たかちゃんが亡くなってからの家族ってなんだろう?
こんなこと、
たかちゃんが病気で入院していた時も、
癌末期で家にいた時も、
なにも考えることはなかった。
たかちゃんが居れば、
普通の家族
そう思っていられた。
それが、
たかちゃんが亡くなって、、
うちの場合は、子ども達は仕事をして、それぞれ、自分の人生を歩んでいた時期。
仕事が一緒の息子がいなければ、もう手の離れたこどもたちを見守るだけだったと思う。
40代で夫を亡くされた女性、
その当時、そのお子さんたちは高校生二人。
その女性に
「子供達が大きくなって、もう働くような年になった子どもを持って夫を亡くすほうが、私よりもかわいそうだ。」
そう、言われた。
初めはその意味がわからなかったが、だんだん実感している。
子どもが成長過程にあれば、
きっと一緒に到達地点に向かって、同じ時間を共有して同じ目標があっただろう。
私は親を亡くして、
親は先に亡くなるのが当たり前だから、
そんな気持ちがある。
だから、わたしの子ども達もきっとそうなのかもしれない。
でも、私にとって配偶者のたかちゃんを亡くしたのは、違う。
そんな子ども達との温度差が、
あった。
子供達は
いつまでも、うなだれている私を理解することはできなかっただろう。
私は、未来がなくなってしまったけれど、
年若い子供達には、そんなことはない。
私は、
人生にも人にも、ひねくれてしまった。
いやになってしまった。
自分の境遇に、心がついていけなかった。
家族だから、子ども達も
一緒にたかちゃんの死を悲しんでいたと思う。
でも、時が経てば、
子どもたちはずっとずっと先をみて、人生を歩んでいる。
私は、と言えば、
たかちゃんが亡くなった、その時間?場所?でずっとずっと、たたずんで止まっている。
仕事はしてる、毎日動いている。
でも、心は止まっている。
止まっている心と
日々、動いている世の中で、その波に乗って動いている自分は
まるで別の物。
この相反するものが、一致したら、
きっと、子ども達との温度差がなくなるのかもしれない。
でも、
7年経って、
そんなことは一生ないような気がする。
せめて、
毎日、動いている世の中に合わせて動いていたら、
波に漂う魚のように。
波は、仕事だったり、子育てだったり、介護だったり、趣味だったり、
それをしていたら、そのうち心も変わるのだろうか、、、
私は、心が変われるならと
いろいろ行動してきた。
今まで
今日の今日まで、
ずっと、、
足掻いてきたのだと思う。
でも、なかなか変わらないものだ
また今日も
足掻いていて、
生きている。
この写真は
たかちゃんと住んだ家の近くのけやきの木
老人施設の建設のため、切られる前日に撮った。