のち
今日は朝から雲多く、午後には雨。気圧のせいか眠くてたまらず、やる気も起きず、家にこもって昨日にも増してダラダラと過ごしました。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は「伝説の幕開け」。
アバンタイトルでは、小四郎の嫡男が頼朝によって「金剛」と命名され、北条時政も伊豆から鎌倉に戻って来ます。鎌倉殿の舅という立場であり、上総広常なき後の御家人たちのまとめ役を期待されてのことではありますが、本人は上総介の死こそが新たな地獄——御家人たちの抗争の始まりとなることをちゃんと理解しているんですよね。とにかく、これからは源氏に取り入り付き従うしかない、と。
さて、後白河院から頼朝追討の院宣が下され、その背後に義仲の存在があると見た頼朝は、弟の範頼を総大将、梶原景時を軍奉行とし、和田義盛、土肥実平、畠山重忠といった諸将、そして小四郎義時も加え、大軍を派遣します。やがて一行は墨俣で待つ九郎義経軍と合流。
彼らを味方と思って義仲が送って来た使者を首にして送り返し、宣戦布告する義経。同時に自らの軍勢を少なく偽り、いざ宇治川の戦いへ。橋を外して防戦する義仲軍に対し、先陣争いで敵の目を引き付け、その隙を畠山隊に攻め込ませるという策を打ちます。
平家物語でも名高い、梶原景季と佐々木高綱の「宇治川の先陣争い」を映像で見られなかったのはちょっと残念でした。
大敗を喫した義仲は、いったん北陸に戻って再起を期そうと、その前に後白河法皇に別れの挨拶をするため御所を訪れますが、目通りは叶わず——それでも、平家が滅び三種の神器が戻って、法皇の悲願がされることを願い、事ここに至ったのは自らの不徳の致すところと述べて去って行きます。
最後まで「義」を重んじ、堂々と爽やかな義仲でした。「義」とか言うヤツは嫌い、という後白河院とはしょせん相容れぬ関係だったのでしょう。勇猛な武将ではあっても、戦以上にバケモノたちが跋扈する政争の中では生きていけなかった義仲。都を落ちる途中、近江で待ち構えていた範頼軍との戦いにも敗れ、ひとり腹を切る覚悟を決めたところで、一本の矢に顔を射抜かれるのでした。この矢を放った武士が、一説によると石田三成の祖先だということです。
その前、巴御前は最後まで義仲の側にいることを望みつつ、鎌倉の義高への文を託されて離脱を命じられます。この二人の別れは、どの作品で見ても泣かされます。
残党狩りの武士たちに「義仲の側女か」と問われ、「われこそは源義仲一の家人!」と答え、戦う巴もカッコ良かったですが、この後、和田義盛の手に落ちることとなります。巴御前は和田の妻となったという伝承もあり、今作はその説で行くのでしょうか。
時系列で言うとその少し前、義仲軍が都を離れた後、義経軍が入京。戦乱と飢饉で荒れ果てた都の惨状に小四郎が胸を痛める一方、義経は後白河院に拝謁が叶い、院から気に入られます。
かくして、福原に陣を構える平家軍を攻めるべく軍議を開く源氏軍。何隊かに別れて攻めようと言う梶原景時の策を、義経は手ぬるいと退け、背後の山を攻めて敵の勢力を分散させた上で、奇襲をかけ、一ノ谷の本陣を一気に落とすとの作戦を立てます。日程の強行ぶりに不服の声を上げる御家人たち。しかし、景時がそれを理にかなっていると認め、強行日程を範頼が引き受けることで、その場を収めます。
更に平家を油断させるため、偽の和議を持ちかけること後白河院に依頼する義経。喜んでこれを引き受ける院は、「騙し討ちのどこが悪い!」と言い放つ義経と、なるほど気が合いそうですね。
かくして、世に名高い「鵯越」の逆落としが決行され、源平合戦最大と言われる一ノ谷の戦いが始まります。逆落としの場所が鵯越か、隣の鉢伏山の崖だったかについては、古くから諸説あるそうですが、今作は鉢伏山説を採ったようです。ただし、その見せ場のシーンも映像では見られませんでした。「馬を担いで崖を駆け下りる」畠山重忠の勇姿も、想像するしかありません。
