アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

第二次アラブ戦争

2006年07月01日 | 雑感
7月1日(土)時々

今職場では、ボスがサウジの人間で、ビジネスマネージャー1名、2名のエンジニアと、2名トレーニングのメンバーが一緒に仕事をしている(?)イギリス人3名は、完全にサウジメンバーの手先、金持ちのアラブ人の忠実な召使をしている。
我が日本人メンバーは7人、アラブ人が仕事をしないので、黙々と彼らの分も仕事をしている。

ブエノスアイレスでも、アラブのメンバーは違うが、時々衝突していた。今回日本に帰って、久しぶりにまた衝突してしまった。第二次アラブ戦争勃発だ。

きっかけは、先週土曜日、A社の方式による見積り評価を強く主張するボスの指示で、10人あまりのメンバーが休日出勤して夜までかかって評価作業を行い、その結果を翌週の月曜日に報告したところ、「私の意向と違う。やり直せ。」ときた。私自身も、その評価方式が、いかに非効率で、実態に即していないことを確認しようと参加したが、ボスのあまりにでかい態度に、ついに切れてしまった。

「あなたが、不明確な指示を出すから、10人あまりの人間の作業が無駄になってしまった。」「あなたのやり方を試してみたが、いかに効率の悪い作業かよくわかった。」

「君は、アラブメンバーと日本人メンバーを分離させようと言うのか。」「君は私の片腕だと思っていたのに残念だ。」

「あなたを仲間と思っている日本人はひとりもいない。」「あなたが王様で、我々は奴隷のようなものだ。」「あなたが強権で命令するから、仕方なく従っているだけだ。」「あなたの指示した評価方法は使い物にならない。」

「私は、評価方法を提案しただけだ。」「私が作った方式ではない。」「いい方法があるなら、自分達の思うようにやってみればいい。」

「いいでしょう。自分達でやりますよ。」・・・・

と延々と一時間ぐらいやりあった。(表現は英語なので、ちょっとニュアンスは違うけれど。)

たまたま、今回、ひとつのことで衝突したが、伏線は一緒に仕事を始めた3ヶ月前から蓄積されており、たまたま今回吹き出しただけだ。我々S社とやつらA社でジョイントベンチャーを組んで、プラント建設の計画をしているが、仕事のやり方があまりにも違うし、カルチャーの違いが大きすぎる。

彼らは、基本的に自分で仕事をしない。人に仕事をさせることが、自分の仕事だと心得ているふしがある。イギリス人の召使どもと定時に帰宅して残業なし。この忙しい時に、優雅な生活だ。身の回りのプライベートな事柄はすべて秘書にアレンジさせて、てんてこ舞いさせている。

A社は世界的なオイル成金の金持ち会社だ。我がS社は、そのオイルマネーを掠め取ろうと画策しているので、我々は忙しくても文句は言えない。それにしても、アラブの連中は、高い給料をもらっているのに、個人的な出費にはケチだ。何でも会社の金で処理しようとする。ローレックスをして、いい仕立ての背広を着て、身の回りのことは秘書にやらせる。我々から見ると王様そのものだ。

土曜日の夜になると、アラブのメンバーが会社にやってくる。もちろん仕事などしない。時間差があるアラブの家族と、会社の電話で連絡するためだ。もういいかげんにしてほしい気分だ。

このような状況も知らないボスは、毎日怒鳴り散らしている。
我々は、仕事第一、やつらにかまってはおれない。この仕事にはS社のメンツがかかっている。勝手に怒鳴っていろ! しかし仕事の邪魔はしないでくれ。





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