アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

エジプトの旅(その2)

2020年06月01日 | 旅行
エジプト旅行記3(ピラミッド)
2010年02月17日 01時44分10秒 投稿

2010年2月12日(金)
早朝、簡素な朝食のあと、ホテルの前からナイル川まで散歩した。
ホテルのすぐ近くの歩道に毛布に包まって家族3人が寝ている。小さな掘建て小屋があるが、その外の歩道の上で寝ている。

川沿いを歩くと、そこにも似たような家族がいて、小さな女の子が後をついて来た。見上げると、川沿いのアパートは古ぼけたものばかりで、高級ホテルだけが別世界の様子。

有名なシェラトンホテルの前を通ったら、年配のコンシェルジェが、にこやかに「グッドモーニング・サー」と声をかけてくれた。

(ナイル川の岸辺の風景)


カイロの街は汚い。
昨日車で走りながら見る街の様子は、どこかで見たことがあるような風景。
そうか、ラービグタウンや、ジェッダの下町の風景と似ている。

中東の人々の気質か。街が汚れていても気にならないのだろうか。
それとも、経済的に豊かでなく、インフラ整備が進んでいないのか。
外国資本の観光客目当ての高級ホテルだけが立派に見える。

9時に迎えの車が来て、ピラミッドに向けて出発。今日は休日なので、朝は混雑が少ない。昨夜と同じ場所に30分足らずで到着した。
歩いて回る場所は少し離れており、ピラミッドの裏側にまわった。まずは一番大きなクフ王のピラミッド。積み上げた石は、小さいもので1トン、大きいものは15トンあるという。

内部に入るには、一日300人の人数制限がある。ガイドブックの体験談で、「トンネル以外、何も無い。」と書いてあったので、今回はパス。
しかし、帰ってきてから仕事場の人に聞くと、「坑道の石が、全く隙間無く積み上げられており、空気口がまっすぐ開けられているいるのを見ると、とても5000年前の人間わざとは思えない。ピラミッドは、宇宙人が作ったのかもしれない。」さすがに、エンジニア。目の付け所が違う。

4時間のコースで、結果的に2時間しか見学せず、あとはみやげ物売り場に引き回されたことを思えば、内部を見学すべきだった。後悔先に立たず。

(ピラミッドの石のひとつひとつは、近くで見ると硬くて大きい。)



観光客が多い。昨夜と違い気温が高い。ベストの必要も無い。
隣のピラミッドまでも車で移動。ここは、現地ガイドがいないと効率的に回ることが出来ない。知らずに片道でタクシーに乗ってきたりしたら、炎天下、見物に何時間かかるかわからない。

ラクダはふたこぶ。アラビアのひとこぶと違うが、見た目はあまり変わらない。乗ったら、高い金額を吹っかけられると聞いていたので、見るだけ。

(アフリカのふたこぶラクダ)


ピラミッドの最後は、車で、全体が見渡せるパノラマ台に移動。その後、昨夜のナイトショーの場所まで戻り、スフィンクスの見学。ここは入り口が狭いので、行きも帰りも渋滞でなかなか進めない。

若い女性がいたので、先を譲ったら、すかさず「グラッチェ」と返ってきた。イタリア語かスペイン語か? スペイン語で「どういたしまして。」は、どう言うのだったろうかと思い出そうとしたが、出てこない。

(パノラマ)


スフィンクスは鼻がない。風化して削れたのかと聞いてみたら、最初からこんな顔だと言う。

(スフィンクス)


2時間で見学が終わったので、ガイドのイドさんがバザールに連れて行ってくれるという。結果的には、ピラミッド近くのみやげ物店のハシゴで、ツアーにつき物の、買い物をすればガイドにキックバックがあるのだろう。

