(息子1からの続き)
たかちゃんの歯肉の腫瘍は、
しばらくそのままの状態であったが、
症状である痛みや口が開かないということは徐々に消えていった。
息子が飲食の仕事を辞めて、
たかちゃんと一緒に働くことについて、
たかちゃんは喜んでいたが、
私は、今までの息子の行動ややり取りで、とても不安だった。
息子は、飲食店の料理ではなく、経営をしたかったことを聞いていた。
たかちゃんは、うちの仕事で稼いで、それをすればいいと安易なことを言っていた。
たかだか数人の会社で、息子が来たことをよく思っていなかった人もいる。
この3年後にたかちゃんは、関節リウマチ、5年後に難病、癌末期となった。
その度に息子は、
たかちゃんに代わって仕事をしていた。
たかちゃんが難病で入院すると、
ほぼ決まっていた大手の自動車工場2社の仕事は、無くなっていた。
息子では、まだまだ力不足で断られた。
この仕事が決まったら、たかちゃんも現場に行くこともなくなるねと話していた。
息子は、
たかちゃんが亡くなってからも、仕事は真面目に、まわりからの助けも借りて順調であった。
時々、
私も息子のに仕事に同行して、技術を見ていた。
息子の仕事は、
お金の儲けを考えず、ただひたすら丁寧だった。
仕事のスピードも早く、説明も的確で、たかちゃんの仕事の厳しさは引き継いでいた。
たかちゃんが亡くなる2週間前には、
息子の一級の技能士試験の対策に、車イスのたかちゃんが自宅で教えていた。
たかちゃんは、
その試験の結果、受かったのを聞いて亡くなった。
たかちゃんが亡くなっても、
娘が結婚して家を出ていくまでは、
3人で食事に行ったり、ワンコを連れて公園に行ったり、自宅で話をしたりと、
息子「仲良く仕事をやっていこうね」
いつまでもこれが続くと思っていた。