新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

 タイ民族の日本移住

2019-06-29 10:23:24 | 新日本意外史 古代から現代まで

 タイ民族の日本移住

 今でも北海道のアイヌ系の人が、内地人のことを、 「シャモ(和人)」とよんだり、また今でも関西の河内あたりで、蹴合いに用いる闘鶏を、やはり「シャモ」と称し、また吾々の御飯をもりつけする板片を、「シャモジ」とよぶのは、何か関連があってなのか、どうも引っ掛かるものがあるようである。  梵語の「シャモ」が、日本の仏教用語では、「沙門」となり、「桑門」同様に出家の僧のことをさすから関係があるとする説もあるが、唯それだけの結びつきであろうか。

「シャモ」というと、現代のタイ国の古名が、「シャム国」または「シャモロ国」といわれ、昔はカンボジアから今のベトナムまでの版図をもつ、広大な国だったが、そこと日本とは関り合いが有ったのだろうか。これまでの日本歴史では、 「山田長政がシャモロ国へ渡航し、のち六昆王となり、元和七年(大坂夏の陣六年後)九月に、時の老中筆頭土井利勝に、新煙硝二百斤と虎皮の進物を届く」  と江戸中期になって、国交が初めて開け、江戸誓願寺を宿所としたシャモロ人が、山田長政の使者にきた旧九州浪人伊東久太夫を、通弁として貿易を始めたようにでているが、その以前からも、交流はあったものだろうか。

 「ベトナム戦記」のニュースなどを見ると、日本人そっくりの容貌をしたのが多いし、また、キック・ボクシングの試合でも、よく日本人に似たタイ国の選手が出てきて、びっくりさせられる。どうして東南アジア系は同じ有色人種とはいえ、ああまで日本 人の一部にそっくりなのだろうか。またかって日本人がベトナム戦にわが事にように心を痛める関連はなんであろうかと疑いたくもなる。  というのも、実際の処では徳川時代は、すべてが各藩単位で日本全体の歴史などはどうでもよく、「日本歴史」なるものは、明治二十年代の後半から四十年代までにかけて纏めあげられたものなので、どうしても、日清、日露の二大戦争で、 (下関----関釜連絡セ船----釜山。そして京城から新義州。鴨緑江から南満州鉄道で奉天)  といったコースが、強烈に植え付けられた歴史になっている。また、それが大衆にもすっかり馴染みになってしまったせいか。

 

 日本の対外相手は、これ朝鮮半島と中国に限定してしまった感がある。しかし釜山浦まで出て、そこから朝鮮半島経由で大陸へというコースより、実際は海上を年に二回交互に吹く季節風や貿易風によって、南支那海や東支那海を往復していた方が、遥 かに多かったのではあるまいか。織田信長の頃でさえ、香港に近いマカオと日本の泉州堺の間には、定期航路があった程である。 そして、その頃のポルトガル人は、マカオと印度のゴア、そこからリスボンとやはり潮流にのって航行していた位である。  だからタイ国、当時のシャモロ国から、日本へ吹いてくる風の季節には、彼らもまた、やはり黒潮を利用して、日本列島へ渡ってきたのだろう。
 
なにしろ『古事記』にでてくる処の、「野見の宿禰と当麻(たいま)の蹴速(けはや)の垂仁天皇天覧御前試合の情景」たるや、 「日本の国技相撲の始め」とされているが、「ハッケヨイ、ノコッタ」と、土俵で四股を踏むといった相撲ではなかった。つまり双方ともに正面で取り組むような勝負で はないのである。  野見の宿禰は西方に向かって三拝九拝。  当麻の蹴速は南方に膝まずいて叩頭。「ゴーン・ゴン」とゴングがなると、 「やあやあ」向き合った両人は、まわしなど当時はしめていなかったせいか、手など伸ばさず脚を高々とあげ、互いに相手の胸や腹にアタックを加えあい、「ハオ、ハオ」と声援をうけ、軍鶏の蹴り合いのような試合を続け、とうとう最後には、 「KO」で宿禰が、蹴速をキック・ダウンさせてしまい、今でいえばタイトルマッチをとって、勝名乗りをうける事となったと出ているのである。
 
 だから、キック・ボクシングの選手が、宿禰神社へお詣りするのなら話は判るがそうではない。 今では日本相撲協会の、役員が初場所をあける前に、横綱を従えて、「どうぞ大入満員、札止めになりますよう」と羽織袴で威儀を正して、恭しく参拝する慣わしになっている。すこし変てこである。 しかしヤバダイ国の連合グループに、投馬国というのが入っているのは前述したが、発音からすると、そのトウマと当麻は同じような感じもする。それゆえ、この勝負というのは、 (旧インド系と推理される倭人の国が、東南アジアから転入してきた国家体制に打ち破られた事実)を相撲に仮託して物語っている寓話かも知れないのである。 だが、とはいうものの、いくら野見の宿禰がタイトル防衛を続けて勝ったからといって、それで当時のシャモロ国の名が日本列島に響き渡り、色々の物にシャモの名が付いたとは考えられもしない。 これはやはりある時点において、彼らが大量に集団移住してきたものと見るべきだろう。

