あちらはいかがですか、たかちゃん?

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回想:北海道移住への準備

2021-10-05 06:00:00 | 日記
(息子5、息子との決裂からの続き)
今から5年半前の回想



たかちゃんも母も亡くなってしまった。
今は私とワンコだけ
あるのは自由のみ

これで
息子が成長するのか、
会社をつぶすのか、
息子次第

そうだ、北海道に行こう。



まず、生活の基盤を作らないといけない。
今まで、たかちゃんとの仕事以外は、
看護師でたまに働いていた。
ずいぶん前であった。

私は、
社会福祉協議会での、自立支援のデイサービスが
とても好きだった。
今さら医療はできない。

期間限定で、
近くのデイサービスで働こう。
すぐに見つかり、1日4時間だけ
家の仕事をしながら
3ヶ月限定で働くことになった。


次に、私の仕事の引き継ぎを。
この日から、ノート2冊に詳細をまとめた。

一年間の流れ、
歳暮、中元、年賀状のリスト、
経理の仕事としての厚生年金、雇用保険、社会保険料、所得税の算出方法、
社員への給料明細、
毎月の支払い、
健康診断の提出書類、
帳簿の入力の仕方、
たかちゃんから引き継いだの過去の資料、
申請書類の時期と方法、
協力会社としての書類、
決算の方法、
メモリースティックの整理、、

やることは山ほどあった。

息子に私の仕事を教えて、3ヶ月、
確認してからの旅立ちとした。



息子は事の大変さに、イライラし始めた。

見かねて叔父がやってきて、
どうにか丸く納めようとしたが
「私は、これでいいと思っている。」

息子からの提案なのか、
叔父の助言なのか、

息子「お母さん、もう働かなくていいから、この家にいてよ。
お金は給料全額は出せないけど、
生活できる金額をだすから。

息子が、
何もしない私にお金を、、
とんでもない、
1つ言えば、5つは返ってくるような息子だ。


いつの間にか、
息子への子育ての教訓ができていた。
(いくつになろうが、子育てに終わりはないというのが
息子への教育方針。
子育てはいくつになってもやり直せるという友人の言葉から)

息子が発した言葉は実行させる。

発した言葉には責任を持ってもらう。

「お母さんなんか居なくても、やっていける。」
その言葉通り、やってもらわねば。



これを知った友人や知人が来たが、
私の強い意思に何も言わなかった。
所詮、親子喧嘩だからと思われてたと思う。

姉や弟も、
仕方のないことと思ったようだ。

私の幼稚園からの親友だけが
「私は、あさりを絶対に行かせない。」
私「永遠の別れじゃないんだから、連絡できるしさ。」

娘は
「いいんじゃない、お母さん、好きにして。」



不動産屋とは
賃貸契約の書類や、賃貸広告の確認をして。

出ていく前には、
家のリフォームと出てからのプロの清掃も頼んだ。

後は、
大事な会社の基盤を担う、
税務をお願いしていた公認会計士に
「後のことはよろしくお願いします。」
と頼んだ。
私が降りることをとても残念がっていた。
20数年に渡る付き合いと
たかちゃんとの仕事の思い出を共有してきた人であった。

公認会計士は税務署寄りの人。
厳しい経費の区分けに不満があった時期もあったが、
絶対的な正義感で、
税務署のお尋ねは一度もなかった。

最後に一言、
「家を貸すお金は、ちゃんと申告してよ。」


北海道での住まいは
ネットで賃貸物件を借りた。

一度だけ、雪の降る日に、札幌に行き、
賃貸契約をして、
鍵をもらっていた。

札幌駅の隣駅

早くも、札幌の街を歩いていた時、
滑って転んでしまった。


2016年4月
引っ越しの手配をして、皆に挨拶をして
車にお布団一組を積んで、
ワンコとたかちゃんの遺影と位牌を乗せて、
車で出発した。

出発の前日に、引っ越し業者が来て
荷物を運び、
ガランとした家のリビングで
正座をして
「今まで、ありがとうございました。」
思い出が一杯の家に挨拶をした。

お世話になった人や近所の人にも挨拶を済ませた。



朝早くの5時の出発に、
見送りは断った。