その中の、金細工に興味があったので、ネックレスのチェーンの値段を聞いてみた。エジプトの金細工はほとんど18金で、サウジアラビアのような24金は置いてないという。

「重さを教えてください。」
「これは手作りです。重さは関係ありません。」

チェーンの値札にある数字を示して、「これが重さじゃない?」のと聞いたら、「商品番号です。」と言い張る。
「秤を出してくれ。」
「おいてありません。」

「じゃ、いらない。」と売り場を離れようとすると、ついに社長が出てきた。
「いつもなら10%までしか負けませんが、私が特別に20%負けましょう。」
「ここに書いてある数字が重量です。」と先ほど店員が商品番号だと言い張った数字を示す。

電卓を借りて計算すると、1グラム6500円ほどになる。今の金相場は3100円程度であることを事前に調べていたので、あまりの高さに「結構です。」と逃げようとするが、なかなか離してくれない。
「これは、プラチナとの組み合わせて、すべて手作りです。サウジアラビアの機械加工の金細工と比べてはいけません。」
「わたしは、相場の純金がほしいので、結構です。」
この交渉で疲れて、その後、なにも買う気がしなくなった。


エジプト旅行記4(ディナークルーズ)
2010年02月18日 03時45分59秒

2月12日(金)
夜のナイトクルーズの迎えが来るまでたっぷり時間がある。
買い物にでも行くか。その前に昼飯をどこで食べようかと相談し、ちかくのシェラトンホテルに行ってみることにした。

朝、一人では敷居が高かったホテルも、4人で行けば怖くない。1時をとっくに過ぎており、3階のレストランにはお客は誰もいない。バルコニーの席を選び、まずはステラビールで乾杯。いちどSAKKARAというビールを試してみたが、薄味でまずく、以来STELLAばかりを飲んでいる。

(ホテルのテラスでステラビール)



さわやかな風が日陰のバルコニーを吹きぬけ、昼間からビールを飲んでゆっくりくつろげるのは、サウジアラビアでは期待できないぜいたく。

思えば、プロジェクトの初期にはブエノスアイレスで、毎週、週末に仕事仲間でレストランめぐりをしながら、同じような贅沢な時間を持っていた。

半日フリーなので、ショッピングでもと思っていたが、飲んで、食べてすっかりいい気持ちになり、夕方まで昼寝をすることにした。

夜7時に迎えが来て、今夜もナイトディナークルーズ。しかし、今日は昨日とは趣向が違う。ガイドは無く、ホテルと船の送迎だけ。

船は、昨日のものより大きく、数隻が並んでいる。船着場は、各旅行社からの団体客であふれている。もちろん日本人も多く、そのうちの団体客が、ガイドの先導で、「エクスキューズミー」と割り込んできた。

若い女性のガイドだが、年配の特に女性が多い団体を先導するのは大変そうだ。どこも、女性が多いのはどうしてだろう。だんなは金を稼ぐために、十分な休みも取れず、おばさんだけが世界中で金を撒き散らしている。

今日のベリーダンスは、女性二人。一人はアメリカ人だった。

(一人目のダンサー:アメリカ人と笑うセールスマン)


客席には、モスリムらしい女性が多かったが、きれいなスカーフで髪だけは隠しているものの、皆さん素顔で、中東の女性は彫が深くて美人が多い。
ダンサーは踊りながら、各席を回っている。そこにいっしょにカメラマンがついてまわり、お客とダンサーのスナップショットを撮っている。どうせ、あとで写真を売りつけるつもりだろう。デジカメ全盛の今、わざわざ買う人がいるのだろうか。

しかし、飲んで食べて、時には引っ張り出されて踊ったりしているうちに、勢いで、全員が各人のスナップショットを買ってしまった。(1枚8USD:約700円)

(踊りに参加)


ついでに、船がそろそろ港に戻る頃になっても、カメラマンが踊り子を連れてきてもう一枚撮り、また写真を買わされた。皆で名づけて、「笑うセールスマン!」我々は、いいカモにされてしまったようだ。

(二人目のダンサー、エジプト人?)