平家軍は総大将・平宗盛が本陣で安徳天皇をお守りし、前線には猛将知盛が大軍を率いて参戦します。獅子奮迅の働きを見せ、雄叫びを上げる義経の姿を目の当たりにして、景時は呟きます。「八幡大菩薩の化身じゃ」と——
今回の見どころは、やはり何と言っても義経です。武勇だけでなく軍略にも優れ、奇策も騙し討ちの何のその、次々と作戦を繰り出す姿は水を得た魚のように生き生きとし、まさに戦の申し子、八幡大菩薩の化身のように光り輝やいていました。鎌倉での鬱積を一気に爆発させたかのようなその活躍は、しかし付いて来られない武将や兵たちを振り落とす危うい暴走でもあります。
さて、ここで興味深いのが梶原景時の描かれ方です。上総介を斬った者として他の御家人たちからは憎まれ、更にせっかく立てた作戦を義経に却下され、軍奉行としての面目も丸つぶれとなり、その屈辱や嫉妬が「讒言」に変じる——というのが、古来よくある景時像。
しかし、この話の景時は、確かに屈辱や怒りを感じつつも、同時に義経の作戦の目覚ましさ、その天才ぶりをよく理解し、畏敬の念や羨望を抱いているようにさえ見えるのです。ツイッターで多くの人が例に挙げていたのが『アマデウス』。モーツァルトとサリエリです。この説には「なるほどそれか!」と膝を打ちました。三谷幸喜さんならあり得るかと思いますが、この二人でそれをやるのか……と感動を覚えました。その関係性が今後どう変転していくのか、楽しみでもあり恐ろしくもあります。
それにつけても、今日も今日とて小四郎はいろいろな人たちやその勝手な言い分の板挟みで、相変わらず苦労が絶えませんね。今のところは、総大将・範頼(蒲殿)の意外な人徳や調整力で何とかカバーされてはいますが。
今日は朝から雲多く、午後には雨。気圧のせいか眠くてたまらず、やる気も起きず、家にこもって昨日にも増してダラダラと過ごしました。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は「伝説の幕開け」。
アバンタイトルでは、小四郎の嫡男が頼朝によって「金剛」と命名され、北条時政も伊豆から鎌倉に戻って来ます。鎌倉殿の舅という立場であり、上総広常なき後の御家人たちのまとめ役を期待されてのことではありますが、本人は上総介の死こそが新たな地獄——御家人たちの抗争の始まりとなることをちゃんと理解しているんですよね。とにかく、これからは源氏に取り入り付き従うしかない、と。
さて、後白河院から頼朝追討の院宣が下され、その背後に義仲の存在があると見た頼朝は、弟の範頼を総大将、梶原景時を軍奉行とし、和田義盛、土肥実平、畠山重忠といった諸将、そして小四郎義時も加え、大軍を派遣します。やがて一行は墨俣で待つ九郎義経軍と合流。
彼らを味方と思って義仲が送って来た使者を首にして送り返し、宣戦布告する義経。同時に自らの軍勢を少なく偽り、いざ宇治川の戦いへ。橋を外して防戦する義仲軍に対し、先陣争いで敵の目を引き付け、その隙を畠山隊に攻め込ませるという策を打ちます。
平家物語でも名高い、梶原景季と佐々木高綱の「宇治川の先陣争い」を映像で見られなかったのはちょっと残念でした。
大敗を喫した義仲は、いったん北陸に戻って再起を期そうと、その前に後白河法皇に別れの挨拶をするため御所を訪れますが、目通りは叶わず——それでも、平家が滅び三種の神器が戻って、法皇の悲願がされることを願い、事ここに至ったのは自らの不徳の致すところと述べて去って行きます。
