新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

『反日種族主義』『反日種族主義との闘争』『反日への最後通告』

2021-02-19 17:59:46 | 新日本意外史 古代から現代まで


『反日種族主義』『反日種族主義との闘争』『反日への最後通告』


この三冊の本は、正しい史観で歴史を観れば真実に到達できる、という証拠を示してくれた大変な「良書」である。
李栄薫氏などは、膨大な日本、韓国、英文資料を渉猟し、その努力の跡が窺われ、日本にとっても素晴らしい仕事をしてくれた。
本来なら、こうした研究は日本の学者が達成するべきなのだが、一人として現れないのは学者どもの怠慢。
私は、学術会議問題で批判した日本の学者の成すべき事の一つに、軍事研究も挙げたが、歴史問題にも期待できないとは、全く情けない。
これらの本は是非とも英訳して世界に発信し、日本の正当性を知らしめて貰いたいものである。


以下は両執筆者の経歴である。


『反日種族主義』とその続編『反日種族主義との闘争』
著者は韓国人、李栄薫(イ・ヨンフン)ソウル大学で韓国経済史研究で博士号取得。
韓神大学、成均館大学教授に就任。定年退職後、李承晩学堂の校長として活躍している。


『反日への最後通告』
著者は韓国人、池萬元(チ・マンウオン)元韓国陸軍大佐。
韓国陸軍士官学校第22期卒業(1966年)、経営学修士(1975年アメリカ合衆国海軍大学院).システムエ学博士(1980年アメリカ合衆国海軍大学院)、
ベトナム戦争出征(作戦将校)、国防情報本部海外情報募集将校.国防企画計画予算制度導入研究員、国防研究員責任研究委員、陸軍予備役大佐(1987年)、
アメリカ合衆国海軍大学副教授(1987-89年).社会発展システム研究所長.ソウル市市政改革委員(1998-99年)、国家安保政策研究所諮問委員(1998-99年)、現在システムクラブ代表、評論家。


慰安婦に対する韓国内での見方。(以下『反日種族主義との闘争』より引用)


 韓国では従軍慰安婦問題は聖域だ。慰安婦出身の女性に敬意をこめて「慰安婦「ルモニ」と呼びかけ、彼女たちは両班家の育ちがいいお嬢様だったと言わなければならない。
非の打ち所がない良家のお嬢様が野獣のような日本の憲兵に強引に日本軍の慰安所に連れて行かれて、性奴隷として毎日数十名もの野獣のような日本軍将兵に凌辱されて身も心も憔悴しきっていた、
日本人は獣にも劣る野蛮人だ、と言わなければならない。
朝鮮の娘たちが自ら慰安婦になったなどと言うのはもっての他だ。
 慰安婦の権利と名誉を守るために設立された挺身隊問題対策協議会(略称・挺対協)も聖域化された組織だ。
戦時下の労働力不足を補うために組織されて工場などでの勤労労働に従事した挺身隊と主に戦地で将兵の性の相手をしていた慰安婦は、性格自体が全く異なるにもかかわらず、
一部の左翼系の女性が一九九〇年十一月十六日に日本軍慰安婦の名誉と人権を守るという名分で「挺身隊問題対策協議会」を設立した。
慰安婦と挺身隊を混同して付けた名称だ。同団体の名称は「慰安婦問題対策協議会」とするべきだった。
 彼女たちは三十年間韓国内外でこの団体名を名乗って国家利益と相いれない不穏な活動を行って来たが、未だに慰安婦問題はこの組織が事実上排他的に独占している。
慰安婦についてこの組織の見解と異なる発言をした人間は、言論人であろうが学者であろうが直ちに糾弾されて訴訟を提起される。
 挺対協は二〇一八年七月十六日に団体名を「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(略称・正義連)に変えたが、一年以上たってもこの名前を知る人は少ない。
長年自分たちが慣れ親しんできた名称をわざわざ変えた理由として、次の二つのことが考えられる。


 一つは、挺対協が悪名高かったからだ。挺対協は多くの韓国民から「慰安婦を口実に反日・反米・反国家活動に奔走している」という批判を受け、
そのたびに大規模な弁護団を組織して訴訟を起こした。現在の韓国司法部は左翼系の判事らに掌握されているだけに、左翼の実勢の顔色を窺ったような判決が多かったことから、
「挺対協が訴えたらみな監獄行きだ」という流行語まで生まれた。だから、この組織の幹部はこの悪名高い名称を使いづらくなり、曖昧で抽象的な「正義記憶連帯」という名称に変えたのだろう。
 もう一つは、挺対協の正式名称が「挺身隊問題対策協議会」だからだ。自分たちが挺身隊と慰安婦を混同していることを露呈するような名称を使うのはさすがに体裁が悪かったはずだ。(以下略)

