(息子4の続き)、、今から5年半前のこと
「私は、もう、降りよう。」
息子の仕事から消えよう。
ある程度の構想が決まった日に、息子に
「お母さんは、仕事をやめるよ。
お母さんの給料は、他に代わる人を雇うか、自分でやるのかはわからないけど、考えてやっていって。」
息子は
「俺のせいで辞めるのか?
それともお母さんが好き勝手したいから辞めるのか?」
と聞いてきた。
答えはどちらもなのだが、もう口論をしたくないから、
私「残りの人生、好きに生きたい。」
もう、こんなことはどうでもいいと思っていた。
結局、
息子には
見積り、出来高、請求の仕事をシフトダウンしていても、お金をまわすことはしてない。
お金にどれだけ執着するかが、
仕事の原動力だが、
全体を把握せず、俺には関係ないと言ってるようでは、この先、何も変わらない。
いい潮時なのかもしれない。
たかちゃんが亡くなって1年と数ヶ月のことである。
たかだか数人の会社は、大企業と違って、
お金が回らなければ、自分の貯金で貸借として用立てる。
大企業なら銀行融資となるところを。
そういう時のお金を通帳に残した。
たかちゃんは、
貯金はすべて私と、遺言したが、
相続の遺留分請求金額は、息子、娘に渡した。
息子、娘は
遺留分請求はしなかったが、この先、結婚や家を買う時に足しになる。
その残りのお金で、
私は、残りの人生をやっていかれるのか、、
数日、金勘定の日々を過ごしていた。
たかちゃんと20数年過ごした家は貸すことにした。
たかちゃんが亡くなってから、
いつ頃からか、
家はたかちゃんの抜け殻としか感じなくなっていた。
家を貸すお金と遺族年金、
遺族年金は
厚生年金のかけ年数が少ないから、これで生活はできないし、
貯金は
私が平均寿命まで生きるとして足りるのかな、、、
どっちにしろ、働かなければ、、
たかちゃんが亡くなってから、
どうにもならなくなると、
とても他人には見せられない、心の内を書きなぐったノートがある。
そこに、
どうにもならなくても生きていかないといけないなら、死ぬまでに何がしたいのか書いたものがある。
その一つに、北海道に住みたい。
これは、
たかちゃんに出会う前の、私の夢でもあった。
息子とも距離は必要だし、
海を渡ったところまでは、
文句を言いに来ることもないだろう。
60才過ぎたら出来ないかもしれない、
今の50代前半なら、出来るかも。
たかちゃんも母も亡くなってしまった。
みんなで住むつもりでいたのに、
今は私とワンコだけ。
あるのは自由のみ。
これで
息子が成長するのか、
会社をつぶすのか、
息子次第。
そうだ、北海道に行こう。