⇒前回の記事はこちら
姫宮古墳を見た後は、雷電號で少しばかり南下して大厩二子塚古墳を探します。
うーん、よく分からない。
見つかりません。
まあ今日は菊間古墳群の主要古墳は見たので拘泥する必要はないか。
つづいて古墳よりも新しい時代の歴史スポットを探訪しようと思います。
目指すは飯香岡(いいがおか)八幡宮。
上総国の総社といわれている神社です。
おっと、踏切に引っ掛かった。
内房線が来ましたよ。
22~23歳の2年間、東船橋にあったコンビニの棚卸調査会社の営業所でアルバイトをしていたのですが、当時はこちらの現場にもたまに来ていました。
あの頃はまだ115系が走ってましたよ。
時間帯によっては地元のやんちゃな高校生が集団で車内に座り込んでいてちょっと怖かった。
6時24分、飯香岡八幡宮に到着。
おや、消防署の方々が大挙してやってきて参拝している。
朝早くからご苦労様です。
お、この扁額はカッコいいですね。
龍が彫刻されています。
ところで、この近くには八幡宿という駅があり、上述の棚卸の仕事より前に勤めていたソフト会社の先輩社員でここから通っている方がおり、当時から駅名だけは知っていました。
あれから四半世紀経った今、総社といわれている古社に関連した駅名だったことが分かり感慨深いものがあります。
総社だけあって、一宮、二宮、三宮が遷宮した時の記念碑が建っています。
ちなみに、一宮は長生郡一宮町の玉前(たまさき)神社で、二宮は茂原市の橘神社、そして三宮は長生郡睦沢町の三之宮神社で、3社とも外房側にありますね。
上総には四宮はありませんよ。
説明板がありました。
675年の時点で八幡宮として成立したというのはなかなか難しいかもしれませんが、かなりの古社であることは確かでしょう。
立派な拝殿ですね。
説明板によると、元禄4年(1691)の建立です。
「国府総社」と記されています。
飯香岡八幡宮は、全国の国府近くに存在した国府八幡としての機能も持っていました。
武蔵国なんかはそうなのですが、総社と国府八幡が別個にあるというケースもあります。
本殿側に回ってみましょう。
国指定重要文化財の本殿は拝殿よりもさらに古く、室町中期の建立で、将軍足利義政が寄進したという伝えがあります。
ただこの通り、覆屋の中に存在するので拝することはできませんね。
立派な樹だ。
頼朝が手植えしたと伝わる「さかさ銀杏」。
こちらにも龍がいました。
池もありますよ。
今度は「夫婦銀杏」。
神社での楽しみの一つとして古木や大木との出会いを挙げる方も多いと思います。
私は植物も心があると考えているのですが、樹齢何百年という樹はずっとその場所の歴史を見てきたわけで、そういった古木から何かを教えてもらえるような気がします。
大正初期の絵が掲げてあります。
飯香岡という地名の通り境内の場所はわずかながらの岡(砂堆列)の上で、すぐ西側は「八幡浦」と呼ばれた海が広がっており、今は建物が邪魔していますし、そもそも埋め立てが進行しているので海は見えませんが、大正時代はこの絵のような景観だったわけです。
市原市埋蔵文化財調査センターのホームページに詳しく書いてありますが、この近辺の町場が形成されたのは14世紀で、飯香岡八幡宮はその中心となったそうです。
⇒市原市埋蔵文化財調査センターHP内「市原八幡宮と中世八幡の都市形成(1)」はこちら
飯香岡八幡宮が乗る砂堆列は古代にはすでに安定していたそうなので、神社の縁起で言われている通りこの場所に古くから神社があったと考えてもいいかもしれません。
本殿の背後には境内神社が多数祀ってありますが、こちらは一際大きいです。
出羽三山。
あれ、富士塚じゃないか?
おー、やっぱりそうだ!
