ネット上で新城和博さんのお名前をお見かけようになったのはいつ頃だったでしょう。
小学校の同級生に同姓同名のしんじょうかずひろくんが居て、それに著書で話題になっていることや場所、市内のあの辺、私の高校の通学路だったところ、とくれば、もしかして同一人物?なんて思ったりもしましたが・・
ボーダーインク
電柱通りにある出版社
「復帰の年、ぼくは小学校4年生でした」とあり、全く違う人物だということが明らかになりました。
「復帰の年、私は高校1年生でした」ので。
もちろん、それ以前に別人だということは判明していました。
高校野球甲子園大会で沖縄県勢の試合がある日は、沖縄の通りを走る車が無くなるというくらい、県民の結束性は強い。新城さんの著書の中でもその県民性が随所に表れている。
沖縄から1600km 離れた関東住んでいる私も、著書に書かれている出来事はすべて把握していて、思いは同じである。
普段は沖縄タイムでも大事な日には皆さん遅れずに集まるところ。私にもしっかりそのDNAが受け継がれているみたい。まあ誰しも、他人からの指示等でやらされることと、自分から進んでやることへの意欲は違いますよね。
読んでいる内に、母と行った海洋博、計画断水のこと、食物の鮮度の違い、一週間遅れの印刷物などが思い出され、その理由はただ都心から離れた島だからと思っていたことが、実は違う意味があるということを、うかつにも本当の意味で私はつい最近まで気が付いていなかったかもしれない。
「沖縄を返せ」のシュピレヒコールはBGMのように体に刻まれているが、帰省の度に変化を遂げている故郷と、自分が関東で過ごしてきた生活に、沖縄の抱える問題を忘れてしまっていた。
でも、そうだったと、本を読みながら、あのどうしようもない やるせなさを思い出してしまった。
それは、このページに書いてあること。あー忘れもしない。2004年、沖国大に米軍ヘリが墜落し、我々沖縄県人の間では速報で伝えられた大事件。しかし、
「これは今でも語りぐさになっているが、翌日のある本土紙の一面は『巨人の渡辺恒夫オーナー辞任』だった。また当時国民に大人気の小泉純一郎総理大臣は、休暇中を理由に、この件で会見を求めた稲嶺県知事に会わなかった。」(著書から抜粋)
これ以外にも、本を読みながら自分の半生と重なりあう部分がたくさんありました。
また書き足します。