さっきまで、全然大丈夫だったのに、
あるプロモを見たら、一気にこみあげてきてしまって、
寝付けないので、BLOGに書き記すことにしました。
実は、私がアメリカに旅している12月2日。ママ方のおばあちゃんが永眠しました。
私が知ったのはアメリカから帰国した12月10日。
家族は旅行中の私のために8日間も黙ってくれました。
その間何度か連絡していたにも関わらず、黙っていてくれました。
帰国した日。
ママからおばあちゃんのことを聞きました。
私以外の家族にとっては、8日間の時間が経過しているので、
たんたんと事実を告げて、写真等を見せてくれました。
正直あんまり覚えてないんだけど、泣きじゃくって苦しくなりました。
その後にママから支店長には連絡してあって、明日は休んでいいと許可を頂いたと聞いて、
すぐに会社に電話しました。
支店長と話をした時は少し落ち着いて話ができました。
長期休みを10日から11日に変更しておいたから、と。
実は仲村さんも知っていたけど、伝えないように連絡しておいた、と。
皆さんの優しさを知り、また涙が出てきました。
12月11日。
朝起きて、シャワー浴びて、車で厚木まで。
おうちについて中に入ったら、
おばあちゃんがいつも寝ていたはずのベットがなくなっていて、
その代わりに綺麗なお花と、おばあちゃんの遺影がありました。
おばあちゃんちがお線香の匂いがして、おばあちゃんが亡くなってしまったことを、
改めて目の当たりにして、こらえていた涙がわんわん溢れてきました。
おいじちゃんがデイサービスから帰ってきて、
私や自分の娘達が勢ぞろいしているもんだから驚いていて、
“今日はなんかあったのかい??”って笑って聞いてきました。
痴呆症が始まったのは前からなんだけど、おばあちゃんがなくなったこと、
覚えていないみたいなんです。
おばあちゃんの写真をみた途端に号泣する姿をみて、私もこらえられませんでした。
おばあちゃんは夫であるおじいちゃんと、娘の洋子ちゃんと3人で一緒に住んでました。
洋子ちゃんがおじいちゃんとおばあちゃんの介護をしていたのだけど、
亡くなる1週間前に、サランラップの裏に緑色のサインペンで、
“先に行く”
と4文字太く書いていたのを、洋子ちゃんが発見したんだよと、
洋子ちゃんが教えてくれました。
もしかしたら何か予感していたのかな。
今年の年始に博多のおじいちゃん、年末に厚木のおばあちゃん、
二人とも87歳まで一生懸命生きてくれました。
でもやっぱり別れは悲しいし、寂しいし、涙がでます。
いつも優しかったおばあちゃん。
遊びに行くたびにお小遣いとハンカチとかをくれたおばあちゃん。
いつもニコニコしてて、私のホッペが大好きだと触ってたおばあちゃん。
具がいっぱいい入ってて、世界で一番美味しい味ご飯をつくってくれたおばあちゃん。
最後に会えなくてゴメンね。
旅立ちの日に会いに行けなくてゴメンね。
天国で瑠衣子のことを見守っていてください。
いままでたくさんの愛をありがとう。
久しぶりに全員そろったね。
孫とひ孫達。「恍惚の人」ミドリカワ書房