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古代シャモロ国地図による日本人ルーツ
中近東→インド→マレーシア→ベトナム→日本
これからの中国との関係
二階幹事長の無様な姿
侵略国家中国
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タイのバンコック博物館には、秘蔵古代シャモロ国地図がある。
それによると、現在でこそメコン川上流のケンカン市の先で、雲南の車里となっており、ソンコイ川のラオカイの上流の川口から、江河と名が変わって、
そこはベトナムの国境になっている。そこからインドシナ山脈を境にして四川省までが雲南省と、全くトンキン湾から遠ざけられ、山国の感がある。
だがシャモロ国の栄えていた頃の古地図では、ソンコイ川までが、ずっと版図に入っていたのである。つまり今いう雲南が、かつては南シナ海に面していたのである。
日本のラテン語呼称のヤバアン、ヤバアーナの語源ともなっているマレーシアことヤバンからは、黒潮暖流でボルネオ海を二日で流れ拔けてつく地帯である。
もちろん紀元前5世紀ペルシャのアケメネス王朝の頃、ダイオレス王がインダス川右岸まで占領していた時代もあったし、紀元前三二七年になると、アレキサンダー大王がインドへ進攻し、
当時のアケメネス王朝を仆し統治国となした。
ついでマライ半島もインドの版図ゆえ、タッコーラとカターハに占領軍のギリシャ兵達が進駐していた。
ギリシャ名で「カテイガラ」と呼ばれた今のヴェトナム民主共和国、つまり海岸までのびていた当時の雲南へ、小麦耕作奴隷とし、タッコーラやカターハから集めたのを、二コバルから筏輸送していた。
このことは〈ギリシャ史〉に明確にでているから、これは世界史の中で、本当といえる日本史創生の歴史である。
現代の地図でみるから判らないが、ベトナムは昔の雲南の海岸地区のカテイガラで、黒潮渡来の古代海人族が日本列島へ、バシー海峡から四国や瀬戸内海へと入ってきたのである。
だから、かって東ドイツのコンベルグ紙は、ベトナム撤退のアメリカ軍を評して「ヒロシマの仇を、その祖国がとったのだ」とするような記事をのせもしたのだろう。
これまで世界史の中で日本は、「マレーシア経由の西南有色人種によるもの」とされて、英語読みではバハンだが、ギリシャ発音のヤアバンからとされているゆえ、
ドイツ、ペルシャ、インドといった昔はギリシャ語圏内の国では、国連用語ではジャパンだが、とはよばずに、今でもヤバアン、ヤバーナなのであるのは周知の通りである。
「八」とよばれ「ヤァ」とされていた吾ら庶民の祖先は、黒潮によってマレーシアへ運ばれ、そこから今はベトナムとよばれていた昔の雲南へ移され、さらに、そこからと逃亡してきた古代縄文人であろう。
流行のシルクロード説みたいに全てを陸路から来たという説では、長安の都からは遥か雲の彼方の南の遠い所で、そこからテクテク日本へ移動とは無理がある。
が海路で、黒潮にのってくるのなら、現代でも、かってベトナム戦争の頃、ベトナム難民の筏が多数日本に漂着した事実でも理解できるだろう。
だから今のように海上ラッシュで船舶が多くなかった昔は、スイスイと暖流にのってしまえば楽に日本列島へ人つてこられたのである。また、日本に上陸せず、
その儘でまたも流されていった者らが、太平洋を横断し、ハワイ諸島に着いた人々も居る。
さらに、今いう処のエクアドル縄文人やカナダインデアンとなった人々もいるのである。
日本では「縄文人海を渡る」と不思議がるが、日本から渡ったのではなく、前記したように日本に上陸せずそのまま流されて、漂着地点でそれぞれ文明が発達したのである。
