本日も晴天ですが朝から冷え込んでいました。お布団の中、寝ぼけ眼でスマホを覗いたら、衝撃的なニュースが目に入って……何とは申しません。衝撃を受けると共に、悲しみがこみ上げてきました。自分はミュージカルの世界にいるその人しか知らず、生の舞台を観たのも数えるほどで、ファンなどとは到底言えませんが、それでも「なぜ?どうして?」と何度も問わずにいられませんでした。一日、そのことを考えるたびに胸が痛くなり、涙も出てくるほどです。今は何を書いても憶測でしかなく、感情的になってしまうと思うので、これ以上言及はしませんが——
午後に娘と会う約束をしていたので、重い気持ちを抱えつつも出かけました。良く晴れて日差しも強かったけれど、外はやはり寒く、ダウンコートを着て出て良かったです。
娘の家で一休みしてから駅前へ。久しぶりに《星乃珈琲店》へ入りました。数年前の開店当初はすごく混んでいましたが、今はまあ落ち着いて、店内もやはり良い感じでした。
ショッピングセンターにも寄り、書店で『ゴールデンカムイ』最新28巻と『阿佐ヶ谷姉妹ののほほんふたり暮らし』原作(と言うのも変かも)を文庫で買いました。
夕食は《くら寿司》で。どうにか予約が取れましたが(予約したのは娘です)日曜日だけあって混んでいました。今日はカニや貝類もいろいろ食べられて満足です。
そこから、いつもの如くスーパーで食料品を買い、駅前で娘と別れてバスで帰りました。夜になるとバス停から家までの道も本当に寒かったです。
大河ドラマ『青天を衝け』には間に合いました。今日は拡大1時間放送です。サブタイトル「栄一、海を越えて」。
そのサブタイ通り、栄一はそれまで代表を務めたり関わってきた60もの会社から退き、妻子と共に日系移民排斥の機運高まるアメリカに渡って、特別列車で各州各都市を歴訪、民間外交に努めます。その旅のさなか、伊藤博文暗殺の報に接し、衝撃を受ける栄一。
最も排日運動が激しいと言われるサンフランシスコの商工会議所では、日米親善の歴史から語り始めて、日系移民の受け入れを訴えると共に、タフト大統領の語る「peaceful war」などとというものはあり得ない、皆が幸せになれる世界を作るためには、あくまでも「no war」でなくてはならぬと熱く演説し、聴衆の喝采を受けるのでした。長州から渡米してきたという貧しい移民の家族との出会いや、栄一の演説を外の廊下で聴く黒人の掃除夫の姿を描いたのも良かったです。
しかし、帰国後の栄一を見舞ったのは、嫡男・篤二の出奔と芸者との駆け落ち騒ぎ。篤二の苦しみに気づかず、親として至らなかった自らを悔いつつも、栄一は家族会議の席で、篤二の廃嫡を決断するのでした。
新たに後継者として選ばれたのは、篤二の長男でまだ17歳だった敬三。大学で昆虫学や動物学を学びたいという夢を抱いていた孫に、羽織袴姿で深々と頭を下げて進路変更を迫る祖父・栄一の姿には、観る方としても「そんな無茶な」と思ってしまいましたが、その後の敬三は実業家として立派に後を継ぎ、事業を成功させつつ、動物学ではなく民俗学者としても功績を残す人物となったようです。
やがて時代は大正へと移り、第一次世界大戦も勃発。日本は経済力や軍事力を背景に、大陸をも脅かす存在となりつつありました。いつの間にか首相に返り咲いていた(実は二度目だったらしい)大隈重信を「日本は本当にこれでいいのか!?」激しく論難する栄一ですが、「おいは今も維新の尻拭いをしとるんじゃ!」という大隈の苦渋に満ちた言葉を聞くことともなります。
その傍ら、伊藤博文だけでなく、井上馨や、更に長年の親友また従兄弟として栄一の傍らにいた喜作が次々と世を去ったことも伝えられます。故郷・血洗島で語り合う老境の二人の姿は、最後まで爽やかでした。
そして、栄一が敬愛してやまない徳川慶喜も——
生き恥を晒したとまで言われた最後の将軍は、東照大権現・家康公よりも長く生き抜いて「楽しかったな」「生きていて良かった」との言葉を口にします。
「快なり、快なり、快なりじゃ!」と三度繰り返し、最後に初めて心からの笑顔を見せる慶喜公。一年を通しての草彅剛さんの演技が本当に素晴らしく、自分の中にもあった慶喜への先入観を払拭してくれました。
最後を締めてくれたのは、その権現様。次週の最終回まで栄一と、そして日本の近代を見届けてくださるようです。
その後はEテレで【クラシック音楽館】を流しつつ、これを書いていました。こちらも今日は2時間半の拡大放送でした。