韓国の共産主義者たちは、日本の憲兵に連れて行かれて慰安婦にされた女性の数は二十万人を下らないと主張している。しかし、多くの研究者の見積もりによると、朝鮮半島出身の慰安婦は一九三七年の日中戦争から
一九四五年八月十五日までの八年間で最も多い年でも三六〇〇人ほどだった。日本軍慰安婦の構成割合を国別に分類して見ると、最も多かったのは日本人(約四割)で、その次が中国、続いて、
朝鮮を含む十力国にのぼる被占領国の順になっている。


 にもかかわらず、韓国共産主義者たちは、日本軍慰安婦はすべて朝鮮人で、その数は二十万人にものぼると主張しており、これまで慰安婦問題に関心がなかった韓国人はその嘘を真に受けている。
韓国で誰もが知っている慰安婦に関するキーワードは、◎強制連行、◎理不尽な強姦、◎嘲りと虐待、◎代価のない搾取などだが、これらには専門家の研究結果と一致しない事実が含まれている。
こうした資料は日本にも在り、良識ある識者や自民党議員でも主張している正しい情報なのである。
慰安婦とは「性奴隷」ではなく、売春婦なのである。朝鮮人慰安婦は多くの場合、親に売られたり、ブローカーに騙さた者が多い。それ以外は自分の意思で慰安婦になっているのが実態なのである。


劣悪な労働環境どころか、月経になれば休めるし、性病予防も徹底していた。給料も多く、朝鮮の親族に毎月送金し、貯金する者も多かった。そして搾取なども無かった。
有名な慰安婦の、文玉珠の回顧録では、美人で歌がうまく、利口で陽気で、面倒見がよかったため、日本軍の将兵の人気が高く、多額のチップを貰っていたという。
だから、現金三万一千円、ダイヤの指輪、ワニ革のバックなどの贅沢品の他に、日本内地の郵便局に五万円以上の貯金をしていたという。
ちなみに昭和20年ころの、サラリーマンの給料は、勤続20年の社員で手取り300円位というデータと比較すると、価値が判るだろう。
「日本軍慰安婦は公認された売春婦であり、日本に拉致されて売春を強要された『性奴隷』ではない」というのが真実。


余談だが、江戸時代の島原の乱の際、幕府は天皇や公卿が討幕運動に勅旨を出すのを警戒し、京の周りに多くの大名を動員して、十五万人もの兵を駐屯させ見張ったので、兵の慰安のため、京に島原遊郭を設置した。
この島原反乱を取って「島原遊郭」と名づけたのが真相である。
日本は昔から従軍慰安婦ともいうべき兵隊のセックス処理のため、売春婦を戦地へ連れて行くのは、通例となっていた。
現在、これが韓国や中国が問題にして騒ぎ立てているが、白人国家は、侵略した土地で女たちを現地調達して、これは苛斂誅求で酷いものだった。
フランスの植民地だったアルジェリアなど、職業も差別され、男はギャルソンくらいしかなく、女の多くは売春婦で生活の糧を得ていた。
そして、一般人の女さえフランス人に要求されれば、どんな場合でも応じなければならず、断れば殺されても文句が言えない状態だった。
日本は自国民をしかもお金を払って買っていたのだから、その残酷度はまるで比べ物にならない。
ちなみに、台湾も朝鮮も当時は日本国であって、植民地ではなかったことを理解しなければならない。


島原の乱については以下を参照されたい。


https://ameblo.jp/yagiri2312/entry-12509273081.html

韓国は「朝鮮併合」に感謝せよ


日本では明治維新により、西洋の文物を貪欲に吸収し、富国強兵、殖産興業政策に力を入れ、列強の地位を目指した。
福沢諭吉が英語の単語を日本語に訳した和製漢語を数多く作った偉業を達成し、渋沢栄一は日本の経営者に論語と算盤を同時に教え、損得のみならず経営者としての高い追徳を身に付けることを勤めた。
朝鮮は、第二十六代高宗(同一八六二~一九〇七)の時代に当たる一八八五年には、伊藤博文が日本帝国初代内閣総理大臣になり、日本は日清戦争と日露戦争で勝利を収めた後、
大韓帝国と乙巳保護条約を締結した。第二十七代純宗は、朝鮮時代を自ら幕引きして日韓併合条約に基づいて朝鮮を日本に献上した。


一九一〇年八月ニト九日には『純宗勅書』が公布された。


 「朕是に於いて決然として内省し、確然として自ら断じ、ここに韓国の統治権を従前より親信依り仰したる隣国の大日本皇帝陛下に譲与し、外に東洋の平和を強固ならしめ、
内に八域の民生を保全ならしめんとする。汝ら大小臣民は国勢と時宜を深察し、煩擾すべからず」


