「新嘗祭」は天皇陛下のお祭りです。
毎年、新しく獲れたお米を天照大御神に捧げられ、天照大御神と一緒に食されるのです。
天皇陛下にとって、最も重要な行事なのです。
戦後、天皇の私的行事になっており、憲法には書いてないわけです。
天皇陛下が国家の繁栄と国民の幸せを祈られるという行事で、これこそ本来の天皇陛下の神事なわけです。
国家の繁栄と国民の幸せを祈っておられ、決して自分のことを祈っているわけではないということです。
なぜ戦後、「新嘗祭」が廃止されたかということです。
なぜかわからない「勤労感謝の日」になってしまいました。
なぜ、G〇Qが「新嘗祭」を廃止したのか、日本の伝統的な祝日を廃止したのかということです。
戦勝国ア〇リカが自分の都合のいい国に作り変えようとしたわけです。
それはなぜかというと、あの先の大戦において日本軍が強かったからということです。
日本の精神力が最大限に発揮された、それを目の当たりにしたア〇リカが、この日本の精神力の基になっているものを破壊しようとした。
未だに、ほとんどのメ〇ィアがあるいは知識人が、保守と称される知識人も、戦後の秩序を擁護しているわけです。
常識で考えればおかしなことです。
日本の弱体化政策、日本人の劣化政策を有難く拝聴している、未だにそれを続けているということです。
G〇Qがア〇リカが日本のためを思ってやってくれるはずがないわけです。
皇室を頂く日本精神を潰そうとしたわけです。
それが、日本の伝統的な祝日を、事実上全て廃止してしまったということなのです。
単なる国民にとって休日になってしまったわけです。
1952年をもって日本は独立したはずなんですが、そうはなっていない。
それはなにか?
そこに巧妙な植民地支配のメカニズムが働いているということです。
日本を引き続き占領が終わってからも基本的には日本を支配する。
どうやって支配するかというと、日本人を使って日本を支配するということです。
どういう人たちが占領軍の代理人になっているか?
戦後、民主主義者と称される人たちです。
マ〇コミ、学会は戦後利得者という人たちです。
G〇Qは高職を追放しました。
つまり、まともな人を追放したわけです。
そこに入って来たのは二流の人たちです。
一流でない人たちが日本の支配者になった。
つまり、形を変えた植民地支配なのです。
植民地創始国ア〇リカの意を呈して、日本の言論あるいは政治を抑えてきた二流の人たちが、現在も日本の支配層にいるということになるわけです。
とにかく、〝新嘗祭の心を忘れた人〟が日本の支配者なのです。
我々はそれを今、冷ややかな目で客観的な目で見なければならない。
その目で見ますと、新嘗祭の精神で見ると、いかに今の言論界が乱れているということが、すぐ分かるわけです。
それは、私たち一人ひとりの役割でないかと思います。
もう我々は政治家とか、いわゆるエリートには期待できないわけなのです。
大学の先生にも期待できません。
大学の先生は、そういう植民地支配のむしろ利権者、利得者ですから、皆ではありませんが、多くはそうです。
新嘗祭一つをとっても、日本がいかに戦後虐げられてきたか、精神的に虐げられてきたかがわかるわけです。
M氏「米国が密かに行う日本弱体化政策の実態」より
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