アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

アパート引越し

2005年09月12日 | 旅行
9月11日(日)

快晴。しかし、昨日の雨移行、急速に温度が低下し、最低気温が2℃まで下がると新聞に予報が出ている。なかなか春がやってこない。日本は総選挙の真っ最中、アメリカはテロ4年目の行事が行われている。この日を引越し日に選んだ。

アパートの契約金は、日本から持ってきてもらった現金とCITI BANKのATMから各自で引き出した現金、そして、生活費の補填で持ってきたアメリカンエキスプレスのトラベラーズチェックを換金して、ようやく4人分の契約金を工面した。

金曜日に契約して、土曜日にアパートの備品確認、そして日曜日の引越しと、少しあわただしかった。一ヶ月滞在したヒルトンホテルで、受付の女性、朝食のラウンジの女性から名前を覚えてもらい、顔を合わすと“Mr.○○”と名前を呼んでくれるようになり、居心地のいいホテル住まいを後にしてアパートに移った。70m2、2ベッドルーム、ついでにバスルームも2つあり、月1200US$。すこしこじんまりしたアパートだが、一人では十分なサイズ。築3年と新しいが、家主は、海外に住んでいて、ほとんど住んだ形跡が無い。契約のときに会社に顔を見せてくれたが、子供が二人おり、夫婦の部屋と、こども部屋のようだ。

歩いて5分のところにJumboという大型スーパーがあり、2kmはなれたところに中華街がある。生活するにはいいロケーションだが、会社からは約8km程度離れたところで、これまではホテルから歩いて5分だったが、少し離れてしまった。通勤の安全確保のため、乗合のワゴンを契約することにした。

ホテルで最後の朝食の後すぐ引越しした。11時に全員でJumboスーパーの前に集合し、引っ越し祝いのWarm Upパーティをする事にした。I さんも何とか風邪が治り、ホテルからS君も合流し、5人で食材、ワインを買い込み、新居の使い心地をチェック。ところが、早速、エアコンが無いことに気が付いた。うかつにも、当然ついていることと思い、部屋確認のときにチェックしていなかった。おまけにテレビはアンテナが接続されておらず、日本の選挙結果も確認できない。



パーティは、午後の予定があるため、スーパーの惣菜売り場で、5人分の食料を買い込み、温めただけ。あとは、ワインで乾杯。ワインは6~10Pesoのものを買い込んだ。牛肉が1Kg400円程度だったので、次回はステーキでもトライしよう。ピラフ、チキン、握り寿司、どれも味がいまいちだったが、その味を確認するのもひとつの目的、次回は醤油と塩の必要性を確認した。

食事の後、昨日S君とM君が街を散策中に予約してくれたCOLON劇場見学ツアーに出かけた。ここは世界3大劇場(あと二つはミラノのスカラ座、パリのオペラ座)と言われているそうで、建築家3人が引き継ぎながら、18年の歳月をかけて建設したとのこと。イタリアのルネッサンスの建築様式と、パリのバロック様式が組み合わされた荘厳な内装は、一見の価値がある。英語によるツアーを申し込んでくれたので、2階のBOX席から、地下3階のリハーサル室、衣装の準備室まで、約1時間のツアーを堪能した。



現地に来てから、他のメンバーと常に夕食を共にしてきたが、今日からアパート住まい。4人ともアパートの準備に忙しく、夕方また買い物を済ませて、あとは各人の自由行動。これから、平日はワゴンで送り迎えしてもらい、帰りも日本食レストランに立ち寄ってもらうので、休日くらいは各人の自由行動もいいだろう。

夜になり、ラジオもテレビも無い部屋で、一人でいると、あまりにも不気味。そこで、コンピュータを試して見ると、なんとADSLがつながっている。家主が契約したままにしているのだろう。おかげで、メディアプレーヤーで、ラジオ局を選択し、音楽を流しながら、インターネットで日本の総選挙の結果も確認することができた。早くDirect TVのパラボラアンテナをセットしてもらい、NHKを見えるようにしてもらう必要がある。しかし、不動産屋の三浦さんは、いまいちアクションが遅いので、いつになることやら。


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