本当なら今日(10月12日)と明日は、福島の古代史ツアーへ行っているはずでした。
ところが、未曽有の台風の接近により、中止となってしまいました。
今回のツアーは、稲用ツアーのヘヴィーユーザーの方々も多く参加する予定で、皆さまもそして私自身も大変楽しみにしていたので本当に残念ですし、また、会社側も売り上げが立たず、ステークホルダーは全員「負け」という状況です。
しかし、こういうことは旅行の仕事の宿命ですし、地球の運動は私たちの力ではどうすることもできませんので、運が悪かったというしかありませんね。
今回は吉野ヶ里にいる卑弥呼様の呪力も及ばなかったか・・・
このツアーはまた日を改めて再募集するつもりですので、来年の春以降にはなってしまいますが、その時はぜひご参加ください。
ということで、本日は今回行くはずだった遺跡の中から下総塚古墳をご紹介します。
5月に下見に行った時の様子です。
⇒前回の記事はこちら
それでは、下総塚古墳を見に行きます。
下総塚古墳は10月12日に出発するツアーで探訪予定なので、バスを降りる場所や古墳まで歩く道筋まできちんと見ておかないといけませんね。
古墳方向へ適当に走っていると、田んぼの中に墳丘らしきものが見えました。
全然小さいので下総塚ではないはずですが、念のため確認しに行きます。
少し離れたところに車を止めて、徒歩で近接。
神様がいらっしゃいますね。
愛宕神社のようです。
東側の眺望。
向こうの山々の手前、ここから700mくらい先には阿武隈川が流れています。
大岳山チックな形状の山が見えますよ。
西側。
おや、あれが下総塚古墳か?
雷電號へ戻り、さきほど見えた墳丘らしきものの方向へ向かいます。
車で墳丘のすぐ近くまで行けるようですが、行った先がどうなっているか分からないので、念のため田んぼの中の一本道に路駐して歩いて行くことにします。
車はほとんど来ない道ですし、路駐しても対向車はすれ違うことができる道幅です。
では、行きますよ。
台地側から見るとあまり墳丘は目立ちませんね。
相当削られているな。
説明板はちゃんとあります。
白河舟田・本沼遺跡群と書かれていますが、この遺跡群には下総塚古墳のほかに、ここに書かれている舟田中道(ふなだなかみち)遺跡、それと先ほど訪れた谷地久保古墳および野地久保古墳が含まれています。
下総塚古墳は、現状はかなり破壊されてしまっていますが、元々は72mもあるこの地域では最大規模の前方後円墳です。
築造時期は6世紀後半ということで、説明板にも書いてある通り、白河国造の墓である可能性は高いですね。
ちなみに、『先代旧事本紀』を元にこの周辺の国造分布図を作るとこんな感じになります(推測を含みます)。
『日本の遺跡10 白河郡衙遺跡群』(鈴木功/著)によると、この近辺では古墳時代半ばの5世紀中ごろから後半にかけて一度住居が造られ、それが一時廃絶した後、下総塚古墳が築造された6世紀後半から再び住居が造られました。
住居の数がどれくらいかは分かりませんが、下総塚のような立派な古墳を造るくらいですから、集落と呼べるくらいの数はあったのではないでしょうか。
しかし、水の張られた田んぼっていいですね。
墳丘に登っても、削られすぎてどこまで墳丘があってどの辺から周溝があったのかも判然としません。
形状は自然でないので、石室に使われた石でしょう。
ああ、いっぱいある。
一応、いつものように後円部から前方部を見ます。
ほとんど形が分からず無残だ・・・
ここにも石が。
東側にはさきほど訪れた愛宕神社が見えます。
しかし、豊かな景色ですね。
古墳時代からお米はたくさん取れたのかな?