先日、「歴史を歩こう協会」で埼玉県志木市を歩いたときに、田子山富士塚という埼玉県指定史跡になっている素敵な富士塚を見学して何となく富士塚への興味が湧いてきているところなのですが、今日も富士塚に遭遇してしまいました。
もちろん登りますよ。
はい、今日も富士山に登りましたよ。
※翌日、木更津市の学芸員の方からこちらの地域は富士山や出羽三山の信仰が篤く、それを詳しく研究していた出羽三山の先達も勤めていた方がいらっしゃったそうですが、亡くなったあと著述物や研究資料が散逸してしまい非常に残念がっていました。
飯香岡八幡宮はなかなか魅力的な神社ですね。
このあとは少し寺社巡りをしてみたいと思います。
⇒この続きはこちら
姫宮古墳を見た後は、雷電號で少しばかり南下して大厩二子塚古墳を探します。
うーん、よく分からない。
見つかりません。
まあ今日は菊間古墳群の主要古墳は見たので拘泥する必要はないか。
つづいて古墳よりも新しい時代の歴史スポットを探訪しようと思います。
目指すは飯香岡(いいがおか)八幡宮。
上総国の総社といわれている神社です。
おっと、踏切に引っ掛かった。
内房線が来ましたよ。
22~23歳の2年間、東船橋にあったコンビニの棚卸調査会社の営業所でアルバイトをしていたのですが、当時はこちらの現場にもたまに来ていました。
あの頃はまだ115系が走ってましたよ。
時間帯によっては地元のやんちゃな高校生が集団で車内に座り込んでいてちょっと怖かった。
6時24分、飯香岡八幡宮に到着。
おや、消防署の方々が大挙してやってきて参拝している。
朝早くからご苦労様です。
お、この扁額はカッコいいですね。
龍が彫刻されています。
ところで、この近くには八幡宿という駅があり、上述の棚卸の仕事より前に勤めていたソフト会社の先輩社員でここから通っている方がおり、当時から駅名だけは知っていました。
あれから四半世紀経った今、総社といわれている古社に関連した駅名だったことが分かり感慨深いものがあります。
総社だけあって、一宮、二宮、三宮が遷宮した時の記念碑が建っています。
ちなみに、一宮は長生郡一宮町の玉前(たまさき)神社で、二宮は茂原市の橘神社、そして三宮は長生郡睦沢町の三之宮神社で、3社とも外房側にありますね。
上総には四宮はありませんよ。
説明板がありました。
675年の時点で八幡宮として成立したというのはなかなか難しいかもしれませんが、かなりの古社であることは確かでしょう。
立派な拝殿ですね。
説明板によると、元禄4年(1691)の建立です。
「国府総社」と記されています。
飯香岡八幡宮は、全国の国府近くに存在した国府八幡としての機能も持っていました。
武蔵国なんかはそうなのですが、総社と国府八幡が別個にあるというケースもあります。
本殿側に回ってみましょう。
国指定重要文化財の本殿は拝殿よりもさらに古く、室町中期の建立で、将軍足利義政が寄進したという伝えがあります。
ただこの通り、覆屋の中に存在するので拝することはできませんね。
立派な樹だ。
頼朝が手植えしたと伝わる「さかさ銀杏」。
こちらにも龍がいました。
池もありますよ。
今度は「夫婦銀杏」。
神社での楽しみの一つとして古木や大木との出会いを挙げる方も多いと思います。
私は植物も心があると考えているのですが、樹齢何百年という樹はずっとその場所の歴史を見てきたわけで、そういった古木から何かを教えてもらえるような気がします。
大正初期の絵が掲げてあります。
飯香岡という地名の通り境内の場所はわずかながらの岡(砂堆列)の上で、すぐ西側は「八幡浦」と呼ばれた海が広がっており、今は建物が邪魔していますし、そもそも埋め立てが進行しているので海は見えませんが、大正時代はこの絵のような景観だったわけです。
市原市埋蔵文化財調査センターのホームページに詳しく書いてありますが、この近辺の町場が形成されたのは14世紀で、飯香岡八幡宮はその中心となったそうです。
⇒市原市埋蔵文化財調査センターHP内「市原八幡宮と中世八幡の都市形成(1)」はこちら
飯香岡八幡宮が乗る砂堆列は古代にはすでに安定していたそうなので、神社の縁起で言われている通りこの場所に古くから神社があったと考えてもいいかもしれません。
本殿の背後には境内神社が多数祀ってありますが、こちらは一際大きいです。
出羽三山。
あれ、富士塚じゃないか?
おー、やっぱりそうだ!
先日、「歴史を歩こう協会」で埼玉県志木市を歩いたときに、田子山富士塚という埼玉県指定史跡になっている素敵な富士塚を見学して何となく富士塚への興味が湧いてきているところなのですが、今日も富士塚に遭遇してしまいました。
もちろん登りますよ。
はい、今日も富士山に登りましたよ。
※翌日、木更津市の学芸員の方からこちらの地域は富士山や出羽三山の信仰が篤く、それを詳しく研究していた出羽三山の先達も勤めていた方がいらっしゃったそうですが、亡くなったあと著述物や研究資料が散逸してしまい非常に残念がっていました。
飯香岡八幡宮はなかなか魅力的な神社ですね。
このあとは少し寺社巡りをしてみたいと思います。
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