これを見ると、日本が朝鮮を強制的に武力によって、占領したといういわゆる日帝強占の話は全く事実ではない。日本は朝鮮を強制的に占領したわけではない。これは韓国共産主義者たちの謀略にすぎない。
当時の朝鮮には内乱と外国の侵略から王室を保護する能力すらなかった。自力では持ちこたえる自信がなかった王室が日本に支援を要請したのである。
高宗や純宗、大院君や閔妃らは宮中で権力争いに明け暮れ、外の世界がどのように変わっているのか、そして、その変化が今後何を意味することになるかということに、まったく目がいかなかったのである。
今になって韓国は「朝鮮併合は違法だ」と騒ぐが、併合後の日本が僅か十年で朝鮮にどれだけ金と労力をつぎ込んだか分かっているのか。
そして日本が世界を相手に戦いあえなく敗れた際、国も、企業も個人も、全ての金と施設(財産)を置いて、裸一貫で朝鮮から引き揚げたのである。
そして彼ら朝鮮人は、日本が残した財産を利用して、経済的発展ができたのである。
経済、教育、社会インフラその他もろもろの礎は日本築き上げ朝鮮に残してきたものなのである。
日本が併合したおかげで、自由主義の国として韓国は残った。さもなくば今頃は北朝鮮と同じく共産国家として、中国かソ連の属国となっていただろう。
有難かったと感謝されても、文句を付けられる謂れは微塵もない。
現在、日本人でさえ韓国の捏造情報を鵜呑みにして、ある日憲兵が突然やってきて、朝鮮娘を強引にトラックに積み連行した。と、
「強制連行」を信じ込んでいる者たちも多い。
以下に「強制動員」と「強制徴用」の本当の意味を書いておくので、よく理解してもらいたい。『反日種族主義との闘争』P-80-より引用。


先ず、強制徴用の否定についてお話しします。
 私は徴用を否定したりしていません。一九四四年九月から徴用が実施され、これにより二十二万余名の朝鮮人が日本に動員されました。
徴用に応じなければ、一年以下の懲役か1000円以下の罰金に処されました。このように、徴用は明白な強制でした。
したがって私は、「法律が規制する強制的な動員方法だったと記しました。それにもかかわらず強制徴用を否定している、という批判が提起されるのは、私の文章を間違って読んだのでなければ、
「私が、強制徴用という言葉自体が事実を歪曲する虚構的な概念だ」と批判したためだと考えられます。


 徴用はそれ自体が強制であるにもかかわらず、わざわざ「強制」という単語を付けています。
もし韓国で徴兵を「強制徴兵」と言えば、人々は笑うことでしょう。同じことです。それでもなお敢えて「強制」という言葉を付けたがるのは、徴用に「奴隷のように連れられて行った」という式の、
奴隷狩りのイメージを塗り付けるためです。意図したことではないのかも知れませんが、結果的にはそうです。しかし徴用は、基本的にそういうものではありません。
 当時、徴用令書と呼ばれた令状が出ると、対象者は令状を受領しなければならず、決められた時間と場所に出頭し、身体検査と適性検査を受けました。


それを通過すると面事務所や郡庁に再度集まり、釜山や麗水に集団移動し、そこで日本の会社から来た労務担当者の引率下、連絡船に乗って海を渡りました。
徴用にはこのような定められた法規かあり、それに則って行なわれたのであり、デタラメに手当たり次第に捕まえてトラックに載せ、荷物のように日本に運ばれたのではありません。
"強制動員”も、事実を誇張し歴史を歪曲する概念です。徴用に先立ち一九三九年九月以降、満五年にわたり「募集」と「官斡旋」という方式で労務動員が行なわれました。
募集と官斡旋は、基本的に個人の自発的な意思によるものでした。日本に動員された七十二万余名の労務者の中で、徴用されて行った二二万名ほどを除いた約五〇万名が、そうして日本に渡りました。
徴用されて行ったとしても、一年足らずで戦争が終わったので、労務動員において徴用の持つ意味は、さらに小さくなります。
"強制動員"という概念の下では、日本に動員された全ての朝鮮人は奴隷になってしまいます。


しかし、募集と官斡旋で重要だったことは、新しい場所で自身の運命を開拓しようとした朝鮮人たちの自発的な意思でした。このような意味で"強制動員”は歴史の真実を歪曲する概念です。
私は、「たんに『労務動員』とだけ表現すればよい」と主張しています。このことで「"強制動員”を否定した」と批判するのは、私の主張の論点をぼやかすことです。
以下略
その他、この三冊は、韓国大法院の歪んだ判決、竹島問題等々・・・・・詳細な分析がなされ、文在寅大統領一派の考え方がよく解る優れた書物である。