『評決のとき』
久しぶりにCATVで『評決のとき』を観た。この映画は25年前の名作である。
主役は弁護士役のマヒュー・マコノヒー。
被告役の黒人俳優サミエル・ジャクソン
検事役ケビン・スペイシー
主役を助ける法科学生役サンドラ・ブロック
テレビ映画24シリーズや、「宿命の大統領」で活躍しているキーファー・サザーランドが悪役を好演。
同じく名作「針の目」で、ドイツのスパイを演じた名優キーファー・サザーランドが、主役の恩師。
そうそうたる俳優たちの布陣である。
名作「十二人の怒れる男」(ヘンリー・フォンダ主演)と同じく黒人対白人の人種差別が根底の物語である。
舞台はミシシッピ州にある架空の街クラントン。物語は人種差別主義の白人青年ビリーとウィラードの二人が10歳の黒人少女を強姦し暴行を加えたところから始まる。
少女の父親カール・リー・ヘイリー(サミュエル・L・ジャクソン)はその日の夜、カールの兄を弁護した事から馴染みの白人弁護士ジェイク・タイラー・ブリガンス(マシュー・マコノヒー)に、
「娘が強姦された。ここでは黒人を強姦しても白人は有罪にならないのか?」と相談を持ちかけた。ジェイクはカールのただならぬ雰囲気に危険を感じ、「馬鹿な真似は止めろ」と忠告する。しかし、
翌日裁判所にビリーとウィラードが連行されてくると物陰に隠れていたカールがアサルトライフルを手に飛び出し、二人を射殺。護衛の警官ルーニーも膝に銃弾を受け、右脚を切断する重傷を負った。
カールは第一級殺人罪と傷害罪で逮捕され、弁護をジェイクが担当することになった。裁判が始まる前ジェイクの恩師ルシアンは、「この裁判は勝っても負けてもそれは正義になる」と言う。
弁護士ジェイクと相対することになる検事はルーファス・バックリー(ケビン・スペイシー)が選ばれ、ルーファスは次の州知事の椅子を狙っており、簡単に勝てるこの裁判で名前も顔も売れると喜ぶ。
町中で黒人対白人の緊張が高まる中裁判は始まった。第一回目の裁判でジェイクは、黒人差別の激しいこの地では公平な裁判は不可能なので裁判地の変更を裁判長のオマー・ヌースに求めたが、オマー・ヌースはにべもなく却下した。
肩を落として弁護人席に戻るとそこには見慣れない紙があり、中を見ると実際に人種差別を理由に裁判地の変更が許可され審議差し戻しの判例が載っていた。
ジェイクはすかさずオマー・ヌースにそれを伝えるとオマー・ヌースは「審議差し戻しを歓迎する裁判長はいない」と言い、裁判地変更の理由を書類に書いて提出するように伝えて第一回目の裁判は終了した。
翌日事務所で寝ていると見慣れない女性エレン(サンドラ・ブロック)が訪れ、あの判例は役に立ったかと尋ねた。彼女こそあの判例をジェイクに渡した張本人だったのだ。エレンは死刑反対の姿勢を貫く法学生で、
カールに死刑宣告が下されるかもしれないこの事件を手伝わせてほしいとジェイクに申し入れた。エレンの父親はアメリカでも有名な弁護士で、後々の援助を期待したジェイクはエレンからの申し入れを快諾する。
その頃、カールに裁判所で射殺された白人青年ビリーの弟フレディ・リー・コブ(キーファー・サザーランド)は兄を殺された怒りから水面下で活動を続けるKKKと連絡を取り、KKKのリーダーであるスタンプ・シスーより、
クラントンでもKKKを設立して支部長になるように伝えられる。
ジェイクが申し立てた裁判地変更の申し立ては結局却下され、その上州の法務局もオマー・ヌースの判決を支持し、審議差戻しはしないと明言した。
ジェイクはカールを心神喪失による無罪を主張したが、やり手の検事ルーファスは巧みな誘導尋問で明確な意志を持ってカールが二人の青年を射殺したことを証言させた。
更に、事件後カールがウォールズ保安官に付き添われて左膝から下を切断することになったルーニーを見舞いに行ったこともカールにとって不利な証言となった。
しかし、証言台に上ったルーニーはカールの犯行動機を支持して無罪で英雄だと叫び、裁判所は一時騒然となった。
裁判が進むにつれて町の緊張は高まり、遂にはKKKが裁判所前で陣取り、黒人達とKKKによる乱闘騒ぎが起こり、ジェイクは家の前に火の点いた十字架を置かれ時限爆弾を仕掛けられたがそれからは辛うじて難を逃れた。
ジェイクの娘は学校で黒人の味方だといじめられてしまう。危機を感じたジェイクは妻と娘を実家に避難させ、空港で妻はジェイクを非難した。ジェイクの秘書も襲撃され夫が殺され、そして遂にはジェイクの家も放火された。
非常事態を警戒した州政府は州兵をクラントンに派遣して警戒に当たらせ、街中を銃を持った州兵が闊歩するまでになった。
裁判の途中エレンが襲われ、ついには孤軍奮闘するはめとなったジェイク。裁判の話し合いのためカールに面会に訪れるとカール自身もまた「あんたは所詮白人だ」と言い放つ始末。
最終弁論前夜、遠い実家に避難させたはずの妻が嵐の中、車で戻ってきた。
街を黒人と白人で二分させた裁判も遂に最終弁論を迎える。
結末は、全員白人陪審員が黒人を無罪にし、勝利で終わる。
二人も銃で殺し、警官にも負傷させた犯人を「無罪」にするのだから、日本では考えられぬ裁判である。
だが私でも陪審員なら、やはり無罪にするし、親の立場だったら犯人を殺すのに躊躇しない。だから法の以前の「人間の正義」を優先させるこの映画の秀逸さが爽快である。
何故なら、10歳の少女がお使いの帰り道、酔った白人男二人に輪姦され、性器に重篤な傷を負う。
さらに首に縄を掛けられ木に吊るされるが、枝が折れ首吊りは免れる。面白がった二人の男は、地上に落ちた少女にビール缶を投げつけ、顔面に裂傷を負わせる。
こんな血達磨状態の少女で、犯人はすぐ逮捕され、裁判となるが、この当時、この土地では裁判は無罪なのである。
だから、父親としてこんな犯人に「復讐」するのは人間の権利なのである。