日本は吹き溜り列島ゆえ各方面から人間が流入してきているのに、鉄剣や鉄矛で武装した大陸人(中国)が威張りくさって弥生時代となし、それまでの縄文日本人を先輩とはせず被征服民とした。
原住民の内、降参しないのは捕えてきて奴隷オークションにかけた。逃げるのはゲットーに入れ、さも自分らが国の初めから居たように歴史を偽造した。そして「主客転倒」というが、
後から入ってきた他所者が押しこめられたのが、いわゆるなのだとと決めてしまう。
だから世界史の中でも通用する日本史である為には、ぜひこの問題を明白にせねばならぬのに、「それには絶対にふれてはならぬ、抗議がくるから」と何処のテレビ局や雑誌社も厳禁である。
どうも問題にふれると解放同盟から抗議が来るというのは違って、圧力をかけてくるのは別の組織らしい。
なにしろ<日本の特殊の研究>をこの世に残した菊池山哉でさえ、古代史の部分では「延喜式」をひいて「何々地方は何年前には稲束何千束賜与であったが、この頃には零になっている。
これは、その間に俘囚も耕やして自給自足の状態になったのであろうか」と文字通りに解釈し説明している。
しかし王朝時代の記録や公卿の日記は、数多く残されて活字本になっていても文字通りに理解してはならない。
稲何千束というのは、種もみで渡しては、食してしまう惧れがあるから、芽が出だした苗代何千束のことなのである。奴隷にした者らへ今の小学校みたいに給食したのではなく、
王侯貴族の食糧を作らせるよう課役したにすぎない。つまり最初の年は苗を渡されても、翌年からは取り入れ九分の中から次の種もみは間に合ったゆえ、次年の何束下賜というのは、
新規に編戸された農業奴隷の分だけに搾ってで、施しなどしない。
日本史では判りにくいから西部劇の映画を想い浮かべてみるのがよいようだ。
合衆国政府は、平和協定を結んだインデアンを一定地へ収容し、唐もろこしの種を一つかみずつ与える。インデアンは狩猟民族ゆえ当惑するが拒めば、日本の多賀城にあたるリオグランデ砦から、
騎兵隊が出動討伐にくる。
やむなく水をくんできて耕やし荒地を次々と開墾して、コーン畑に苦労して造成してゆく。すると、耕地になったから良い値段で転売できると、ワシントンに顔のきく政商が、騎兵隊長に出動を命令する。
せっかく食えるようになったと喜んでいるインデアンの女子供まで、騎兵隊はみな殺しにしてのけたり、捕えたのは次の岩山だらけの居留地に送りこむ。これと同じ事が当時の日本では行われていたのである。
アメリカでも今になると、インデアン迫害史を匿したがるように、日本でも高名な学者T氏の「日本奴隷経済史」のごときは、大宝養老神亀天宝の戸口簿人口と人口との対比表をだしている。
竹越与三郎の「日本経済史」でも正倉院文書で全人口の三・九%と見たり片方は五・六四%なりとみなしている。
これだと、が一人もいない地域が三分の一をしめる表である。農耕漁業をなす奴や寝間勤めや掃除洗濯の婢がいなくて、全ての労働をしない彼ら王侯貴族は、どうして暮らし得たのだろうか。
つまり竹越や滝川の根本的な誤りはその年に里長の許へ送られたの数だけの拾い出し計算による。
常識で考えても全人口の四%から五%のの働きで残りの者の食糧など生産できる筈はない。真実は反対であって、総人口の九五%がである。
そのくせアメリカの「ルーツ」なみに、主人が婢にうませた子供さえも奴隷として売ったのが、「養老律令」にあるとし、西行法師の〈選集抄〉は後世の偽作とはことわりながらも、
その中の「越後上村の海浜にて、人馬の族を売買その中に幼きあり老いもあり、そぞろ涙こぼれぬ」を引用している。
人馬の族を人と馬とのせり市のごとくみているが、出てくるのは売られてとなる人間ばかり、滝川は知らないようだが、人馬族とは騎馬民族の末孫のシシをさすのである。