これで、予定のオプションツアーは終了。
明日はもう帰国。


エジプト旅行記(番外編)
2010年02月18日 17時23分38秒

2月13日(土)
昼の出発まで、散歩のついでに、カイロタワーに上ってみることにした。
残念なことに、今日は南の風で、カイロの街全体が砂煙に沈んでいる。砂漠から吹く風が運んでくる小さな砂粒が、上空数百メートルまで層になっている。
この景色はサウジアラビアでも同じなので、視界の悪さはあきらめざるを得ない。視界が良ければ、ギザのピラミッドが塔の上から見えるらしい。

(カイロタワー)


(視界不良のカイロの市街)


出発時間まで、展望レストランでステラを飲んで時間をつぶす。

(カイロの交通事情)
カイロの道路には信号が少ない。交差点に横断歩道があるが、信号が無く、車は止まってくれないので意味が無い。
現地の人は、2~3車線の道路を悠然と歩いて渡る。目の前に車をやり過ごしながら、時には携帯電話で話をしながら渡っている。車と、人とが絶妙の呼吸で交差する。

我々は、右を見て、左を見て、車がとぎれるのを待って走って渡る。車が多いので、なかなか渡る機会が来ない。緊張とスリルの連続だ。

カイロには道路の車線が必要ない。
3車線には4台の車、2車線には3台の車が並んで走っている。
車線をまたいで、クラクションを鳴らしながら中央から割り込んで追い抜きをかける。ウィンカーなど使わずに、前の車の隙間に割り込んで走りぬける。市内でも結構なスピードで走る。制限スピードはあるのだろうか。

韓国の道路事情、ブエノスアイレスの車線を守らない車、我先に割り込むサウジ人の運転に、日本人にはついて行けないと言ったら、サウジのエジプト人のタクシー運転手が、「世界で一番運転しにくいのはカイロですよ。」と言っていたのを思い出した。

街を走っている車を見ると、その国の経済力がわかるような気がする。
4年前、ブエノスアイレスにいた頃、街を走る車はポンコツばかりだった。カイロは、そこまではひどくないが、古い車が多い。特に旧型のタクシーは、すべてポンコツだ。

タクシーには2種類ある。白黒のツートンカラーは旧型のポンコツ車。メーターが無い。白い最新式のタクシーにはメーターがついている。

(古いタイプ。すべてポンコツ車。メーター無し、交渉制)


(新しいタイプ、メーター付。初乗り6LE(エジプトポンド、約100円))


しかし、新しいタクシーも油断がならない。
「コンコルドホテルお願いします。」
「コンコルドホテルですね。わかりました。」

しばらく行くと、明らかに反対方向に走っている。
「おいおい、方向が違うよ。」
「すみません。コンラッドホテルと思っていました。」
どうも、こちらを観光客と見て、わざと遠回りして稼ごうとしたように思える。

(カイロのホテル事情)
物価が安いエジプトは、大都会のカイロでもホテルが安い。5ッ星の有名な高級ホテルを除くと、現地には一泊1000円程度のホテルがいっぱいある。
我々の泊まったホテルは3ッ星で、1泊朝食付で3200円。行くまでは、あまりの安さに、ひどいところを選んでしまったかなと不安があった。

確かに、コンセントを抜いた冷蔵庫、映らないテレビ、お湯をためることができないバスタブ、流れにくいトイレなど、文句を言えばきりが無い。
エレベーターは旧式で、両壁が開いているので間違ってよりかかると大怪我をする。質素な朝食は、腹を満たすだけ。

しかし、お湯の出るシャワーと、清潔なベッドがあるので、寝るだけなら問題ない。更に、受付が非常に愛想のよい美人のお嬢さんで、その他の不都合な点は帳消しにできた。

(Concorde Hotel 客室)


2日目の朝は、歩いて5分程度のシェラトンホテルに朝食を食べに行った。朝食だけで1800円。高級ホテルなら一般的な値段だろう。ゆっくりとガイドブックを読みながら1時間の朝食タイム。リゾートホテルの気分を味わった。

カイロの街の汚さと混沌とした雰囲気はあまり好きになれないが、ピラミッドの雄大さには魅せられた。機会があれば、ルクソール、アスワンの大型遺跡も見てみたいものだ。



(おわり)



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