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デュピルマブ(デュピクセント)使用報告

あれから一年。。。

2012-03-12 | 気ままな日記
3.11から長いようで短かった1年が過ぎました。
思い出すと、さまざまな記憶と感情がわき出てきて複雑すぎて、
文章にまとめるのが難しいけど、備忘録として書いておくことにします。

東日本大震災は、私にとって実家で被害があった阪神大震災よりも
衝撃的で、生涯でいちばん影響を受けた出来事でした。
テレビをみて茫然とし、あんなに涙が流れたのも初めてでした。

特に原発事故と水素爆発後の私の行動は、まさに  でした。
本当の情報を得ようとやっきになって、
ニコニコの東電会見を見たり、UstreamのIWJの配信を見たり、
ツイッターや日頃やらないチャットをしてみたり…
知ったのは驚愕の事実でした。
3度目の爆発があったら、すぐに関西の実家に帰れるように
フライト予約を毎日したりもしました。やりすぎじゃありません。
政府が事故直後に「天皇陛下の関西一時移転を検討していた」と
今になって報道されるけど、本当に危機だったということの証明です。
1年前テレビなどは全く頼りになりませんでした。
結局わたしの心配は杞憂に終わって本当に良かったと思います。
命がけの現場作業員のおかげです。

わかったことは“事故直後の大衆メディアの報道はウソ”でした。
「パニックを避けるため政府は国民をだます」という事実は今になって
はっきり報告が次々出てきてますよね。
日本政府とメディアを過信してたことにショックを受けました。

反対に、日本人はとても我慢強くて優しい国民なんだと再認識。
平日都心でも大きなパニックはおきず、みんな冷静でした。
そして、以前仕事で契約関連の仕事でかかわったことがある 
自衛隊は“面倒くさいところ”という認識でした。
それは組織(政府機関)だけで、自衛隊員の一人一人は、
使命感いっぱいで、素晴らしい働きをされてました。
つらい任務だったでしょう。
私にできることといえば、わずかな寄付やボランティアに物資を
提供することくらい。役立たずな自分がくだらなく思え、
何か大きく価値観が変わった気がします。

3月いっぱいは日常の買い物が不自由でした。
水や牛乳がスーパーの棚から無くなるし、保存食もしばらく品切れでした。
目に見える奪い合いこそないけど、軽い“争奪パニック”
が起きてました。当たり前の生活は、当たり前などではなく、
蛇口から使いたいだけのお湯が出ること、いつも明るいことは幸せなのよね~
日本に生まれたこと。それだけでとても幸福なことです。

一部の物不足は2週間ほどでした。
これで次に地震が起きたときにどの程度、備蓄が必要かという基準が
できたように思います。首都圏直下だと目安にならないかな。。。

4月からは放射性物質の暫定基準値が見直されるそうです。
新基準値
やっとか~ 待ってました! って感じ。
風評被害の元であった高い暫定基準値がようやく見直される
ことになって良かったです。まだ安心とはいえないけど、
これを機に、すこし野菜購入の自己規制をゆるめることにします。
いつまでも気にすると、そのストレスのが体に悪いよね。
でもキノコだけはまだ要注意かも 

地震や津波は自然災害だから、日本に住む限り仕方のないことです。
でも、原発事故は完全な人災です。
避けようとすれば避けられる災害を放っておくのは、愚かなこと。
東日本大震災を今後おきるだろう大震災への教訓と
しないと、被災者が浮かばれません。
多少電気料金が上がったとしても、原発はもういりません

まだ34万人もの被災者がいるそうですね。
家族、故郷、多くを失った人たちが一日でも早く、
笑顔になって、復興が順調に進みますように 
ほんの少しずつでも元の生活を取り戻そうと頑張ってる
人たちを見ると、人間って強いな~、
きっと大丈夫!て気がします 


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