喘息 脱ステロイドへの道!

1998年に喘息発症
23年目の現在、安定中
脱ステロイドを目指しています
時系列の記述は別ブログより

昔のブログを読み返して感じたこと

2021-05-17 13:51:58 | 思うこと


2005年から個人ブログを書いています。
昨日ふと以前の記事を読み返してみました。

喘息の発作で辛かった事や腰痛や頚椎を痛めた事など
ちょっと変わった出来事で急性の記憶喪失というのもありました。

ところが、2016年以来喘息の発作は起きていないし
呼吸が苦しくなることもなくぜい鳴もないのです。

その理由について考えてみました。

まず大きいのは丸山クリニックに通い始めたことです。
定期的に肺機能検査や血液検査をしています。

しかし、昨年末に気管支肺炎が発覚してガンかもしれないと大騒ぎになりましたが、
自覚症状はほとんどなくて、そういえば咳が増えたかなという程度。

宮城に滞在中、治療のため姪の家から片道1時間ほどかけて合計8回クリニックに通いました

帰りに泉中央のセルバで買い物をしたり、
CT検査を受けて結果の画像を持って長町のクリニックに行くための時間待ちのために
カフェを探して地下鉄一駅分歩いたり
その運動量は自宅にいる時以上でした。

以前風邪をこじらせて気管支炎になった時は喘息まで発展して動けなくなって
寝込んだことを思い出します。

丸山クリニックに行って、電磁波問題を指摘されて、即ブラックコイルをコンセントに貼ったり
カタカムナドラゴンのクスリ絵を枕元と四方の壁に貼ったり
本当に効くんかい?と思いながら、、、、

特に即効性は感じられないものの、体調を崩すということは皆無。

風邪も引かなければ発熱もなく、酸素濃度も常に正常。
血圧はもともと正常ですが引き続き正常。

丸山クリニックだけではない何かがあるのではないかと2016年当時のことを
思い出してみました。

一つありました。

それは5月27日に富士山5号目で行われたスピリチュアルな集いに泊まりがけで参加した時のこと。

夜の集いで言われました。

「今夜は皆さんに上からメッセージが降りてきます」と。

「さあ皆さんこれからメッセージが降りてきますよ」と言われて目を閉じていましたが
霊感のない私は特に言葉も降りてこずビジュアルを見せられることもなく
何もなく終わるのかと思ったトタン

『何もしなくて良い』

という考えが頭いっぱいに広がりました。

こんな手応えのないメッセージでいいのかしら、と思いましたが
その時の頭の中に広がった感じは今でも鮮明に覚えています。

それから、仕事を全てやめて先のことを何も考えずに過ごしてみることにして
その時からずっと同じ状態です。

それからしばらくして母の介護がスタートして、
先のことは何も考えず介護に専念。

昨年9月に介護生活は終わりましたが相変わらず何もしない生活。
先のことも何も考えていません。

何もしない、何も考えない



これは自分では、楽でいいのですが、
あまりにも世間の感覚とずれているので、ちょっと大変な面も。

周りとのバランスを取るのがちょっと下手で、それでストレスに。

好酸球が増えて気管支肺炎になってしまったようです。

ー*最近は上手くやっていくコツを身につけつつあります*ー



今回の新コロ騒動で思うこと

2020-03-21 17:34:00 | 思うこと
ついにiPhone11に機種変更しました。






それはそれとして、今回トイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなった時に
大いに反省しました。

ティッシュペーパーっていつ頃から安くなったのだろう。
コーナンで激安のティッシュペーパーを大量に買い込んでいました。
安いから、とにかく気楽に使っていました。
その結果ゴミがすごい量に。

それがあの日まで当たり前だったのです。
しかし突然それは当たり前のことではなくなって、ティッシュペーパーを大切に使うようになりました。

あと、大したことがなくても病院に行くという流れも少しは改善されるのではないかと。
自分の身体は自分で管理する人がもっと増えるのではないかと思います。



プロポリスもちょっとあわないようです。

2020-03-21 01:02:00 | 思うこと



富士山がとっても綺麗だった昨日、
プロポリスをやめてみました。

どうもお腹の調子が良くなくて
プロポリスをやめてみたらまた元に戻りました

オリーブの葉の粉末は大丈夫なようです。

今回の新コロ騒動で初めて知ったオリーブの葉の粉末とマヌカハニーその他ですが
今マヌカハニーにハマっています。

✳︎オリンピックは延期にしてほしい〜


今の状況

2019-10-21 01:27:23 | 思うこと


2016年10月19日に初めて丸山クリニックに行ったので
あれから3年たちました。

今、シムビコートを少しずつ減らしています。

前回7月に81日分の漢方薬とシムビコートを6本出してもらっていましたが
漢方薬は2週間ほど前になくなって
今はシムビコートのみ。

漢方薬をのまなくてもあまり変わりはなく
母の往診に来て下さる先生は喘息の人にはシムビコートを出しているとのことで
仙台まで行かなくても近場でコントロール出来るとは
思うのですが、、、、

