日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

赤城塚古墳|群馬県邑楽郡板倉町 ~3世紀の日本人も仏教に触れたか?三角縁「仏」獣鏡が出土した古墳~ 【太日川・利根川流域古代史探訪 ①】

2019-02-01 22:17:49 | 歴史探訪


 しまった寝坊した!

 今日も20日と同じように、4時までに高尾山の関(IC)を通過しようと思っており、3時に起きようと思っていたところ、気づいたら3時半でした。

 急いで準備して雷電號を起動したのが3時49分。

 安全運転に留意しつつ、高尾山の関を通過したのが3時56分。

 間に合った・・・

 何で4時までに関を通過したいのかというと、以前もお伝えしましたが高速代が深夜割引となり平日料金の7割になるからです。

 普通に定価でも構わない富裕な方はこんな無理をする必要もないかもしれませんが、私は削れるものは削りたいのです。

 たまたま今日は寝坊しましたが、基本的に早起きは得意なので、今日くらいの時間に家を出るのは苦になりません。

 問題は、こんなに早く家を出ると関東地方内でしたら目的地にあまりにも早く着いてしまうことです。

 今の季節は6時くらいはまだ陽が昇っていないですからね。

 なので、とりあえず高速に入り、駅家(PA)で神武號を起動して仕事をすることにしています。

 この時間に圏央道を走っている車はほぼすべてトラック。



 今日は寝坊した関係で、狭山の駅家で見繕いをします。

 物流の方々が休んでおられますね。



 私たちが快適な生活を送れるのも、私たちが眠っている間にこの方々が働いてくれているお陰です。

 世界は誰かの仕事でできている、という某缶コーヒーのCMのキャッチコピーは至言ではないでしょうか。

 ところで今日は群馬県の東南部を訪れてみますよ。

 館林市の周辺ですが、今までノーマークの場所でした。

 そのあたりにも面白い古墳があるようですよ。

 でもまず最初に目指したのは羽生の駅家(下り)です。

 5時20分に到着。



 早朝からここに何をしに来たかと言うと・・・

 バーン!



 黒胡麻担々麺!

 ここの胡麻唐屋は24時間営業なのです。

 なので、早朝からこれを食べるために寄りました。

 生まれて初めて早朝の5時半に担々麺を食べましたが、朝から食欲全開なので白いご飯もいけそうな感じでした。

 美味しかった!

 些細なことですが、できるだけ今までやったことが無いことにチャレンジするようにした方が人生が豊かになると思うのです。

 小さなことからやってみましょう。

 まあでも、朝から担々麺は身体には良くないかもしれませんね。

 では再度出発。

 雷電號を駆って本来の本日最初のポイントに到着しました。

 時刻は6時50分。

 群馬県板倉町の西丘神社です。



 板倉町は初探訪。

 本日の探訪には右島先生のこの本を持ってきました。



 この本は上下巻2冊に分かれているのですが、上巻のトップバッターとして掲載されているのがこの西丘神社の境内にある赤城塚古墳です。

 該書によると、赤城塚古墳からは三角縁神獣鏡が出土したそうです。

 神獣鏡の本物は見れないわけですが、古墳時代初期の東国を探る上では神獣鏡もキーの一つですので、その貴重なものが出土した場所をこの目で確かめてみたいのです。

 少し高い場所に社殿が建っていますね。



 説明板を見てみましょう。



 説明板には、三角縁仏獣鏡と書かれていますね。

 「神」ではなく「仏」なのです。

 つまり、仏教の公伝は6世紀なわけですが、もしかしたら3世紀の人がこれを見て描かれている仏に興味を持った可能性があったかもしれません。

 三国志を読んだ方は魏の都・洛陽に白馬寺という初期仏教寺院があったことをご存知かと思います。

 とくに陳舜臣さんの小説『秘本三国志』には白馬寺での描写も描かれていますので、そちらの方の印象が強い方もおられるかもしれません。

 当時の中国人も仏教に対してはまだエキゾティックな印象を持っていました。

 それと同時代の卑弥呼を含む倭人も、もしかしたら仏教と触れ合う機会があったのかもしれません(全然関係ないですが、漫画『北斗の拳』の「北斗神拳」は白馬寺が発祥という設定になっているそうです)。

 通常は仏ではなく神が描かれている三角縁神獣鏡ですが、東国においてはこれが出土するというのはこんな立派な石碑を建てるくらい凄いことなのです。



 東国の各都県では、三角縁神獣鏡の出土は1~2面であり、出土していない県もあるのですが、群馬県内では13面も見つかっており、それだけ上毛野の豪族がヤマト王権にとって重要なパートナーだったことが分かります。

 なお、国内すべてを合わせると600面近くになります。

 こんな説明板もあります。



 扁額。



 おー、雷電宮だ!

 こんな石碑もあります。



 こちらは何だろう。





 ここはもう、三角縁仏獣鏡ワールドですね。

 ところで、肝心の古墳はどこでしょうか?

 あー、社殿に向かって左側の土の高まりが古墳なんですね。

 墳頂に何か建っていますが進入できません。



 こっちに古墳の標柱と説明板があった。





 ここに書かれている通り、赤城塚古墳は直径32メートルの円墳で、4世紀から5世紀にかけての築造ということで、調査不足のためか築造年代の細かい特定はできていないようですね。

 また、当時の渡良瀬川は古墳の南を流れていたと記されていますが、現在は古墳の北側を渡良瀬川が東流しています。

 こちらの地図を見ても分かる通り、赤城塚古墳(西丘神社)のある場所はその地名の通り微高地となっており、南側には渡良瀬川の旧流路が見えます。



 ※説明板には三毳(みかも)山という地名が出てきますのでその場所もプロットしておきました。

 なお、古墳時代の渡良瀬川は現代の利根川とは別の水系で、下流では現在の江戸川に接続され、この流れは太日(ふとい)川と呼ばれていました。

 太い川だから「ふとい川」と呼ばれたんでしょうか。

 超小型の横穴式石室。



 ・・・なわけ無いか。

 ちょっと下がって古墳を見ます。



 こう眺めてみると、社殿が乗っている土盛から連続しているんですよね。



 中世の館跡の土塁のようにも見えます。

 そういう伝承はないんでしょうかね。

 いやー、それにしても寒いなあ。

 板倉町のあたりって、夏はすごく暑いところですよね。

 八王子もそうなのですが、そういう場所に限って冬は寒かったりします。

 久しぶりに手がかじかんで、耳が痛い感覚です。

 雷電號に戻り起動させると・・・

 マイナス6度か!



 そりゃ寒いはずだ。

 では続けて館林市内に向かいますよ。

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