アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

セブ ひとり旅

2020年06月20日 | 旅行
セブ ひとり旅 (1/2)

最後のダイビング
1997年旧正月

1997年の旧正月はセブ島で過ごした。Chinese New Year はシンガポールでは日本の正月より盛大に祝い、ホテル以外は食事をとるところも無くなってしまうので、この時期は我々よそ者は国外脱出を図るのが賢明だ。会社も約1週間休みになるので、この年はまだ行ったことの無いフィリピンに行くことにした。

シンガポールから空路4時間、セブ国際空港に到着すると、シンガポールのトラベルエージェントが手配してくれたホテルの迎えが来ていた。日本人の二組のカップルに混じり、いつもの一人旅。ホテルまでの道のりは、リゾートアイランドCEBUのイメージからは程遠い田舎道で、ホテルだけが別世界だった。もう、バリ、プーケットで経験済みのため別に驚きはしなかったが、ホテル以外には何も無い所と言う点では、フィリピンが一番貧しい印象を受けた。

ホテルは立派だが、海岸は泳げる場所が無いため、ホテルの中庭に人口の海が造られていた。この海(プール?)には、各部屋のテラスから直接出ることが出来、窓の外がビーチになっていた。部屋のベッドは特大の4人が十分寝ることができる大きさで、一人旅にはもてあます豪華さだ。リゾートホテルだけあり、レストランでは、まわりはカップルか家族連ればかりで、いつもひとりで食事をしているのが珍しい様で、ホテルの従業員に顔を覚えられ何かと親切にしてくれた。

初日、ホテルのダイビングショップで手配してくれた Guide の JonJon(Mr.Jonathane)とホテルの目の前にある海で潜った。ホテルのマイクロバスで一緒だったカップルが同行することになったが、これが佐久間夫妻。その後、セブ滞在中ご一緒させてもらい、おかげで一人旅の寂しさを感じることなく楽しむことができた。


セブのリゾートは実はセブ島の隣のマクタン島が中心で、二つの島は橋で結ばれている。この島は、世界一周の途中でマゼランが原住民に殺された所として有名で、マゼランを殺したラプラプ酋長は英雄として称えられている。


マクタンの海には失望した。海底の珊瑚は無残にダメージを受けており、きれいな所が全く無い。聞くところによると、このあたりの漁業は、ダイナマイト漁が中心で、おかげですっかり海底が荒れてしまっている。そんな我々を見て、JonJonがホテルの契約ダイビングとは別に、いい所を案内してくれると言う。少しリスキーな感じはしたが、佐久間さんがアポ島はダイビングスポットとしては有名だと言うので、その話に乗ることにした。(詳細は次回)


ホテルの目の前の海中の、ドロップオフに洞窟がある。約35mの深さの洞窟の入り口に小さな墓(?石碑?)がある。刻まれている名前は日本人。海の好きな彼の休む場所として、死後友人達が設置したものらしい。何も無いマクタンの海で唯一の記憶に残る場所となった。


(続く)


セブ ひとり旅 (2/2)
APO島にて

翌朝早くホテルを出て、まずセブ港に向かった。マクタン島から橋を渡りセブ本島へ、セブ市を通り、港まで。セブの町には色白の美人が多い。顔つきはどうもスペイン系に見える。シンガポールでよく見るフィリピンから来たアマさんとはえらい違いだ。出稼ぎに出るのは貧しい田舎の娘で、混血が進んだ都会の娘とは全く顔つきが違う。

(ジープニーで移動)


フェリーボートに乗り、一路南へ。セブの東海岸に沿って船は隣の島ネグロス島の町ドマゲッティに向かった。ドマゲッティからはフィリピン名物のジープニーに乗り、また南に向かって40分走ると、やっとアポ島が見える海岸についた。

(チャーターした小舟  向こうの島影がAPO島)


ここから小舟をチャーターしてアポ島まで30分。結局、ホテルを出てから、アポ島まで片道5時間かかった。天気がよく、車で水着に着替えているので、太陽を遮るものの無い小舟の上ですっかり日焼けしてしまった。


海は澄み切っており、ついに期待のギンガメアジの群れに遭遇した。いけすの中の養殖ハマチのように群れを作って1ヶ所でぐるぐる旋回しており、逃げる気配が無い。近くで写真を撮ったが、さすがにタッチはできなかった。


午前中のひと泳ぎを終え、島に上がると、潜る前に注文していた昼食の準備が出来ており、自然の中で他に誰も客のいない静かな雰囲気を楽しむことが出来た。


ジープニーで帰る途中、民家に立ち寄りシャワーを使わせてもらい、着替えも済ませることが出来た。JonJonの知合いの家か、とても親切でタオルまで出してくれた。

ホテルに帰りついたのは深夜で、タフな日帰りツアーだったが、JonJonのアレンジのおかげで貴重な Optional Tour になった。

半年後に、急に帰国が決まり、JonJonがシンガポールに遊びに来たら再会しようという約束も果たせぬまま、これが最後のダイビングツアーとなってしまった。

(おわり)


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