琉球新報 2011年7月6日 金口木舌
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-179010-storytopic-12.html
以下、記事からの転載
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金口木舌
2011年7月6日
「危ない」っていうと「危なくない」っていう。「うるさい」っていうと「うるさくない」っていう。「新しい飛行機持ってこないで」っていうと「新しい飛行機持ってくる」っていう
▼テレビ広告でおなじみとなった金子みすゞの詩「こだまでしょうか」に触発され、こんなことを思い浮かべた。「よその飛行機連れてこないで」っていうと「よその飛行機連れてくる」っていう。「夜は飛ばないで」っていうと「夜も飛ぶ」っていう。「ここで落下傘練習しないで」っていうと「ここで落下傘練習する」っていう
▼オスプレイ配備や嘉手納基地の外来機飛来、騒音激化、パラシュート降下訓練などへの県民の異議に対していつも変なこだまが返ってくる
▼米兵の身柄引き渡し、裁判権、普天間飛行場の移設問題でも同じだ。まだあった。「捕まえさせて」っていうと「捕まえさせない」っていう。「罪問われた人を裁いて」っていうと「罪問われた人、仕事していたので裁かない」っていう
▼「もっと遠くに移して」っていうと「すぐ近くに移す」っていう。「こっちの話も聞いて」っていうと「そっちの話は聞かない」っていう。「差別しないで」っていうと「差別する」っていう
▼我慢も限界。「つらくて苦しい」っていうと「がまんしてくれてありがとう」っていう。こだまでしょうか。いいえ、日米両政府どちらでも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・記事の転載はここまで
コミュニケーションの概念は多様ですが、コミュニケーションということばの語源は「共通の」とか「共有の」。心的共通性・共有性が日米両政府は根本的に欠けてるとしか言いようがありません。この能力の欠如はどこからきているのでしょうか?政治家になった途端、失われる能力なのですか?
全ての人間が持ってしかるべき基本的人権を奪う基地は沖縄のどこにも要りません。米国民が持ち続けていたいのなら、米国国内に早期に移設してください。