私は、両親共に公務員の家庭に一人っ子として育ち、高校早卒業後、志望した大学受験を失敗したので、自立した経済的な自由を求めて、その頃待遇の良かった大手生保会社に、内勤として就職しました。経済的な満足感は就職して1年で得ましたが、仕事としての満足は得られずに、3年勤めたら辞めようと決めました。3年経ったら辞めて、両親の反対を押し切って、鹿児島から出て、自分にの行きたい場所で、やりたいことをやって30年経ち、
ある日突然左半身が麻痺になって、鹿児島に戻ってくることになったのですが、身体に障害を持って、一番の不安は、私の仕事はどうなるのだろう?でした。私にとって仕事とは、自分を表現する場であり、自分の喜びの場であり、人の役に立つことができたら、収入も得られるという感覚でいるのですが、左半身が使えない状況で、はたして、自分の望む仕事ができるのか?両親がまじめに長く働いてきてくれたおかげで、日々暮らす家と、母と私が暮らしいくことができる生活費はおかげさまで、十分にあったのですが、本当に自分が喜ぶ仕事をしたいという思いでリライトカラーの内容を創りあげ、道具として使うドレープやその他の道具を揃えていかなくては講座ができないと試算してみたのですが、私が二か月に一回いただける障害年金だけでは、自分の望む道具や行動ができないといことが見えて、どうにか、私のできる少しでも経済の得れる仕事をみつけないといけないと思い、ハローワークを初め、様々な所を当たってみました。しかし、左手の使えない身体障害者がお給料頂ける仕事は、皆無で、障害者就労支援B型事業所だったら、働ける可能性があるかも?と知り、B型事業所を紹介していただけたのですが、収入があまりにも少なくて、貯金までできずに、困っていたところ、その中で一番安いカラーの道具を探して購入して、リライトカラーの発見講座をとりあえずスタートして、秋色泰子さんのご紹介で受講して下さった春秋ミックス色のゆかりさんが、指導員としてA型事業所にお勤めだったので、そのA型事業所を私にご紹介して下さり、2年前の8月から講座のない日は毎日働き始めました。最低賃金の時給を戴けるので、ここのA型事業所の基準をクリアするためにはを考えると、人の手を借りずに、自分が事業所に貢献できる仕事は、服の糸を解いて解体することだけで、しばらくは、糸解きの作業をさせていただいていたのですが、今年になって、私の本当にやりたいことは、カラー講座だから~カラー講座をするために、ここで、糸を解いているのだから~と自分に言い聞かせている自分に違和感を感じて、1日の4分の1を過ごしている事業所での仕事の時間も喜びに溢れながら仕事したいと思い、自分の工夫する可能性にチャレンジして、私の右手だけで作れるコースター作りを思いつき、3作品は作ったのですが、今度は、これが人の目に止まり、買って下さる方がいるのか?が不安になり、日々悩んでいましたが、
4月の末に鹿児島市のドルフィンポートで開催されたフリーマーケットで、コースターの箱の中を一生懸命探している一人の女性がいて、スタッフの方が何をお探しですか?と聞くと、このコースターがもっと欲しいのだけど~と私の作ったコースターを片手に持って探して下さっていたみたいで、私の作った3作品を全て購入して下さった話をスタッフの方から聞いたら、今の事業所で働いて2年経ってやっと自分の居場所ができた気がして、気持ちが救われました。一人の人に役立てていただけたらそれで充分だという思いで~昨日金曜日は、4作品目の夏の海や空をイメージしたコースターが2週間かかってやっと完成致しました。自分のイメージを形にしていく物づくりの時間は私にとって、喜びで溢れます~
このとても長い文章を読んで下さりありがとうございました~これから事業所に行って、昨日からスタートした春色の空や海をイメージしたコースター完成に向けて楽しんできます~いってきます~
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