往時のことは分かりませんが、今はこの周辺はコメどころです。
この地域は他の福島県域と比べて積雪が少ないらしいですよ。
向こうに雷電號が見える。
では戻りましょうか。
お顔がちょっと汚れていますが、遺跡めぐりをすると外も運転席内もグチャグチャになることがありますよ。
ここはツアーで来るときは、少し離れた広い道にバスを停めて歩いていただかなければなりませんね。
そういうケースもたまにあるのですが、その場合は、歩くとしても平地であることを個人的な条件にしています。
私のように40代とか50代くらいですと全然歩くのは平気な方が多いのですが、70代や80代の方々も参加されますので、そうなるとなるべく歩く負担が少ない遺跡を選択することになります。
ちなみに、私が造る古墳ツアーではなく、もっとメジャーな遺跡を訪れる観光寄りの歴史ツアーの場合は、遺跡めぐりに慣れていないお客様が結構参加されて、バスから遺跡まで10分も歩くと苦情を頂戴することがあります。
私の常識では遺跡めぐりは歩くものなのですが、人によってはその常識も通用しないということで、なるべくお客様の負担が少なくなるように最大限配慮してご案内するように心がけていますよ。
では、次へ行きましょう。
(つづく)
ところが、未曽有の台風の接近により、中止となってしまいました。
今回のツアーは、稲用ツアーのヘヴィーユーザーの方々も多く参加する予定で、皆さまもそして私自身も大変楽しみにしていたので本当に残念ですし、また、会社側も売り上げが立たず、ステークホルダーは全員「負け」という状況です。
しかし、こういうことは旅行の仕事の宿命ですし、地球の運動は私たちの力ではどうすることもできませんので、運が悪かったというしかありませんね。
今回は吉野ヶ里にいる卑弥呼様の呪力も及ばなかったか・・・
このツアーはまた日を改めて再募集するつもりですので、来年の春以降にはなってしまいますが、その時はぜひご参加ください。
ということで、本日は今回行くはずだった遺跡の中から下総塚古墳をご紹介します。
5月に下見に行った時の様子です。
* * *
⇒前回の記事はこちら
それでは、下総塚古墳を見に行きます。
下総塚古墳は10月12日に出発するツアーで探訪予定なので、バスを降りる場所や古墳まで歩く道筋まできちんと見ておかないといけませんね。
古墳方向へ適当に走っていると、田んぼの中に墳丘らしきものが見えました。
全然小さいので下総塚ではないはずですが、念のため確認しに行きます。
少し離れたところに車を止めて、徒歩で近接。
神様がいらっしゃいますね。
愛宕神社のようです。
東側の眺望。
向こうの山々の手前、ここから700mくらい先には阿武隈川が流れています。
大岳山チックな形状の山が見えますよ。
西側。
おや、あれが下総塚古墳か?
雷電號へ戻り、さきほど見えた墳丘らしきものの方向へ向かいます。
車で墳丘のすぐ近くまで行けるようですが、行った先がどうなっているか分からないので、念のため田んぼの中の一本道に路駐して歩いて行くことにします。
車はほとんど来ない道ですし、路駐しても対向車はすれ違うことができる道幅です。
では、行きますよ。
台地側から見るとあまり墳丘は目立ちませんね。
相当削られているな。
説明板はちゃんとあります。
白河舟田・本沼遺跡群と書かれていますが、この遺跡群には下総塚古墳のほかに、ここに書かれている舟田中道(ふなだなかみち)遺跡、それと先ほど訪れた谷地久保古墳および野地久保古墳が含まれています。
下総塚古墳は、現状はかなり破壊されてしまっていますが、元々は72mもあるこの地域では最大規模の前方後円墳です。
築造時期は6世紀後半ということで、説明板にも書いてある通り、白河国造の墓である可能性は高いですね。
ちなみに、『先代旧事本紀』を元にこの周辺の国造分布図を作るとこんな感じになります(推測を含みます)。
『日本の遺跡10 白河郡衙遺跡群』(鈴木功/著)によると、この近辺では古墳時代半ばの5世紀中ごろから後半にかけて一度住居が造られ、それが一時廃絶した後、下総塚古墳が築造された6世紀後半から再び住居が造られました。
住居の数がどれくらいかは分かりませんが、下総塚のような立派な古墳を造るくらいですから、集落と呼べるくらいの数はあったのではないでしょうか。
しかし、水の張られた田んぼっていいですね。
墳丘に登っても、削られすぎてどこまで墳丘があってどの辺から周溝があったのかも判然としません。
形状は自然でないので、石室に使われた石でしょう。
ああ、いっぱいある。
一応、いつものように後円部から前方部を見ます。
ほとんど形が分からず無残だ・・・
ここにも石が。
東側にはさきほど訪れた愛宕神社が見えます。
しかし、豊かな景色ですね。
古墳時代からお米はたくさん取れたのかな?
往時のことは分かりませんが、今はこの周辺はコメどころです。
この地域は他の福島県域と比べて積雪が少ないらしいですよ。
向こうに雷電號が見える。
では戻りましょうか。
お顔がちょっと汚れていますが、遺跡めぐりをすると外も運転席内もグチャグチャになることがありますよ。
ここはツアーで来るときは、少し離れた広い道にバスを停めて歩いていただかなければなりませんね。
そういうケースもたまにあるのですが、その場合は、歩くとしても平地であることを個人的な条件にしています。
私のように40代とか50代くらいですと全然歩くのは平気な方が多いのですが、70代や80代の方々も参加されますので、そうなるとなるべく歩く負担が少ない遺跡を選択することになります。
ちなみに、私が造る古墳ツアーではなく、もっとメジャーな遺跡を訪れる観光寄りの歴史ツアーの場合は、遺跡めぐりに慣れていないお客様が結構参加されて、バスから遺跡まで10分も歩くと苦情を頂戴することがあります。
私の常識では遺跡めぐりは歩くものなのですが、人によってはその常識も通用しないということで、なるべくお客様の負担が少なくなるように最大限配慮してご案内するように心がけていますよ。
では、次へ行きましょう。
(つづく)
台風の被害もあった川、古墳の場所も気になりますね。