「とくダネ!」NYコーナーで取り上げていました。
説明が難しい・・・「Sontaku」 海外報道「総理は活用上手」。
「Sontaku」
指示されてはいないが、自ら感じ取った〝期待〟を裏切らないように実行すること
アメリカで森友余波。
シンガポールでは絶対ないそうです。
いにしえの都「奈良」
かつて、その中心部があった「平城宮跡」
阿修羅像を作ったのは誰だったのか?
万葉集の専門家で、奈良時代の文化や、その時代に生きた人々の思いを研究している、奈良大学教授の上野誠さんに話を聞く。
「大極殿」
簡単に言えば古代の永田町。政治の中心。中心を表す言葉が大極殿の大極で北極星を表していますから、宇宙の中心。
奈良の都でひときわ大きく美しかったという大極殿。
その主こそ、阿修羅像と深い関わりがありました。
大極殿の中には当時の日本が置かれていた状況を象徴するものが。
それは、東西南北を守る中国の守り神。
東側には青い龍「青龍」
西側には白い虎「白虎」
南側には鳳凰にも似た「朱雀」
北側には亀と蛇が合わさった「玄武」
当時の日本は中国、唐から政治や文化を学び独自の発展を目指していました。
大極殿の中には天皇の玉座がある。
天皇がお座りになる椅子「高御座(たかみくら)」。
この八角形の中に天皇が座ることで、天皇が宇宙の中心にいるということを表すわけです。
阿修羅像が作られたころ、玉座に座っていたのは聖武天皇(701~756)。
その妃こそ、阿修羅像を作らせた人物、光明皇后(701~760)。
あの東大寺の大仏を作ることを聖武天皇に薦めたのは光明皇后だと言われます。
日本に仏教文化を広めた女性でした。
苦しみの始まりは執着
欲を捨てればどこまでも楽になれる
ドラマ「ホジュン~宮廷医官への道~」54話
恭嬪(コンピン)王の第一側室、光海君の母が死を前にしてホジュンに言った言葉。
自分が手に入れた幸せや富、名誉がどれほどはかないものだったのか、改めて実感する恭嬪。