⇒前回の記事はこちら
両宮山古墳は国分寺跡のすぐ隣ですので、車で向かうと一瞬です。
駐車場があったので停めました。
観光案内所の駐車場のようですが、まあいいか。
説明板があります。
でっかい古墳ですが、墳頂に上がれるようですね。
でも少し迂回していかないといけないみたいです。
歩道のない道を歩きます。
あ、ここにはもっと立派な説明板がありますよ。
この説明板はでかいので、車を運転している人も気づきそうです。
路地に入り墳丘を目指します。
周溝と直結している水路には轟々と水が流れており怖いですが、あの堤の上に行けば古墳の遠景が撮れるかもしれません。
落ちないように気を付けて行ってみましょう。
見えた。
説明板によると、両宮山古墳の周溝は二重になっていて、外堀は完全に埋もれており、これは内堀なんですね。
これだけでも広いのに、さらにこの外側に堀があったんなんて驚くばかりです。
『吉備の古墳 上』によると、吉備でも「周濠」(水堀)は珍しく、はっきりとそれと分かるのはこの両宮山古墳だけだそうです。
ただし、中近世以降に溜池として利用されているため、現在はこのように満々と水を湛えていますが、往時はもっと水位は低かったようです。
それと、こちらからのアングルだと手前の方が標高があるので、後円部がこちらを向いているように見えますが、逆なのです。
両宮山古墳は5世紀後半の築造ですが、すでに前方部がかなり発達したスタイルになっており、高さも前方部の方が高いのです。
こういった前方部が発達した前方後円墳は関東の場合ですと6世紀になってから登場しますから、こういったデザイン面での先進性も吉備地方は最先端を行っていたのでしょうか。
では、一旦路地へ戻り、周溝の跡が完全に埋められている場所から墳丘内に入ります。
普通に山の中を歩いているのと同じだ。
でも右手を見ると、段築らしきものが見えますよ。
両宮山古墳は前方部も後円部もそれぞれ3段築成となっています。
ここにも説明板があった。
坂道を登りきると神社がありました。
古墳の名前のもとになっていると思われる両宮神社です。
両宮神社は前方部の2段目を拡幅して建てています。
赤磐市のホームページによると、両宮神社は伊勢神社とも呼ばれており、祭神は天照大神と豊受大神です。
でもここは2段目なので見上げるともう1段あり、そこが墳頂なのです。
冬だったら墳頂を目指してもいいですが、今の季節は登る気になりません。
埋葬主体の調査はされていません。
しかし、墳丘長は206mということで、東日本最大の古墳である太田天神山古墳とほぼ同じ長さなわけですが、なぜかこちらの方が巨大に感じます。
その理由は高さですね。
太田天神山古墳の後円部の高さは16.5mですが、こちらの前方部の高さは25mもあるのです。
そうすると、当然ながら法面の角度がそれだけ急にもなり、そういったことがこの”肉厚感”を醸し出しているんですね。
さきほど国分寺跡から見た時の印象も、しょっちゅう見ている太田天神山古墳よりも巨大でした。
それと不思議なのは、葺石も埴輪も見つかっていないというところです。
石室が未調査なので決定的なことは言えませんが、未完成の古墳だったと考える研究者もいるようです。
では戻ります。
説明板の図を見ると、後円部の先に小型の前方後円墳である和田茶臼山古墳が描かれていました。
きっとあれだな。
普通は「茶臼山」とネーミングされた場合は前方後円墳なのですが、現況は30m四方の方墳なのでかなり改変されているのではないでしょうか。
車に戻りますよ。
おっと、来るときに気づかなかったけど、あれも古墳じゃないかな。
※後で『吉備の古墳 上』を見たら、森山古墳と言って墳丘長84mのホタテ貝型古墳でかなり大きいのですが、後円部がこちら側を向いていたせいか、大きさには気づきませんでした
観光案内所に戻ってきました。
ここにもいくつか説明板があります。
さて、今の時点で時刻はすでに14時です。
今日は20時までに広島の駅前でレンタカーを返却しないといけません。
何しろこちらに来たのは初めてなので、岡山と広島の距離感が分からず、高速で1時間くらいで行けるのかと思い、念のため岡山でレンタカーを借りるときに店の人に聞いてみたところ、1時間半は見ておいた方が良いと言われました。
それを考えるとそろそろ西の方角に戻らないとまずいです。
ということで、ここから一気に西へ向かいます。
そう思い出発すると、すぐに古墳が目に入りました。
説明板があるようなので行ってみます。
廻り山古墳です。
墳丘に登っている時間はありませんよ。
ここから先ほどの両宮山古墳を見ると、ちょうど建物が邪魔して見えませんが、建物の向こうに古墳の山が見えます。
では、再び出発!
