3月12日(日)
近所のレストランでひとり夕食を食べながらふと考えた。
なんで、こんな生活があることに気がつかなかったのだろう。
アパートに引っ越した頃は、夜が怖くて、一歩も外に出なかった。昼間でも、後ろから人が来る気配がすると、強盗ではないかと身構えた。とにかく、ブエノスアイレスの街は危険がいっぱいと吹き込まれていた。
日本を出発する前、東京本社の人事部で、松下電器のOBの人からオリエンテーションを受けた。曰く、「3人組に囲まれたらどうしようもありません。羽交い絞めにされ、ポケットのものは全て抜き取られます。」この人は、アルゼンチンの駐在経験から、ありとあらゆる危険性について講義してくれた。人事部は事なかれ主義なので、「とにかく、安全に関することならお金は出しますので、何でもアレンジしてください。」と言ってくれた。
そして、赴任後一ヶ月して皆がアパートに入った後は、通勤の車をアレンジして、アパートと会社と夕食のレストランだけを結ぶルートの生活が始まり、それ以外は、土日の昼間に街を散策する程度のきわめて行動範囲の限られた生活が始まった。皆で食べる夕食は、合宿気分で楽しく、身の危険を感じることも無く、しかし、きわめて変化の無い生活が続いた。このような生活は一長一短がある。ブエノスアイレスの街の本当の姿を知らないままに半年近くが過ぎた。
しかし、帰国直前の今、これまでの生活に疑問を感じている。
ここブエノスアイレスの街は、きわめて安全だ。夜、カラオケに出かけるのに地下鉄を利用する。タクシーでも$8(320円)程度で問題ないが、地下鉄は$0.7(30円)で、歩く必要があるから健康にもいい。カラオケからの帰り、12時過ぎて地下鉄も営業を終えており、夜の街を一時間近く歩いて帰ったこともある。別にタクシーを拾ってもいいが歩くほうが健康にもいいし、夜の街の表情も面白い。全く危険は感じない。
安全のためを考え、街の中心部から8~10Kmも離れた、高級住宅街にアパートをかりた。日本の食材が豊富だからと、China Townに近いところに決めたが、自炊もしないので、日本の食材を買う必要性も全く無い。大きな公園が近くにあり、生活環境はいいが、全く刺激の少ない場所だ。
税金対策のため、形式的にI商事の社員となり、そこのM社長にカラオケとか、夜の楽しみの場所を紹介してもらい、生活が変化してきた。
また、最初の派遣メンバーは、けっこうまとまりもよく、食事、旅行と一緒に楽しんできたが、途中から若いメンバーが応援に来るようになってから、雰囲気が変わってきた。一般に自己中心で、気配りが少ない。皆が、問題なく仕事に専念できるように、旅行のアレンジから、毎日の夕食の希望調査まで、「何で俺がこんなことまでしなくちゃならないの?」と心の隅で思いながらも、皆が素直についてきてくれるので、問題なくアレンジしてきた。
ところが、ある時期から、一緒に車でレストランに行こうとしても、「私は、今日用事があるので先に失礼します。」とか、経費を浮かすためにホテルを出てアパートに移るように勧めても、「いやです。面倒くさいからホテルがいいです。」と、堂々と自分の意見を主張する。意見を主張するのはいいけれど、こちらの気配りを少しでも考えれば、違った返事のし方もあるように思う。たぶん、そう言えば、「余計なお世話です。そんなこと頼んでいません。」と返事が返ってくるだろう。
現在は、3人しか当地には残っていないが、もう今更、旅行のアレンジとかする気にもならない。しかし、未だに、ワゴン通勤と夕食通いは続いているので、先週などは、「仕事が残っているので、先に帰ってもらっていいです。」と、2回もひとりで夕食を食べることになった。
元々、ワゴンを毎日夕方7:30に頼んでいるのは、夕食のレストランが開くのがほとんど8時なので、それまでの時間待ちのためだ。ひとりで自由にできるなら、さっさと明るいうちに定時で帰宅し、夕食は近所のレストランで楽しめば、自由時間もたっぷりできる。このような生活があることに気が付かなかった。
この街の夜8時は、宵の口だ。8時過ぎにレストランに入っても、他に客はいない。ひとり窓際の席を占領し、蝋燭の明かりだけの雰囲気の中で外を眺めていると、9時ごろになって、ぼつぼつ人が集まってくる。タクシーで乗り付ける人もいるくらいなので、レストラン街のこの通りは有名なのかもしれない。ここが、自分のアパートから100m程度のところにあるのだが、これまでは、ひとりでは何となく来る気がしなかった。
夕食時間は9時から11時ごろが一般だ。むしろ8時ごろは、人が少ないのでひとりで食事するには都合がいい。美味いサーモンのステーキを食べながら、「何で、こんな生活があるのに気が付かなかったんだろう。」とまた思った。家族が一緒に来ていれば、物価が安く、様々なレストランで、日本と比べればはるかに安い食事を楽しめる、このような生活を送ることができただろう。
単身赴任の合宿のような生活とは違った、現地に密着した生活が楽しめたように思う。
近所のレストランでひとり夕食を食べながらふと考えた。
なんで、こんな生活があることに気がつかなかったのだろう。
アパートに引っ越した頃は、夜が怖くて、一歩も外に出なかった。昼間でも、後ろから人が来る気配がすると、強盗ではないかと身構えた。とにかく、ブエノスアイレスの街は危険がいっぱいと吹き込まれていた。
