(息子3からの続き)
そのうち、何度か息子と口論になった時
、
息子「お母さんなんか居なくても、仕事はやっていけるんだよ。」
その言葉は、さすがにショックだった。
私「居なくてもいいのね。」
息子「ああ。」
たかちゃんは、亡くなる前に言っていた、
「家と貯金はお母さん(私)に。仕事は◯◯(息子)に。」
たかちゃんは、遺言書を残していた。
たかちゃんと私は、二人三脚で仕事をしてきた。
お金ない、学歴ない、家ない、親なしのないない尽くしのたかちゃんは、
仕事を独立するときのお金を銀行で借りることもできず、
仕方なくサラ金のようなところで借りていた。
若かった私は、延々続く返済がまだ終わらないと、毎月返済していた。
独立して1年半は利益も上がらず、6ヶ月の息子を預けて、私は看護師をしていた。
サラ金のようなところで借りていたのを知ったのは、返済が終わってから。
それでも、たかちゃんの仕事はキレイ、早いと仕事が切れることはなかった。
だんだんインフラ(生活基盤の関係するもの)に関連するものに絞って、仕事をしてきたのもよかった。
いつも、たかちゃんとは仕事の方向性を話し合って未来をみてきたのだと思う。
まわりの人達も協力的で、これにはこの資格が必要だとか、いろいろな情報をくれ、仕事の傍ら資格をたくさん取ってきた。
バブルがはじけても、リーマンショックがあろうとも仕事はあった。
お正月もお盆も土日も関係なく働いてきた。
しかし、、
息子との仕事は面白くなかった。
世代の違いで仕方ないのか、たかちゃんと比べてはいけないのだが、
つまらない。
息子は息子で、
娘が結婚して愚痴る相手をなくし、
バランスを崩し、
里帰り出産で、娘と仲良くしている私にまでやきもちをやいていたのかもしれない。
日々、私は、悩むようになった。
私をいらないと言った息子。
売り言葉に買い言葉かもしれないが、、
私の突拍子もない、考えが、、
たかちゃんが亡くなって、私も居なくなってしまおうか。
たかちゃんの先輩の人に相談した。
その先輩から
「◯◯君(たかちゃんの名前)は◯◯君のやり方があったけど、息子さんには息子さんのやり方でいいんじゃないのかな、、」
そう言われた時に、私は、たかちゃんの今までのやり方にこだわっていたのかもしれない、
「もう、私は、降りよう。」
息子の仕事から消えようと。