アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

ダイビングの旅 プーケット

2020年06月15日 | 旅行
プーケットでジンベイザメの大追跡

1996年
単身赴任は、平日の時間の潰し方に頭を使う。何もしなければ、夜の街に入りびたりになる。そこで、ダイビングのライセンスを取ることにした。

ダイビングライセンスを入手して、はじめての場所にプーケットを選んだ。同行は同じ会社のHさん。コンピュータのエキスパートで、工場の運転室統合のため、新たに日本から派遣されていた。日本ですでにダイバーライセンスを取得しており、山歩きも好きなアウトドア派で、10歳も年上とは思えないくらい若々しい。

チャンギエアポートを出発したロイヤルタイエアラインは一路北へ。と思うまもなく、二時間で到着。プーケットは日本でも有名なので、南の楽園を想像していた。しかし、ホテルのマイクロバスでピーチに向かう1時間、道はガタガタ、南国の椰子の景色も埃にまみれ、やっとパトンビーチのホテルについたときはぐったりしてしまった。

ホテルでひと休みした後、ダイビングのスケジュール確認のため表通りのダイビングショップに出向くと、40過ぎの上品なドイツ婦人がショップを運営していた。シンガポールで旅行の手配をする場合、団体旅行は一般的ではなく、ホテル、飛行機の手配だけ。今回はダイビングの予約も頼んでおいたが、指定されたショップを探して、念のため予約内容が間違いないことを確認しておきたかった。

プーケットと言えばオカマショーが有名。ダイビングショップのおばさんが予約してくれると言うので早速頼んだ。マージンでももらっているのかもしれない。サイモンキャバレーのチケットは夕方渡すと言う。とりあえず信用して金を払う。そうこうしているところへ電話が一本。ドイツ貴婦人が「今シャークが出ています。どうですか行ってみませんか。」こちらも望むところ。フットワークのよさが自由旅行の強み。Hさんと早速ビーチへ。


ドイツのおばさんがその場で小舟をチャーターしてくれたので、我々二人は早速沖へ出発した。と思うと、パトン湾の中央付近で舟を止め、全身褐色のタイ式キックボクサーを思わせる若い船頭さんが「このあたりだ」と言う。タイ語のため本当はわからないが、そんな気がした。このあたりと言われても、湾の中央じゃ潜るにも深すぎるし、と思っていると、黒い陰が舟の下をスーッと通り過ぎていった。なんと、シャークとは5m余りのジンベイザメだった。ダイバーが一度は遭遇することを夢見るあこがれの主に、我々二人は初めてのダイビング旅行でぶち当たったわけで、まさにビギナーズラック。

2回目に舟の近くに来たときに、防水の使い捨てカメラを手に飛び込み、水中でその姿を撮ってやろうと思ったが、水中で見るその大きさに、危険はないとわかっていても、思わず足がすくんでしまった。正面からのシャッターチャンスなんて夢のまた夢、追いかけながら後ろから写したが、足にフィンをつけてはいても、とてもそのスピードに追いついてゆけず、あきらめて浮上した。その頃には、ビーチから大勢の人が舟で繰り出しており、4~5尾(なんと数えるべきか?)のジンベイを求めて湾の中央を右往左往していた。

そのとき、1台のジェットボートが近づいてきて後ろに乗れと言う。タイのビーチボーイで言葉はわからないが、ありがたく乗せてもらい、ジンベイの近くに運んでもらった。また潜ってみると、ボンベを背負ったダイバーがジンベイの背びれをつかみ、いやがる背中に乗ろうとしている。そのままジンベイは深みに消えてしまった。


水面に戻ったが、もはや自分のボートがどこにいるのかわからず、疲れて泳ぐ元気もなく水面に浮かんでいた。もう体力も残り少なく、不安になった頃、やっとボートが見つけてくれた。


あとでフィルムを現像してみると、コントラストの少ない水玉模様のジンベイは、水中では全く写っておらず、舟の上からHさんが撮った水面の写真に、かろうじてジンベイの背中がゆれていた。翌年のダイビング誌に、たまたまこの年に珍しくプーケットの湾内にジンベイザメが現れたとあり、やはり運が良かったようで、もちろんその後一度も遭遇していない。

(ホテルのプールにて)


(その後)
旅の写真のほとんどは、鍵のついていないダイビングバッグに入れていたら、シンガポールに戻り、チャンギ空港のセキュリティーチェックでバッグを開けられた時、既にカメラごと紛失していた。(抜き取られていた。) 添付の写真は、同行のHさんが撮影したもの。

お世話になったダイビングショップは、2004年のスマトラ沖地震で発生した大津波で水没したらしい。  



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