな物ばかり撮っていたいけどね」
その頃の私は、その映画「ひろしま」のチラシが衝撃的で、最初の内は人に手渡すのにも、折り曲げて渡すほどでした。
反応はさまざまで、私より若い外国の学生さんの方が「大丈夫です」
クリニックや美容院でもチラシを置いてもらえるか頼んだところ、その反応はおおまかに三段階に分かれました。
「広島や岡山の出身のお客さんが興味を示していましたよ」
「いいですよ」
「普通は大丈夫なのですが、家は美容に関するところなので・・・」など
こちらブログやフェイスブックでもきれいな花や景色の画像にはごく自然に反応があります。
場所やブログのジャンルによって違うと思いますが、一般的に戦争や難民、災害、避難民については避けられる傾向があるように思います。
ある年配の女性と話していた時に、「戦時中は食べ物が無かったということだけで、特に大変だと思ったことはない。沖縄へ行くまではそんなにひどいものとは思わなかった」と。戦時中、同じ国内に居てもそうなのですよね。
新米先生や新米ママによくあることだと思いますが、私自身、若い頃は戦争という概念を子どもに植え付けたくなく、教材カードに"war" を見つけた時に、そのカードを入れたくないと思うことがありました。実際に、warという単語を入れたところで、子どもたちはゲームの中のこととしか考えないでしょうが。
子どもにもしかり、おもちゃ屋さんでピストルを息子が見つけそうになると、それから気をそらせ、そういうものを排除しようとした時期がありました。しかし、子どもはあるものを不自然に遠ざけようとすると、余計に興味を持ってしまうという傾向もがあるのですよね。
戦争に対してもそうです。
過去に起こした罪、戦争を起こした国ならどこの国にでもある、消してしまいたい過去、しかし、消してしまうと、ある時期から何かの拍子に無かったことになったり、内容がすり替わったりすることもあるのですよね。そりゃ人それぞれ解釈は違うでしょう。歴史観も、学者の寄って違うようですし。しかし、事実はそのまま伝えるべきだと思います。
だいぶ時期がずれましたが、首相の戦後70年談話の中から、話題になった下記の箇所
朝日新聞デジタル 安倍首相の戦後70年談話全文 2015年8月14日
http://www.asahi.com/articles/ASH8G5W9YH8GUTFK00T.html
日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。(文中から抜粋)
尤もなように思えるでしょう。私だって繰り返し、「日本は悪者だった」?みたいに言われると、もういい加減、若い世代にはそんな重荷を背負わせることはないでしょう、とも思うのです。しかし、分からないままだと、人間どう転ぶか分かりません。日本だけでなく、過去の事実は明らかにし、謝罪すべきはする。若い世代は、過去に固執することがなければ、どこの国の人とも対等に付き合える素質を持っていると思います。
下記の記事もぜひご一読ください。
リテラ 2015.10.15.
女優・二階堂ふみが沖縄の平和学習、ナチスのプロパガンダ映画を通じて考えた「戦争を伝えること」とは?
http://lite-ra.com/2015/10/post-1588.html
現代ビジネス 2015年12月06日(日) 魚住 昭
「南京大虐殺」が狂わせた人生 ~日本兵が犯した「生肉の徴発」の罪はまだ消えない