日本を出発する前、東京本社の人事部で、松下電器のOBの人からオリエンテーションを受けた。曰く、「3人組に囲まれたらどうしようもありません。羽交い絞めにされ、ポケットのものは全て抜き取られます。」この人は、アルゼンチンの駐在経験から、ありとあらゆる危険性について講義してくれた。人事部は事なかれ主義なので、「とにかく、安全に関することならお金は出しますので、何でもアレンジしてください。」と言ってくれた。
そして、赴任後一ヶ月して皆がアパートに入った後は、通勤の車をアレンジして、アパートと会社と夕食のレストランだけを結ぶルートの生活が始まり、それ以外は、土日の昼間に街を散策する程度のきわめて行動範囲の限られた生活が始まった。皆で食べる夕食は、合宿気分で楽しく、身の危険を感じることも無く、しかし、きわめて変化の無い生活が続いた。このような生活は一長一短がある。ブエノスアイレスの街の本当の姿を知らないままに半年近くが過ぎた。
しかし、帰国直前の今、これまでの生活に疑問を感じている。
ここブエノスアイレスの街は、きわめて安全だ。夜、カラオケに出かけるのに地下鉄を利用する。タクシーでも$8(320円)程度で問題ないが、地下鉄は$0.7(30円)で、歩く必要があるから健康にもいい。カラオケからの帰り、12時過ぎて地下鉄も営業を終えており、夜の街を一時間近く歩いて帰ったこともある。別にタクシーを拾ってもいいが歩くほうが健康にもいいし、夜の街の表情も面白い。全く危険は感じない。
安全のためを考え、街の中心部から8~10Kmも離れた、高級住宅街にアパートをかりた。日本の食材が豊富だからと、China Townに近いところに決めたが、自炊もしないので、日本の食材を買う必要性も全く無い。大きな公園が近くにあり、生活環境はいいが、全く刺激の少ない場所だ。
税金対策のため、形式的にI商事の社員となり、そこのM社長にカラオケとか、夜の楽しみの場所を紹介してもらい、生活が変化してきた。
また、最初の派遣メンバーは、けっこうまとまりもよく、食事、旅行と一緒に楽しんできたが、途中から若いメンバーが応援に来るようになってから、雰囲気が変わってきた。一般に自己中心で、気配りが少ない。皆が、問題なく仕事に専念できるように、旅行のアレンジから、毎日の夕食の希望調査まで、「何で俺がこんなことまでしなくちゃならないの?」と心の隅で思いながらも、皆が素直についてきてくれるので、問題なくアレンジしてきた。
ところが、ある時期から、一緒に車でレストランに行こうとしても、「私は、今日用事があるので先に失礼します。」とか、経費を浮かすためにホテルを出てアパートに移るように勧めても、「いやです。面倒くさいからホテルがいいです。」と、堂々と自分の意見を主張する。意見を主張するのはいいけれど、こちらの気配りを少しでも考えれば、違った返事のし方もあるように思う。たぶん、そう言えば、「余計なお世話です。そんなこと頼んでいません。」と返事が返ってくるだろう。
現在は、3人しか当地には残っていないが、もう今更、旅行のアレンジとかする気にもならない。しかし、未だに、ワゴン通勤と夕食通いは続いているので、先週などは、「仕事が残っているので、先に帰ってもらっていいです。」と、2回もひとりで夕食を食べることになった。
元々、ワゴンを毎日夕方7:30に頼んでいるのは、夕食のレストランが開くのがほとんど8時なので、それまでの時間待ちのためだ。ひとりで自由にできるなら、さっさと明るいうちに定時で帰宅し、夕食は近所のレストランで楽しめば、自由時間もたっぷりできる。このような生活があることに気が付かなかった。
この街の夜8時は、宵の口だ。8時過ぎにレストランに入っても、他に客はいない。ひとり窓際の席を占領し、蝋燭の明かりだけの雰囲気の中で外を眺めていると、9時ごろになって、ぼつぼつ人が集まってくる。タクシーで乗り付ける人もいるくらいなので、レストラン街のこの通りは有名なのかもしれない。ここが、自分のアパートから100m程度のところにあるのだが、これまでは、ひとりでは何となく来る気がしなかった。
夕食時間は9時から11時ごろが一般だ。むしろ8時ごろは、人が少ないのでひとりで食事するには都合がいい。美味いサーモンのステーキを食べながら、「何で、こんな生活があるのに気が付かなかったんだろう。」とまた思った。家族が一緒に来ていれば、物価が安く、様々なレストランで、日本と比べればはるかに安い食事を楽しめる、このような生活を送ることができただろう。
単身赴任の合宿のような生活とは違った、現地に密着した生活が楽しめたように思う。
このブログも久々に
拝見させていただきました、すいません。
さてさて、メールを見て驚き!
何と日本に帰ってこられるんですね。
仕事の面ではいろいろと大変なことも
あったようですが、
生活はなかなか楽しまれていただけに
残念な部分も多いですね。
またESSにも顔を出してください。
最近はメンバーが本当に固定化しています。
キーパーソンの回転が速く、
その分まあ勉強にはなっています。
これからしばらくすると
こちらは桜のきれいな時期になります。
報告お待ちしています。
たぶん、4月末までには帰国できることを期待しています。でも年末にはサウジです。