広島県・安芸高田に郡山城を構える毛利元就と、
山口県・周防の陶晴賢(すえはるかた)が戦った厳島合戦の話です。

この戦いは、史実として語り継がれているので、
宮島・弥山の登山ツアーに参加した時など、
ガイドの方がそこここで説明してくださいました。
「ここ、博奕尾(ばくちお)では・・・」とか、
「駒ケ林では・・・」とか。
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さて、そんな厳島合戦とは?
1555年、包ヶ浦に上陸した兵力わずか3千の毛利軍が、
陶晴賢率いる2万の軍を奇襲し、勝利した戦いです。
島民は山に逃げ、厳島神社は・・・?
「火を消すのじゃ!
大明神に燃え移ったら、当家の不始末!諸国で囁かれる!」
元就の息子・吉川元春の指図は、
当時の文化財保護の意識を表しているのでしょうか?
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五重の塔が建つ「塔の岡」。
ここが陶軍の本陣だったそうです。

千畳閣は豊臣秀吉によって建てられたので当時はなく、
ただの広場だったのでしょう。
今は桜の名所になっています。
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