⇒この続きはこちら
両宮山古墳は国分寺跡のすぐ隣ですので、車で向かうと一瞬です。
駐車場があったので停めました。
観光案内所の駐車場のようですが、まあいいか。
説明板があります。
でっかい古墳ですが、墳頂に上がれるようですね。
でも少し迂回していかないといけないみたいです。
歩道のない道を歩きます。
あ、ここにはもっと立派な説明板がありますよ。
この説明板はでかいので、車を運転している人も気づきそうです。
路地に入り墳丘を目指します。
周溝と直結している水路には轟々と水が流れており怖いですが、あの堤の上に行けば古墳の遠景が撮れるかもしれません。
落ちないように気を付けて行ってみましょう。
見えた。
説明板によると、両宮山古墳の周溝は二重になっていて、外堀は完全に埋もれており、これは内堀なんですね。
これだけでも広いのに、さらにこの外側に堀があったんなんて驚くばかりです。
『吉備の古墳 上』によると、吉備でも「周濠」(水堀)は珍しく、はっきりとそれと分かるのはこの両宮山古墳だけだそうです。
ただし、中近世以降に溜池として利用されているため、現在はこのように満々と水を湛えていますが、往時はもっと水位は低かったようです。
それと、こちらからのアングルだと手前の方が標高があるので、後円部がこちらを向いているように見えますが、逆なのです。
両宮山古墳は5世紀後半の築造ですが、すでに前方部がかなり発達したスタイルになっており、高さも前方部の方が高いのです。
こういった前方部が発達した前方後円墳は関東の場合ですと6世紀になってから登場しますから、こういったデザイン面での先進性も吉備地方は最先端を行っていたのでしょうか。
では、一旦路地へ戻り、周溝の跡が完全に埋められている場所から墳丘内に入ります。
普通に山の中を歩いているのと同じだ。
でも右手を見ると、段築らしきものが見えますよ。
両宮山古墳は前方部も後円部もそれぞれ3段築成となっています。
ここにも説明板があった。
坂道を登りきると神社がありました。
古墳の名前のもとになっていると思われる両宮神社です。
両宮神社は前方部の2段目を拡幅して建てています。
赤磐市のホームページによると、両宮神社は伊勢神社とも呼ばれており、祭神は天照大神と豊受大神です。
でもここは2段目なので見上げるともう1段あり、そこが墳頂なのです。
冬だったら墳頂を目指してもいいですが、今の季節は登る気になりません。
埋葬主体の調査はされていません。
しかし、墳丘長は206mということで、東日本最大の古墳である太田天神山古墳とほぼ同じ長さなわけですが、なぜかこちらの方が巨大に感じます。
その理由は高さですね。
太田天神山古墳の後円部の高さは16.5mですが、こちらの前方部の高さは25mもあるのです。
そうすると、当然ながら法面の角度がそれだけ急にもなり、そういったことがこの”肉厚感”を醸し出しているんですね。
さきほど国分寺跡から見た時の印象も、しょっちゅう見ている太田天神山古墳よりも巨大でした。
それと不思議なのは、葺石も埴輪も見つかっていないというところです。
石室が未調査なので決定的なことは言えませんが、未完成の古墳だったと考える研究者もいるようです。
では戻ります。
説明板の図を見ると、後円部の先に小型の前方後円墳である和田茶臼山古墳が描かれていました。
きっとあれだな。
普通は「茶臼山」とネーミングされた場合は前方後円墳なのですが、現況は30m四方の方墳なのでかなり改変されているのではないでしょうか。
車に戻りますよ。
おっと、来るときに気づかなかったけど、あれも古墳じゃないかな。
※後で『吉備の古墳 上』を見たら、森山古墳と言って墳丘長84mのホタテ貝型古墳でかなり大きいのですが、後円部がこちら側を向いていたせいか、大きさには気づきませんでした
観光案内所に戻ってきました。
ここにもいくつか説明板があります。
さて、今の時点で時刻はすでに14時です。
今日は20時までに広島の駅前でレンタカーを返却しないといけません。
何しろこちらに来たのは初めてなので、岡山と広島の距離感が分からず、高速で1時間くらいで行けるのかと思い、念のため岡山でレンタカーを借りるときに店の人に聞いてみたところ、1時間半は見ておいた方が良いと言われました。
それを考えるとそろそろ西の方角に戻らないとまずいです。
ということで、ここから一気に西へ向かいます。
そう思い出発すると、すぐに古墳が目に入りました。
説明板があるようなので行ってみます。
廻り山古墳です。
墳丘に登っている時間はありませんよ。
ここから先ほどの両宮山古墳を見ると、ちょうど建物が邪魔して見えませんが、建物の向こうに古墳の山が見えます。
では、再び出発!
⇒この続きはこちら