しかし、そんなに大勢の異邦人が、一度にどっと南の国から、「今日は」とやってきたら、これはどうなったろうか。現代の感覚なら、万博かオリンピック見物といった受け取り方もあろうが、昔そんなものが有る筈もないから、とても歓迎されて、「ウエルカム」と招じ入れられるような事は、いくら古代でもまあなかったろう。となると友好的に入国できたという事実は、観光目的でなければ、彼らが今日の国連軍のような恰好で堂々と進駐してきたものと、みなすことは飛躍であろうか。  また、それ程の大掛かりな進駐が有った裏には(何か突発事が有ったものと見なしうる)といった事実を意味すると考えてはいけなかろうか。これまでの日本歴史では、「仏教伝来は宋の国から、唐の国から」と、中国からみな来たことになっている。  が、あれはどうも誤りではなかろうかという仮説のもとでのことだが、 「中国から印度まで」の間を現在旅行してみても判ることだが、もっとも仏教の盛んな国は、それは朝鮮でも中国でもなく、なんといってもカンボジアとかタイである。なにしろ1970年9月5日の外電によれば、ベトナム解放軍の女兵が全裸体となって前線に現れたそうである。するとである。

(女人の裸体を己れの眼で見ると、戒律によって仏果がえられず、仏罰をうける)と教育されているカンボジア兵は、そのため、みな狼狽して、 「眼の汚れになり、色慾を勃起させては、御仏の戒めにそむくことになる」と、みな視ないように眼をとじてしまい、とてもこれでは迎撃にならず、次々と解放軍に攻め落とされ弱らされているとのニュースが伝えられている。  日本では黄ばく宗というのか、茶道具を包んだりする時に用いる、黄赤色の布地の長いのを、肩から曳ずり気味の托鉢の群れが、バンコックの町へゆくと集団で朝は町に溢れている。

 男は成人式みたいに一度は仏門へ入って、こうした修行をして仏果をうるのだそうだが、ぞろぞろ歩いているのは壮観である。  だからして陸路重点に考え、仏教伝来は中国からとみるより、釈尊の生まれたもうた本場のインドや旧シャムロのタイから、船舶民族によって吾国へ直接導入されたというような、発想はできぬものであろうか。  そうでないと足でキックするような相撲の原点は、やはり貿易風によって彼らに持ちこまれた体技としか思えないからである。

そして、キックボクシングや、シャモとよばれる軍用鶏をもちこんだ民族によって、それまでの騎馬民族系はとうとう征服されたか、または、「仏の功徳」によって折伏してしまう世になったのだろう。このため対抗上、クダラ系の人々は、「韓(から)神」さまを守って、仏派に対して各地に分散したらしく思われる。もちろん既得権益を守るために、朝鮮半島からの人々は結集もしたのであろう。 そこでシャモロ側も、「護法」のために貿易風を利用して、大兵団を日本へ送りこみ、彼らは、その当時クダラ系のコロニーであった河内から八尾方面を、まっ先に占領したろうことも考えられる。 そうでなくては、今もその地方に、闘鶏として、南方系軍用鶏が飼われ、「河内名物、軍鶏のかけ合わせ」となった由来が判らなくなるのである。 そしてバラバラのタイ国米になれていた彼らは、日本米のべたつくのに弱って、便箋の代わりにに用いていた木片の古いのを削って、これで飯盛りをしていたのだが、文字が残っている物もあったからして、「文字のついたシャク」ゆえ「シャモジ」 と転化し、それゆえ海路安全の守護神である安芸の宮島の厳島神社が、現在に到るも、日本全国のシャモジの75パーセントまでの製造販売を独占しているのかも知れない。

 

 

 

 

 

そういえば厳島神社の赤塗りは、香港あたりの水上飯店の建物によく似通っているし、「蛋民(たんみん)」とよばれる水上生活者が用いているサンパンと同じ物が、社宝の、「平家御一門参拝之図」の供奉船には描かれている。  だから寿永三年の壇の浦海戦のときは、たまたま西南へ貿易風が吹きだす季節だっ たから、平家の軍船の内で流されて行ってしまったものがあるのかとも想いたくなる。 「中国民族史」や「香港案内」にも、 「蛋民というのは氏族不明の漂流民である」などとでている。  もちろん逆に考察して、シャムかもっと西南から季節風が北東に吹く冬季に、向こうから流れてきて、それが戻ろうとした際、香港あたりに足止めになってしまって、そこに定着したのがそのままになったか。  これは、大陸からの久米の子らが、そちらへ戻ろうとしてならず、中間の沖縄に辿りついたきりになってしまったような見方もできるからして、それらと同じようなケースでなかったとは、とてもいい切れないものがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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