ついでに書けば、奴隷価格でも〈正倉院文書〉を現行の読み方通りに判断して価格を誤っている。
「直布一端」は後の一反つまり八・五米ではない。〈唐令書〉では、掌をひろげ親指から小指までの巾としているゆえ二十㎝弱で四十二分の一。
また〈賦役令集〉和銅八年五月十九日の格の条文からして、「奴一口六百文、婢一口四百文」を引用するが、賦役令の一口とは宝くじの何組と言うような集団をさし、
一組のことで一人の事ではない。また織田信長の晩年でさえも、「一文斬り」といわれ、「罪人一人を斬り殺し穴を掘って埋めるまでが一文」ゆえ現在の壱万円相当。唐の玄宗皇帝の頃は一分で、
一文でなく、和銅銭とて鉄のビタ銭でなく銀、銅だった。こうした出鱈目な誤りを弟子や孫弟子もその儘受け継いでいるのが現状なのである。
王朝時代の公卿の日記が数多く残され、これが活字本となり確定史料とされているから、架空の平将門が実在化したり、総てに可笑しくなります。
あれはみな藤原日本史でしかないのです。
「自分らこそ天下って日本を統治しているのだ」という宣伝文書が歴史屋の史料とされていては、真相など解明出来はしない。
大和民族は単一だとしながらも、同和問題の本質も解明できていない。
原住民を卑下して、賤の者(卑しい人間)と見下して、彼らを「帰化人」の子孫としてしまいます。
しかし、日本原住民が、最初の「賤」とされたのは、奈良時代の非クダラ系日本原住民なのである。
西暦六六三年からは反仏教で、原住民は拝火教や山岳信仰だったから、大陸人がいくら全国に国分寺を建てて仏教を広めようとしても、絶対に転向せぬ異教徒原住民を「賤」とした。
次が北条体制による旧源氏残党の追放になる。そし足利時代に南朝方(朝鮮高麗系)についた地域全部というのが、所謂「」の発生の真実です。
アメーバや草木でも初めに種がなくては生えません。
日本列島へ次々と入ってきた子孫が、今の日本人の八割以上ですから、「所謂」の者らこそ古参の我ら日本原住民の大先輩なのである。
藤原王朝のごときは7世紀からの新参者で、鉄製武器で征服者になっただけの話にすぎません。
そしてこの子孫は現在でも原住系と混血を重ねてはいるが、全人口の一割は居るのである。
もう二度と中国の下風に立ってはいけない
余談になるが、記紀には仏教伝来は404年、漢字は552年と書かれている。
「仏教は素晴らしい宗教ですから、どうか日本人に広めて下さい」とお願いした訳ではない。
白人がキリスト教を持ち込んで、有色人種世界を植民地化した手法と全く同じなのである。
それまでの日本には拝火教や拝水教、山岳信仰などの「自然教」が在った。
さらに、漢字は実際は漢の時代の物なのに唐になってから「漢字」として占領軍が持ち込んで、自分たちの歴史を書いてしまった道具にすぎない。
そして古典四書として崇め奉られている「古事記」「日本書紀」「旧事紀」「古語拾遺」が漢字で書かれた。
だが古伝四書といわれる「ウエツフミ」「ホツマツタエ」「ミカサフミ」「カタカムナのウタヒ」と、古史四書「九鬼神伝精史」「竹内太古史」「富士高天原朝史」「物部秘史」がある。
さらに異録四書に「但馬事記」「東日流外三郡史」「忍日伝天孫記」「神道原典」もある。漢字以前の文字として岩戸蓋石古字やアヒルクサモジもある。
これらは「神代文字」と云い、銅鐸や古墳壁画の文様などを「絵文字」として一部は解読されても居る。
だが、これらはこの国の歴史学者たちに問題提起はしたが、その後の研究は進んでいないのが現状。
記紀を金科玉条とし、国民の税金で録を食んでいる各大学の教授連中は横着なのか、頭が悪いのか、はては難解すぎて手が付けられないのか。
