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怪獣墓場/『キング・コング』(2005)その一

2006-01-12 13:06:30 | 映画・DVDレビュー

そういう訳で、ピーター・ジャクソン監督による新『キング・コング』
とにかく忠実なリメイクと聞いていたので、「怪獣映画」サイド視点からの理論武装に身を固め、鼻息荒く観て参りました。
で、鑑賞後の感想は、面白いし泣けるし、監督の愛と思い入れがいっぱいに詰まった堂々の超大作であり、1933年のオリジナル以来の、キング・コングを扱った映画としては最高峰である!ということでした。

その上でなお、ではこれが「怪獣映画」か、もしくは「キング・コング映画」なのか?と問うなら、少し首を傾げずにはいられません。
この映画は、言うなれば「メタ=キング・コング映画」----- つまり「キング・コング映画について語った映画」です。

もっともそれは、現代においては仕方ないことかも知れません。平成ゴジラシリーズも、結局はメカゴジラならぬ「メタ=ゴジラ」でしたし、テレビの平成ウルトラマンシリーズなどは、作り手の側がむしろそれを意図して、「ウルトラマン」を再構築する「メタ=ウルトラマン」を試みていました。
ゴジラにしろウルトラマンにしろ、初めてお目見えした時には、何か「時代の必然」というものが背景にあった訳ですが(ウルトラシリーズでは、それはセブンにおいて最も顕著である)、その時代、または背負っていた「何か」と切り離された時と場所に於いては、彼らはそのような形でしか存在し得なかったということでしょう。

新『キング・コング』の時代背景を、オリジナルが公開されたまさに1933年に設定したPJは賢明だったと思います。
しかし、オリジナル公開時、米国を覆っていた「不況」は、当時の観客にとってはリアルに肌で感じ取れるものだったはずですが、2005年の映画としては、当然と言えば当然ながら、「これはこういう時代のオハナシで」と、画面上に示さなくてはなりません。つまり、そうやって物語の時代背景を「説明」しなくてはならなくなった時点で、結局それはオリジナルの負っていたものから乖離せざるを得ないということです。
勿論、当時のNYの状況とアンのステージのカットバック(モンタージュ)は、テンポも良く、導入としては非常に効果的ではありましたが。
デナムがヒロイン役候補として何人かの女優の名前を挙げる中に出て来る、「フェイ・レイ?彼女はRKOの新作に出演予定だ」というような台詞は、単なるオマージュや楽屋落ち以上の意味があったと思います。

そして、最大の改変、即ちジャック・ドリスコルのキャラクターを航海士から脚本家(劇作家)に変えたことこそ、この映画が「『語る』ことを予め求められた物語」であることの象徴だと思えるのです。
更に劇中劇でのアンの相手役(バクスター)を別に設定したことと彼の性格付けが、オリジナル版ジャックの皮相性への批評になってもいます。
船上で撮影される二人の「会話」シーンは、オリジナル版アンとジャックの会話そのものなのですが、それもPJ版ジャックの書いた台詞がバクスターのアドリブで「改変」されたものだという辺り、そうした「ズレ」そのものの中にも批評性が見て取れると思います。

そういう「メタ」性が最も効果的に顕れたのが、NYの劇場でコングが見世物にされるシーンでした。
あの時あのステージ上で行われたあのショウこそ、音楽、「原住民」の扮装、「アン」の位置に到るまで、1933年のオリジナル『キング・コング』の髑髏島の再現なのです。
この取り上げ方にも、なるほど!と思わず感心しました。

この映画のデナムは、もしやPJの自画像?という声も公開前にはありましたが、実際に観てみると全く違いました。
PJによれば「若きオーソン・ウェルズのイメージ」とのことですが、初めの方の、プロデューサーや出資者たちへの試写のシーンで私が思い浮かべたのは、「史上最低の映画監督」------ と言うより、ティム・バートンの映画で有名なエド・ウッドでした。
ウェルズもエド・ウッドも、その才能には天地ほどの開きがあったかも知れませんが、ともに映画監督の「夢」でありイコンでもあります。
しかしPJ本人は、彼らのような、またデナムのような、「映画を作ること」そのものが「業(ごう)」となってしまった監督とはタイプが違うでしょう。
PJはやはり良くも悪くも「オタク監督」であり、自ら作り手となったオタクの多くがそうであるように、批評的な目で対象を捉え、それを再構築することに長けた人であるように思います。

ちょっと名前を出したついでに申し添えておくと、私はティム・バートンの、それこそオタクっぽいドロドロしたものを抱えていそうな所や、屈折や照れや悪趣味さと、それを突き抜けた悲痛なまでの叙情性も大好きです。
しかしピーター・ジャクソンは、より論理的で冷徹な視点や(それがまた諧謔性に通じる訳ですが)、大きい物語を作り上げる力を持つ人だと感じられるのです。
この映画を観て改めて、映画『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズに対する「まるで『指輪物語』の二次創作みたい」という意見は、的を射たものであったと思うに到りました。

長くなりましたので、以下また明日に。

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