最後まで「義」を重んじ、堂々と爽やかな義仲でした。「義」とか言うヤツは嫌い、という後白河院とはしょせん相容れぬ関係だったのでしょう。勇猛な武将ではあっても、戦以上にバケモノたちが跋扈する政争の中では生きていけなかった義仲。都を落ちる途中、近江で待ち構えていた範頼軍との戦いにも敗れ、ひとり腹を切る覚悟を決めたところで、一本の矢に顔を射抜かれるのでした。この矢を放った武士が、一説によると石田三成の祖先だということです。
その前、巴御前は最後まで義仲の側にいることを望みつつ、鎌倉の義高への文を託されて離脱を命じられます。この二人の別れは、どの作品で見ても泣かされます。
残党狩りの武士たちに「義仲の側女か」と問われ、「われこそは源義仲一の家人!」と答え、戦う巴もカッコ良かったですが、この後、和田義盛の手に落ちることとなります。巴御前は和田の妻となったという伝承もあり、今作はその説で行くのでしょうか。
時系列で言うとその少し前、義仲軍が都を離れた後、義経軍が入京。戦乱と飢饉で荒れ果てた都の惨状に小四郎が胸を痛める一方、義経は後白河院に拝謁が叶い、院から気に入られます。
かくして、福原に陣を構える平家軍を攻めるべく軍議を開く源氏軍。何隊かに別れて攻めようと言う梶原景時の策を、義経は手ぬるいと退け、背後の山を攻めて敵の勢力を分散させた上で、奇襲をかけ、一ノ谷の本陣を一気に落とすとの作戦を立てます。日程の強行ぶりに不服の声を上げる御家人たち。しかし、景時がそれを理にかなっていると認め、強行日程を範頼が引き受けることで、その場を収めます。
更に平家を油断させるため、偽の和議を持ちかけること後白河院に依頼する義経。喜んでこれを引き受ける院は、「騙し討ちのどこが悪い!」と言い放つ義経と、なるほど気が合いそうですね。
かくして、世に名高い「鵯越」の逆落としが決行され、源平合戦最大と言われる一ノ谷の戦いが始まります。逆落としの場所が鵯越か、隣の鉢伏山の崖だったかについては、古くから諸説あるそうですが、今作は鉢伏山説を採ったようです。ただし、その見せ場のシーンも映像では見られませんでした。「馬を担いで崖を駆け下りる」畠山重忠の勇姿も、想像するしかありません。
平家軍は総大将・平宗盛が本陣で安徳天皇をお守りし、前線には猛将知盛が大軍を率いて参戦します。獅子奮迅の働きを見せ、雄叫びを上げる義経の姿を目の当たりにして、景時は呟きます。「八幡大菩薩の化身じゃ」と——
今回の見どころは、やはり何と言っても義経です。武勇だけでなく軍略にも優れ、奇策も騙し討ちの何のその、次々と作戦を繰り出す姿は水を得た魚のように生き生きとし、まさに戦の申し子、八幡大菩薩の化身のように光り輝やいていました。鎌倉での鬱積を一気に爆発させたかのようなその活躍は、しかし付いて来られない武将や兵たちを振り落とす危うい暴走でもあります。
さて、ここで興味深いのが梶原景時の描かれ方です。上総介を斬った者として他の御家人たちからは憎まれ、更にせっかく立てた作戦を義経に却下され、軍奉行としての面目も丸つぶれとなり、その屈辱や嫉妬が「讒言」に変じる——というのが、古来よくある景時像。
しかし、この話の景時は、確かに屈辱や怒りを感じつつも、同時に義経の作戦の目覚ましさ、その天才ぶりをよく理解し、畏敬の念や羨望を抱いているようにさえ見えるのです。ツイッターで多くの人が例に挙げていたのが『アマデウス』。モーツァルトとサリエリです。この説には「なるほどそれか!」と膝を打ちました。三谷幸喜さんならあり得るかと思いますが、この二人でそれをやるのか……と感動を覚えました。その関係性が今後どう変転していくのか、楽しみでもあり恐ろしくもあります。
それにつけても、今日も今日とて小四郎はいろいろな人たちやその勝手な言い分の板挟みで、相変わらず苦労が絶えませんね。今のところは、総大将・範頼(蒲殿)の意外な人徳や調整力で何とかカバーされてはいますが。