大学で江戸時代そのままの師弟関係で、助手や助教授の昇進、転勤権を握っているため、若い者は新しい研究に突き進むことができないでいる。
歴史学会も「白い巨塔」なのであ。
さて、今や中国は巨大な怪物に成長した。最後の清朝崩壊後(1911)、中華民国から現在共産党一党独裁の中華人民共和国に変貌した。
この間約100年以上を経たが、ここ十年、経済力と軍事力を背景にした中国の台頭は凄まじい。
習近平王朝ともいうべき中国の一帯一路政策はまさに宗教ではなく、武力を背景にした「金」(かね)による世界制覇戦略に他ならない。
以前、安倍総理の特使として二階幹事長が訪中し、うやうやしく「親書」を手渡していた。これぞまさしく朝貢外交そのものではないか。
「あなたにひざまずきます」という「へつらう」姿がテレビ画面に映っていた。
安倍前総理は一帯一路に協力する姿勢を見せていたが、絶対これに乗ってはいけない。当面はアメリカと強力に連携して中国と対峙しなければならない時に、
何という無様な外交をしたものか。
王毅外相・暴言と属国根性
さらに、11月24日に行われた日中外相会談後の共同記者発表の場でとんでもない暴言が飛び出し日本人を唖然とさせた。
王毅外相は、「正体不明の漁船」がひんぱんに釣魚島の敏感な海域に進入しているため、中国公船がやむを得ず「必要な反応をしている」と「追尾」の理由を説明したのである。
日本では2020年5月以来、中国公船が尖閣領海に侵入し、「日本漁船を追尾している」との報道が目立つ。
追尾とは聞こえがいいが、内実は漁船を追い回し、漁をさせない悪質で危険な挑発行動である。
これに茂木敏充外相はその場で反論しませんでした。一事が万事、日本の現状をよく表しています。
日本は中国に完全に舐められているのである。
今、中国は人権問題で欧州各国から批判されている。日本は「クアッド(QUAD、日米豪印四力国戦略対話)」という「中国包囲網」を推進してもいる。
そんな四面楚歌の国際社会だからこそ、中国は習近平国家主席の「国賓来日」を実現したいのである。つまり、中国は日本に頼みごとをする立場なのである。
にもかかわらず、王毅外相は日本の首都東京で「尖閣の領有権」を堂々と主張した。これを言語道断と言わず何という。
茂木外相はこう述べるべきだった。
「中国はなぜ日本の領海を侵すのか。国連調査で大量の石油資源の可能性が明らかになった。1970年以前には貴国は全く領有権を主張していない。
尖閣はわが国固有の領土であり、領海侵入を固くお断りする」
そして即刻帰国を促すのが、外交の常道なのである。
日本は政治家、文化人、マスコミにも「中国様大好き人間」が多くて、彼らの根底をなすのは「属国根性」である。
今や中国は尖閣を盗りに来て、沖縄にも様々な形の謀略の手を伸ばしている。
何しろ彼の国は孫氏の兵法を作り、陰謀と謀略戦術に長けた古狸で、周辺国を侵略し、収奪し属国化した歴史が山ほどもある前科者なのである。
中国4000年の歴史とは侵略の血塗られた歴史である。
中国が少し位「親日的」態度を見せたからと言って、甘く考えてはいけない。それも「悠久の戦略」と分析するべき。
いずれ、朝日新聞のような左巻きのマスコミや知識人を抱きこんだ「親中国国家」か、中国の太平洋の要である「中国日本省」建設を目指しているのであろう。
その兆候は日本国内の至る所で見られる。
大型連休だ、新元号(令和)に浮かれ、オリンピックに五兆円も使って舞い上がっている場合ではない。そんな金を使うなら、海上警備力増大のため海上保安官増員や巡視艇を建造し、
厳しく取り締まるべきである。
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