やはり12月に日帰りで仙台まで行こうと。

光のページェントも見たいし。

妹がなんでわざわざ毎年見に行くの?と不思議がっていますが
2012年から毎年欠かさず見に行っているので、、、

それはそれとして、私の喘息の歴史と丸山先生の歴史が
ぴったり一致しています。

私にとって丸山先生はスピ系の師匠でもあります。

それはそれとして、私は今親の介護生活のため
俗に言う「籠の鳥」状態です。

妹と2人で臨んでいるので、なんとかこなせてはいます

介護生活がスタートしたのは今年の2月15日です。
骨折、手術、退院、ほぼ寝たきり生活。
という流れです。

隣のおじさんは
「私の親も骨折して手術しましたよ。3ヶ月でなくなりました」とのこと。

そうか3ヶ月か。
まあ、我慢出来るか。

ドナルド・キーン氏はもうダメだと言われてから
4ヶ月後に亡くなられたそうで
じゃ、母も6月あたりかもしれない。
なんとか我慢出来るか。

しかし、母は期待に反してまだ元気です。

先日ケアマネージャーさんから言われました。

最高の介護だと。

環境を整えるのは当たり前として、ひとつだけ
自分であみだした手法があります。
と自分なりのやり方について説明しました。

守っているのは嘘のない介護なのですが、
どういう意味かというと、ハラがたったら顔にだす。
嫌なことは嫌だという。
なにしろついさっきの事は忘れるのでなんでも
瞬間の出来事で線になって繋がらないから
助かるわけです。

ただ、母にひどい事を言ったまま寝てしまって
次の朝亡くなっていたなんて悔いが残るじゃないですか

それだけは絶対に嫌なので、1日の最後に熱いお茶と
お菓子で締めくくるのです。
夜中の1時ころに。

母のためというより自分のためです。

とりあえず、1日の締めくくりの熱いお茶で母も
穏やかな気分で眠れるし
次の日の朝亡くなっていても悔いは残らないです。

ようやく10ヶ月かかって得た手法です。

と言ったら
早い方だといわれましたが。

早いか遅いかはともかくとして、
最近母は元気になって来ているのです。

早く介護生活から卒業したい〜!


ウタエルヨーニナッタデハナイデスカ!

2019-09-25 02:15:45 | 思うこと
どこから書けばいいのだろう。



とりあえず、先に浮かんだものからかいつまむ事に。

✳︎ステロイド吸入を始めてしばらくして声が枯れるようになりました。

✳︎私は生まれつき相対音感を持っていて(絶対音感ではなくて)常に正しい音程で歌う事が出来ていました

✳︎ステロイド吸入を続けているうちに、うまく声が出せなくなったと同時に正しい音程で歌う事が出来なくなりました。

✳︎声楽家とかボーカリストだったらすごいショックな事だと思いますが、私の場合鍵盤系だったのであまり問題ではありませんでした。

✳︎2016年10月から吸入剤をキュバールからシムビコートに変えました。

✳︎ある時、喋っていて声が枯れなくなったことに気がつきました。

✳︎そう言えば、大声を出しても咳き込まなくなっていましたね。

✳︎最近ちょっと鼻唄を口ずさむ事が増えました。

✳︎で、音程が正しく歌えているではないですか!

✳︎ということは何か一曲フルコーラスで歌えるかも。
しかも今流行っている歌を

✳︎もともと声域はアルトで低い目。
1番歌いやすい歌手はスティービーワンダーかマイケルジャクソン。

✳︎ちょうど姪から頼まれて「パプリカ」の譜面をおこしたのでこれならイケるかも。
(子どもでも弾けるようにCのキーの譜面をリクエストされていたので)

✳︎しかし子供が歌っているバージョンは高すぎるため
米津玄師バージョンに合わせて歌ってみたところこれがバッチリ。

✳︎フルコーラスの譜面を改めて起こしてピアノも。



弾き語る気マンマン。

でも何故無理なく歌えるようになったのかというと
今毎日腹式呼吸のエクササイズをやっているかららしいです。