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映画・舞台の感想や俳優さん情報等。基本各種メディア込みのレ・ミゼラブル廃。近頃は「ただの日記」多し。

日記です

2022-09-18 22:30:43 | 雑記
ときどき
「過去に例を見ない規模」の台風14号が接近、夜には九州に上陸しました。その影響で、東京も概ね雨。時々強く降ったり、かと思うと急に晴れ間が見えたりと、一日中不安定な天気でした。23区内では警報発令された地域もあった模様。河川の氾濫や浸水も心配です。湿度も高く、昼間はなんとか我慢しましたが、夜になってエアコンを入れました。
明日は湿度そのまま、気温は30℃くらいまで上がるとか…… 今後、台風がどれほどの規模で本州を進んで来るのかも気がかりです。
まさに「不要不急の外出は避ける」事態につき、今日はずっと家にいて本を読んだりゲームをしたりTVを観たりと、ダラダラ過ごしました。湿度と気圧のせいで眠気もありましたし。

夜は大河ドラマ『鎌倉殿の13人』視聴。サブタイトル「武士の鑑」。
ついに畠山重忠の乱ということで、どんなダークな回になるかと不安でしたが、意外にも爽やかな(?)気持ちで観ることができました。もちろんそこに到るまでは非道の連続ですが。

将軍実朝の花押が入った下文を手に入れ、いよいよ謀叛人として畠山討伐に突き進む時政とりく。御家人たちも従わざるを得ず、まず畠山重忠の嫡男重保を誘い出し騙し討ちに。
斯くまでの挑発に引き退るは武士の名折れと、重忠は武蔵国の館で愛妻と別れ、わずかな手勢で鎌倉へと向かう。
言いがかりのような——ではなく、完全なる冤罪で重忠を討つことに最後まで反対していた義時は、苦渋の決断で自らが総大将となる。
和睦の使者と言うより、旧友に最後の説得を試みに来た和田義盛の言葉も(腕相撲の誘いも)退けた重忠は、鎌倉軍と対峙。世に言う二俣川の戦いである。
が、この戦いが乱戦ではなく、文字通りの一騎討ち、ガチバトルとなったことに驚きました。大将同士の一騎駆けからの一騎討ち。馬上での斬り合い。共に馬を降りての刀での戦い、そして殴り合い。思えばこれこそが戦国時代などとは違う鎌倉武士の戦いなのですね。鏑矢で始まることも描かれていましたし。
鎌倉随一の猛将は義時をこてんぱんに叩きのめし、あと一歩で斬り殺せるところまで追い詰めながら、命は奪わず、静かに立ち上がってその場を離れて行く——
その後、討ち死にを遂げた最期の姿は描かれぬまま、首桶に入って鎌倉に戻って来た重忠。しかしこの事態の張本人である時政は、首実検を拒否する。
理不尽な討伐に、御家人たちの間でも執権に対する不信の声が高まり、もはや時政に鎌倉を任せてはおけぬと自らも心に決めた義時は、まず畠山重保を誘い出した科で稲毛重成を粛清。このたびの乱に於る論功行賞を、執権時政ではなく政子に委ねる。時政から執権職を剥奪するための包囲網は狭まってきた。
「小四郎、恐ろしい人になりましたね」
「すべて頼朝様が教えたこと」
という姉弟の会話。最も頼朝の側にいた二人は、こうして共に修羅の道を歩んで行くしかないのでしょうか——

しかし今回は、何と言っても畠山重忠です。
先述した和田義盛との会談の場で「戦など誰がしたいと思うか!」と本心を叫ぶ重忠ですが、嫡男まで謀殺された以上、望まぬ戦であろう堂々と受けて立つほかなかったのです。
義時の命を奪わなかったのは、自分だけではなくこれまで倒されてきた者たちの無念をも託して、執権時政を糾弾し、鎌倉の歪みを正すことを、義時に期待したからではないかと、ツイッターで言われていました。
汚辱は晴らす、筋を通す、権力の横暴には屈しない、生き恥をさらすつもりもない——だからこそサブタイトルも、「坂東」も「鎌倉」も冠することのない「武士の鑑」だったのですね。「ラスト・サムライ」ならぬ「ファースト・サムライ」の名を捧げたいです。
最後まで勇猛で清廉な畠山重忠をカッコよく美しく演じた中川大志さん、実はまだ24歳。それで自分よりずっと年上の人たち演じる役の朋輩として何ら遜色なかったのは素晴らしいです。時代劇を演じる上での身のこなしや所作も美しく、巷で未来の大河ドラマ主演俳優として期待を寄せる声が高まるのも頷けます。

大河ドラマの後のEテレその他の番組は、今日はパス。
明日は雨が降るのか降らないのか、降るならどの程度なのか気になります。

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