21:29 from Seesmic twhirl (Re: @baoh)
@baoh 私は「ヤマト」派で,彼女は「猿の軍団」派。週明けに会うと必ず「今週の話がいかにすばらしかったか」をプレゼンし合う。私が「猿の軍団」をみたのは90年代に入ってから。「猿の軍団」派に先見の明はあったようだ。
21:32 from Seesmic twhirl
『日めくりカレンダー(昭和49年)』。西城秀樹をフィーチャーしてるけど,この番組は『愛と誠』に言及するんだっけ?
21:35 from Seesmic twhirl (Re: @baoh)
@baoh たまたまSF好きな日陰者どうしが肩寄せ合っていただけですよ。高校のSF同人(6人)にも「紅一点」で女性がいましたが,機嫌を損ねないように,みんなで大事にお姫様扱いしてましたよ。
21:46 from Seesmic twhirl
1974(昭和49)年,私は高二で,男ばかりの「映画班」に所属していた。一方,SF同人で主に評論を書いていた。同人誌はまだガリ版で印刷していた。家にガリ版道具一式が揃っていた。他校生のSF好きな女子と付き合っていた。彼女は文芸部に所属していたが,その高校にSF同人はなかった。
21:51 from Seesmic twhirl (Re: @baoh)
@baoh 中学のときの「歴史班」,高校のときに食客として出入りした「美術班」も紅一点でした。大学では確かに「紅一点」は珍しかったですね。というか,大学では昔から女性はつるんでいた印象が…。
21:59 from Seesmic twhirl
1974(昭和49)年って,狐憑き(こっくりさん)からUFOへと,日本人(若者)の集団幻想の壮大なる代替わりが起こった年だったのだな。 参考:内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』講談社現代新書
22:04 from Seesmic twhirl
「UFOナンパ」か……。70年代末までは有効だったな。人目がない山中まで女性を連れ出す口実として,「UFO」は実に都合が良かった。そんなアホらしい口実で誘うオトコが狼に変貌するわけもなく。
22:13 from Seesmic twhirl
少なくとも関西において「タカラヅカをみないティーンエージャー」は考えられなかったはず。女性はむろん男でさえ。吉本新喜劇と並ぶ「基礎教養」。『ベルサイユのばら』初演はチケットがとりやすかった記憶が。
22:28 from Seesmic twhirl
1974年当時はセ・リーグであえていえば中日ドラゴンズのファン。家が「中日新聞」専売店だったから,家の利益(笑)が選手の年俸の一部。しかし,20年ぶり2度目の優勝は長嶋茂雄の引退の喧噪に掻き消されたのだ。
22:37 from Seesmic twhirl (Re: @baoh)
@baoh 少なくとも,東京―博多とか新大阪―鹿児島中央とかの距離は,採算を度外視しても食堂車を営業したほうが,飛行機との競争を考えてもよいと思いますけどね。
22:43 from Seesmic twhirl
関西では「十三参り」(数えで13歳)で虚空蔵菩薩に知恵を授けてもらい「元服」となる。私も嵐山の法輪寺に参詣した。確かに,身体的には「元服」したことは間違いない。それが「阪神タイガース・ファンになること」とイコールではないのは当たり前だ。
22:51 from Seesmic twhirl
74年「紅白歌合戦」で西城秀樹がまとった「怪傑ゾロ」風衣装を,75年の文化祭で真似することになる。なんとも身の程しらずなふるまい。
by redtail2733 on Twitter
@baoh 私は「ヤマト」派で,彼女は「猿の軍団」派。週明けに会うと必ず「今週の話がいかにすばらしかったか」をプレゼンし合う。私が「猿の軍団」をみたのは90年代に入ってから。「猿の軍団」派に先見の明はあったようだ。
21:32 from Seesmic twhirl
『日めくりカレンダー(昭和49年)』。西城秀樹をフィーチャーしてるけど,この番組は『愛と誠』に言及するんだっけ?
21:35 from Seesmic twhirl (Re: @baoh)
@baoh たまたまSF好きな日陰者どうしが肩寄せ合っていただけですよ。高校のSF同人(6人)にも「紅一点」で女性がいましたが,機嫌を損ねないように,みんなで大事にお姫様扱いしてましたよ。
21:46 from Seesmic twhirl
1974(昭和49)年,私は高二で,男ばかりの「映画班」に所属していた。一方,SF同人で主に評論を書いていた。同人誌はまだガリ版で印刷していた。家にガリ版道具一式が揃っていた。他校生のSF好きな女子と付き合っていた。彼女は文芸部に所属していたが,その高校にSF同人はなかった。
21:51 from Seesmic twhirl (Re: @baoh)
@baoh 中学のときの「歴史班」,高校のときに食客として出入りした「美術班」も紅一点でした。大学では確かに「紅一点」は珍しかったですね。というか,大学では昔から女性はつるんでいた印象が…。
21:59 from Seesmic twhirl
1974(昭和49)年って,狐憑き(こっくりさん)からUFOへと,日本人(若者)の集団幻想の壮大なる代替わりが起こった年だったのだな。 参考:内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか』講談社現代新書
22:04 from Seesmic twhirl
「UFOナンパ」か……。70年代末までは有効だったな。人目がない山中まで女性を連れ出す口実として,「UFO」は実に都合が良かった。そんなアホらしい口実で誘うオトコが狼に変貌するわけもなく。
22:13 from Seesmic twhirl
少なくとも関西において「タカラヅカをみないティーンエージャー」は考えられなかったはず。女性はむろん男でさえ。吉本新喜劇と並ぶ「基礎教養」。『ベルサイユのばら』初演はチケットがとりやすかった記憶が。
22:28 from Seesmic twhirl
1974年当時はセ・リーグであえていえば中日ドラゴンズのファン。家が「中日新聞」専売店だったから,家の利益(笑)が選手の年俸の一部。しかし,20年ぶり2度目の優勝は長嶋茂雄の引退の喧噪に掻き消されたのだ。
22:37 from Seesmic twhirl (Re: @baoh)
@baoh 少なくとも,東京―博多とか新大阪―鹿児島中央とかの距離は,採算を度外視しても食堂車を営業したほうが,飛行機との競争を考えてもよいと思いますけどね。
22:43 from Seesmic twhirl
関西では「十三参り」(数えで13歳)で虚空蔵菩薩に知恵を授けてもらい「元服」となる。私も嵐山の法輪寺に参詣した。確かに,身体的には「元服」したことは間違いない。それが「阪神タイガース・ファンになること」とイコールではないのは当たり前だ。
22:51 from Seesmic twhirl
74年「紅白歌合戦」で西城秀樹がまとった「怪傑ゾロ」風衣装を,75年の文化祭で真似することになる。なんとも身の程しらずなふるまい。
by redtail2733 on Twitter