1月29日(月)

現在、仮設事務所で仕事をしている。仮設とは言っても、2年近く仕事をすることになるため、中は、結構立派な事務所になっている。例によって、A社の我がプロジェクトマネジャー殿は、重厚な調度品の立派な部屋で、個人用のトイレまでついているのにはびっくりした。その他に、マネジャー室が4箇所あり、ほとんどはすでに住人が入っているが、空き部屋になっているのは、まだ日本に居残っているビジネスマネジャー用に確保されている。A社の連中は、仕事はしないが、このようなお城を作ることにかけては長けている。
当方、個室はあてがわれたものの、狭い部屋で冷房が直接顔に当たり、居心地の悪さは、夏が来るのが恐ろしい。A社の連中が、彼らの基準で、彼らのために事務所の仕様をきめるのだから、我々S社のメンバーは、マネジャーの名前がついていてもほとんど関係ない。もちろん、協力会社のコントラクターH社のメンバーも同様の扱い。
12月末には完成して、我々の赴任時点では、新しい事務所に入れるはずだったが、建物はできても、コンピューターのネットワークが出来ていないので、仕事にならない。やむなく、700m程度はなれた、別の事務所に机を借りて、半日そこでコンピューターでメールの処理をしたあと、本来の事務所で書類のチェックをやるといった、非効率な仕事を続けている。
ところで、間借りの事務所のトイレに入ると、洋式トイレの便座かことごとく折れている。ドアには、「トイレの上に立たないこと!」と張り紙がしてある。折れてしまった後では遅いような気もするが・・・。30年前の日本の田舎にもこんなことがあったような気がする。洋式トイレの使い方を知らないおじさんが、和式と同じように便座をまたぐ姿を想像すると面白い。
我が本事務所のトイレは、便座の折れたところはないが、時々、一物を流さないやつがいる。ここのトイレのドアには、「使用後は流しましょう。そして、手を洗いましょう。」と張り紙がしてある。まるで幼稚園だ。シンガポールのトイレの「流さない者、罰金$150」よりはほほえましいが、ここで働いている人たちの多くが、文明社会から隔絶された生活を送ってきたのかと、えらいところに来ているものだとの実感がわいてくる。
ここのトイレは、欧米仕様となっているのか、小用のチューリップの位置が高い。自分の息子の位置と同じ程度の高さなので、ついついつま先立ちして用を足すことになる。4~5年前に初めてエールフランスのビジネスラウンジでの経験を思い出した。あのときは、洋式の便座も高く、座ったら、足が宙に浮いた。
トイレには、洋式だけでなく、和式(金隠しのないスタイル)もあるが、いつも水浸しになっている。どんな使い方をしているのだろう。トイレには、ハンドシャワーがあり、ウォシュレット代わりに使っているものと思うが、異常にまわりが水浸しになっている。
先日、トイレの手洗い場で足を洗っている人がいた。モスリムの人たちは、トイレに入る前に、手だけでなく、ひじの辺りまで入念に洗う。たぶん、身を清めてから用を足すのだろうが、水浸しの洗面所は、はた迷惑だ。これは、東京でも、ブエノスアイレスでも同じだった。
東京では、ウォシュレットの使い方を知らないのか、トイレの中が時々水浸しになっていたこともある。このような、基本的な生活習慣の違う者同士で同じ仕事をするには、どちらかが歩み寄らなければならない。仕事も含めて前途多難だ。


現在、仮設事務所で仕事をしている。仮設とは言っても、2年近く仕事をすることになるため、中は、結構立派な事務所になっている。例によって、A社の我がプロジェクトマネジャー殿は、重厚な調度品の立派な部屋で、個人用のトイレまでついているのにはびっくりした。その他に、マネジャー室が4箇所あり、ほとんどはすでに住人が入っているが、空き部屋になっているのは、まだ日本に居残っているビジネスマネジャー用に確保されている。A社の連中は、仕事はしないが、このようなお城を作ることにかけては長けている。
当方、個室はあてがわれたものの、狭い部屋で冷房が直接顔に当たり、居心地の悪さは、夏が来るのが恐ろしい。A社の連中が、彼らの基準で、彼らのために事務所の仕様をきめるのだから、我々S社のメンバーは、マネジャーの名前がついていてもほとんど関係ない。もちろん、協力会社のコントラクターH社のメンバーも同様の扱い。
12月末には完成して、我々の赴任時点では、新しい事務所に入れるはずだったが、建物はできても、コンピューターのネットワークが出来ていないので、仕事にならない。やむなく、700m程度はなれた、別の事務所に机を借りて、半日そこでコンピューターでメールの処理をしたあと、本来の事務所で書類のチェックをやるといった、非効率な仕事を続けている。
ところで、間借りの事務所のトイレに入ると、洋式トイレの便座かことごとく折れている。ドアには、「トイレの上に立たないこと!」と張り紙がしてある。折れてしまった後では遅いような気もするが・・・。30年前の日本の田舎にもこんなことがあったような気がする。洋式トイレの使い方を知らないおじさんが、和式と同じように便座をまたぐ姿を想像すると面白い。
我が本事務所のトイレは、便座の折れたところはないが、時々、一物を流さないやつがいる。ここのトイレのドアには、「使用後は流しましょう。そして、手を洗いましょう。」と張り紙がしてある。まるで幼稚園だ。シンガポールのトイレの「流さない者、罰金$150」よりはほほえましいが、ここで働いている人たちの多くが、文明社会から隔絶された生活を送ってきたのかと、えらいところに来ているものだとの実感がわいてくる。
ここのトイレは、欧米仕様となっているのか、小用のチューリップの位置が高い。自分の息子の位置と同じ程度の高さなので、ついついつま先立ちして用を足すことになる。4~5年前に初めてエールフランスのビジネスラウンジでの経験を思い出した。あのときは、洋式の便座も高く、座ったら、足が宙に浮いた。
トイレには、洋式だけでなく、和式(金隠しのないスタイル)もあるが、いつも水浸しになっている。どんな使い方をしているのだろう。トイレには、ハンドシャワーがあり、ウォシュレット代わりに使っているものと思うが、異常にまわりが水浸しになっている。
先日、トイレの手洗い場で足を洗っている人がいた。モスリムの人たちは、トイレに入る前に、手だけでなく、ひじの辺りまで入念に洗う。たぶん、身を清めてから用を足すのだろうが、水浸しの洗面所は、はた迷惑だ。これは、東京でも、ブエノスアイレスでも同じだった。
東京では、ウォシュレットの使い方を知らないのか、トイレの中が時々水浸しになっていたこともある。このような、基本的な生活習慣の違う者同士で同じ仕事をするには、どちらかが歩み寄らなければならない。仕事も含めて前途多難だ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます