新令和日本史編纂所

従来の俗説になじまれている向きには、このブログに書かれている様々な歴史上の記事を珍しがり、読んで驚かれるだろう。

考察 原日本人

2021-03-20 18:43:26 | 新日本意外史 古代から現代まで


   考察 原日本人


日本人は、頭の小さなのは大陸、朝鮮系。長頭や大頭系が西南渡来系の先祖をもつとされています
だが、日本人をユダヤ系だなどと盲説を唱える者もいるが、そんなことはなく、れっきとした大陸渡来系と海洋渡来のサラセンの黄色人種なのである。
 日本人の元祖は……といっても、ジャワの「ピテカントロプス」とよばれる処の、〈ジャワ原人〉と、「フンナントロプス」とよばれる〈北京原人〉のいずれかしか考古学上では考えられはしません。




なにしろ五十万年位前の人間が進化して地球に出現してきた頃は、日本も大陸と地続きです。
 「更新晩期」から中期の時代には、ジャワも今のように赤道の向こうではなく、大陸と繋かっていたからでしょうが、上海の新聞には、江蘇省の鎮江地区丹徒県で、
北京原人と同時代らしい別個の古代人の化石が発見されたといいますが、やはり今の我々そっくりな有色人種で同じでしょう。


 ジャワ原人にしろ有色人種である事は間違いありません。イエスキリストが現われたのは二千年前の事で古代人は、その四、五十万年も昔の人間の先祖ですから、
すくなくとも紀元前十万年ぐらい迄の古代人は、熱帯では肌が黒色。他では亜熱帯の地に合う保護色みたいな黄色人種であったらしい。


今いう白っ子みたいな色素のないのが生まれてきたのは、当時は寒冷地だった現在のヨーロッパへ追われ、そこで繁殖した連中共なのです。寒さを防ぐために胸や腕に毛が密生したのでしょう。
 古代人骨として発掘されるのは北京原人やジャワ原人だけで、ヨーロッパ原人の化石は見つがらぬからの仮説ですが、もちろん白人の間では、北京原人やジャワ原人のような類人猿的原人が進化して、
純粋に人間らしくなったのが白色人種で、その進化に収り残されたのが鼻の低い有色人種なのだと、白人史観では主張します。


しかし、紀元前三千年のエジプト文明や、アラブ文明の頃には、白人はまだ毛むくじゃらのバイキングで、彼らは有色人種の奴隷だったのです。
そのせいか世界史はいつも、白人対有色人種の闘争史なのです。
つまり日本人の原点もジャワ原人と北京原人の複合民族で、紛れもない黄色民族なのです。

 原人の末裔

日本史は海洋潮流学を無視して、人間や文化が、朝鮮半島や中国とだけに結びつけたがるが、日本人の額は北京原人のごとく出張ってはいない。
だから、海洋渡来民族こそ真の先祖ではなかろうか。


 「シナントロプス・ペキネンシス」とよばれる北京原人は、洞穴の中で火を用いて煮炊きをしていた石器人種で、これは狩猟民族である。
動物や、彼らよりも古い「猿人」とか「藍田原人」とよばれる、押しひしやがれたような頭をもつ連中も捕えて、その肉を食していたらしい。


食糧に乏しく、獲物のない時は集団ごとに食う肉をうる為に戦もしていたものらしい。
彼らは紀元前五、六十万年の存在で、その後は、火によって青竹の先を焼き矢にした弓をも持つように進化していったのを人類学的には、「ネアンデルタール人」とよび、
一般には北京原人やジャワ原人と区別して「旧人」とよび、紀元前数千年ぐらい前からの人類を、「クロマニョン人」とよび、これを「現代人」とか「新人」とします。


日本列島では、原人や猿人、旧人の遺骨も発見されず、ただ静岡県の三ケ日で、新人の頭骨が発見されただけです。
中国の柳江や山頂洞で見つかったのと同じ特徴で、門歯の裏側が臼みたいになっているのは、もはや穀物を主食にしだしていた事を証明しています。
これこそが日本での原人の先祖です。


 が北京原人が肉食人種でジャワ原人が果食人種であったらしい想定からしますと、すでに日本列島にもその頃から果樹がはえ茂ったり、食べられる草根がもう植えられていた事になってきます。
 人類学的に中国大陸に比べて未開発途上国だったことは否定できませんが、明治時代に水戸の荒磯神社近くに、臼歯で前歯をくだいた頭骨の古くなって風化しかけだのが、
多量に深い地底から見つかった事があります。


ジャワ原人の後裔の頭蓋骨の大きな門歯臼歯のあった南方新人のものです。となるとエケセテネの発音を今も姓の上につける古代海人族こそ日本人の先祖で、
それを大陸からの北京原人の子孫が、押し寄せてきて人間狩りを次々とし征服したものと想われます。


さて、話は日本の縄文から弥生時代に飛びます。紀元前の縄文時代、中国では夏、殷、周、春秋の時代でした。
弥生時代になると、秦、前漢、後漢、三国時代です。鉄武器を持った王朝が続き文化の高い国でした。


弥生時代の日本列島には、海洋渡来で様々な民族の流入がありました。
アラブ系、インド系、ポリネシア系、インドネシア系、マレーシアやベトナム系が、海流に乗って流れつき、太平洋沿岸の各地に上陸して、農業生活をしておりました。
さらに中国大陸からも、朝鮮半島からも流入はありました。さらに沿海州からは蒙古族の騎馬民族も入ってきました。
日本には宝船に乗った「七福神」伝説が有名でが、
七福神とは、大黒天(だいこくてん)、毘沙門天(びしゃもんてん)、恵比寿天(えびすてん)、寿老人(じゅろうじん)、福禄寿(ふくろくじゅ)、弁財天(べんざいてん)、布袋尊(ほていそん)の七つの神様の総称です。
これが海から来た民族の証拠なのです。ですから「大和民族単一説」は間違いです。


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