イスタンブールへ行ってきました。
ちょっとしたカルチャーショックです。
夫が「イスタンブール行くけど、一緒に行く?」と聞いたのは約ひと月前。
「行く」と即答、でもちょっと、という気持ちはありました。
私にとって、トルコと言って思い出すのは、元々は、トルコ石の色程度
集めていた時期もありました。
実際、イスタンブールで滞在したホテルのカーテン等や駅で見かけたタイルの壁画、とてもきれいな色合いで私好みのブルー系。
そして、トルコ行進曲もすぐにメロディーが出てくるほどポピュラーですよね。
それから、流浪の民も学校や合唱団で何度か歌った記憶が
https://www.youtube.com/watch?v=Z3a_1SpJ6MY
出発間際に事前学習をと、ネットで情報を集めていたら、
何やら、銃撃事件があったばかりとのこと
http://www.cnn.co.jp/world/35068684.html (CNN)
http://www2.anzen.mofa.go.jp/info/pchazardspecificinfo.asp?infocode=2015T009#ad-image-0 (外務省 海外安全ホームページ)
いくらノー天気な私でも、 気が進まなくなって、ちょうど夏休みという次男に「あなた行く?」と聞いたりして・・
まあ、直前に変更なんてできませんが。
夫の「まあ、その時はその時・・・」の言葉で決定。「今回は絶対に単独行動はやめようね」と約束。
空港からホテルへ行くバス乗り場のあたりから、モロ、この後の滞在数日の前兆は感じられました。
帰国後読んだブログにも、私が感じたのと同様なことが書かれていました。
バス停に車が駐車していて、バスが定位置に停まれない。車のクラクションがあちらこちらから聞こえる。
バスを降り、ホテルに入る直前に、靴磨きの人に夫が腕をつかまれる。
ホテルで休憩して、近くの公園に散歩に出ると
何となくオッカナイ
肩をいからせた若者が真っ直ぐに歩いてくる。人をよけようとしない。
歩きたばこが多い。
朝になり
同じ場所へ散歩に行くと、
昨晩とは、ぜんぜん雰囲気が違う。
クルージングの場所へ行くまでもいろいろありましたが、
詳しいことは次回以降に・・
これまでの旅行に比べると、かなり苦労してたどり着いた船着き場
「20分くらいで出るよ」と言っていたのに、ちっとも出発しない。
どうも、英語がきちんと通じてないみたい。
いずれにせよ、クルージングの船上は平和、peace そのものでした。
どこの都市でも見られる片手にスマホ、ペアで撮ったり、家族で撮ったり、自撮りの光景があちらこちら。
水上から見える景色も最高。それだけでも来た価値はありました。
街中から見える景色もとてもきれい。
モスクの美しさも格別。
バザールのフルーツや野菜、ショウウインドウから見えるシャンデリアやガラス細工、絨毯の色も目を引く美しさ。
しかし、戻ってから、私の胸を締め付けているものがあって、
それは、子どもたちが物売りをしていたこと。
車の通りでは、タバコを売る男の子たち
通りでは、大人の真似をして、ピアニカのようなものを吹く幼い女の子
それを怪訝な顔をして遠巻きに見る可愛いドレスを着た女の子
子ども連れで物売りをするご婦人たち
私は直視できませんでした。
いつもならサッと写真を撮るであろう場面でも、写真を撮ることなんてできません。
むやみやたらと撮ってはいけないと夫に言われたし、そういう雰囲気でもあったし、
それ以前に、被写体の尊厳を感じたからだと思います。分かりません。
これって「シランフーナー(知らんふり)の暴力」なのでしょうか?
彼らはトルコ石の原石のように思えます。
私が放っておいて、くすんでしまったトルコ石の指輪やブレスレットのようにも思えます。
磨けば輝くでしょう。
ふと、思ったことが、日本にたくさんいると言われる明日を悲観した子どもたち
私がイスタンブールの通りで見かけた物売りの子どもたちを観たら、
彼らはどう感じるのかしら?
渡航禁止の場所へ行くという過激な行動に走る若者もいましたよね。
彼らの心の内を何となく感じています。
後見人のボランティアをして、体重を10キロ近く落とした友人がいます。
福島の被災地へボランティアで行くと、一週間くらい食事がとれなくなるという友人もいました。
その生活ぶりがひどすぎると。 食事が喉を通らなくなるらしいのです。
私は旅行中、行きのフライトで飲んだワインが残ってしまったのと、
往復で映画を5~6本見るなどで、疲れは感じたものの、食欲はちっとも衰えません。
でも、イスタンブールの魔力に取りつかれたのか、人生観、ちょっと変わるかも。