2月22日は義兄の命日です。
3年前、長男の大学受験の直前に逝ってしまいました。
しかし、天晴れ長男(私の甥っ子)
見事に志望校合格、現在奨学金を頂きながら苦学生してます。
その22日、
我が新里(私の旧姓)家にとっては特別な日
と言うか、因縁の日と言ってもいいかもしれないですね。
祖父母も父も叔父も命日は22日です。
とっても不思議なのですが、
でもすごく自然なような気もします。
父も叔父も先妻と子どもたちを戦争で失いました。
みんな対馬丸に乗っていたのです。
その対馬丸が深い海の底に沈んでしまったのが8月22日
対馬丸記念館
自分の家族を失った事に関して、
父も叔父もどんなにか自分自身を責めたことでしょう。
そのことに関して、父は一度も私たちに話したことはありませんでした。
50を過ぎた今の私には、どう話してくれたのか、聞きたかったです。
母は供養の人生だったと言っても過言ではありません。
朝起きると母が居なくて、戻ってから聞くと、
小桜の塔にお掃除とお祈りに行って来たということがよくありました。
小桜の塔
叔父は教育者として、後に政治家として、その立場でお話することはあったようです。
↓の本の編者は叔父、題字は父です。
『あ 、学童疎開対馬丸』
写真は
沖縄タイムス社編
「私の戦後史 第七集」父の自伝も載ってます。
3年前、長男の大学受験の直前に逝ってしまいました。
しかし、天晴れ長男(私の甥っ子)
見事に志望校合格、現在奨学金を頂きながら苦学生してます。
その22日、
我が新里(私の旧姓)家にとっては特別な日
と言うか、因縁の日と言ってもいいかもしれないですね。
祖父母も父も叔父も命日は22日です。
とっても不思議なのですが、
でもすごく自然なような気もします。
父も叔父も先妻と子どもたちを戦争で失いました。
みんな対馬丸に乗っていたのです。
その対馬丸が深い海の底に沈んでしまったのが8月22日
対馬丸記念館
自分の家族を失った事に関して、
父も叔父もどんなにか自分自身を責めたことでしょう。
そのことに関して、父は一度も私たちに話したことはありませんでした。
50を過ぎた今の私には、どう話してくれたのか、聞きたかったです。
母は供養の人生だったと言っても過言ではありません。
朝起きると母が居なくて、戻ってから聞くと、
小桜の塔にお掃除とお祈りに行って来たということがよくありました。
小桜の塔
叔父は教育者として、後に政治家として、その立場でお話することはあったようです。
↓の本の編者は叔父、題字は父です。
『あ 、学童疎開対馬丸』
写真は
沖縄タイムス社編
「私の戦後史 第七集」父の自伝も載ってます。