RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
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連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.28

2009-01-16 11:13:24 | 連載小説

    

       §  


1月も終わりに近づき、ホームセンターにも水仙やチューリップの鉢植えが並ぶようになった。

 1月31日の金曜日、最後の試験を終え、東京駅へ直行した。  新幹線の中で、特に読書にも集中できずに、ディスクマンでCDを聞きながら、車窓からの風景をただぼんやりと眺めていた。この間東中野の新星堂で買った『ヴォカリーズ』が収録してあるクラシックのCDだ。病室で聴くといいかなと思って、母に同じものを買って持ってきた。
 高校の時に母が乳ガンと分かった時のショックとは、また別な、もっとこう、すごく重たくて暗い感情が自分の中にあって、やるせない思いでいっぱいだった。ヴォカリーズの切ないメロディーが私の心の中とオーバーラップし、小さい頃の母の元気な姿が走馬灯のように頭の中に映し出される。

  見渡す限りの真っ白い荒野。太陽は厚い雲に隠れて見えない。生き物の気配が全く感じられず、木々も無言でじっと寒さを耐えるようにして立っている。母は数か月間誰にも言わずに、痛みに耐えていたのだろうか。

 福島駅に着いて、新幹線のドアが開くと、お正月の時よりもっと冷たい風がビューっと舞い込んで来た。私はマフラーをぎゅっと握りしめ、改札へ向かう。  改札には父と姉が迎えに来てくれていた。二人共、その表情に笑みはない。ただ、姉の美香はかなりしっかりした表情をしていて、私を見つけると、手を振ってくれた。

  「今日は面会時間過ぎてるから、お母さんには明日会いに行きましょう」
 と姉が言って、車に乗り実家に向かう。

  「お兄ちゃんにはまだ伝えてないの。国際電話何回もしてんだけど繋がらなくて」
 兄の厚太は、ここ数年帰国していない。

 姉は家庭科の先生をしているだけあって料理が上手い。実家に着くと、早速鍋やフライパンに火を点ける。夕飯の下ごしらえをしていてくれたらしい。

「すぐできるから、理美ご飯分けといてくれる?」

 母のいない食卓。考えてみたらすごく珍しいことだ。父や私たち兄妹が欠けるとしても、母が欠けることは滅多にない食卓だった。姉が帰ってきてくれて父は助かったようだ。父は野菜を作るのはうまいが、料理の方はさっぱりだからだ。  父が重い口を開けた。

「美香には少ししゃべったが、お母さんはだいぶ悪いそうだ。検査結果はひどいもので、肺や首のリンパ節、骨にまで転移していて、手術はしたが本当はもう手遅れだそうだ。お父さんが悪かった。一番傍にいたのに気付いてやれなかった。お母さんは我慢屋だからなぁ。医者の話では、最低半年前にはもう再発していたと言うんだ。夏に、よく疲れていたのは、今にして思えばあの頃にもう再発してたんだな」
 父は無念そうだった。

「助からないのに手術したの?何それ?体をただ切り刻んだだけなの、ひどいじゃない」
 私が激怒すると、父は静かに、

 「中を開けてみて、予想以上の広がりだと分かったそうだ。結果的には無駄な手術だったとは言っても、治そうとしてのことだったのだから、責めてもしょうがないだろう」
 と一語一語噛み締めて言った。

 夕食の後片付けは私がした。茶わんを温かいお湯で洗いながら、

(お母さんはこうやって家事をしながら痛みをまぎらしていたのだろうか…)

 と、ぼーっと皿を洗う手を止める。

 温かいお湯が流れ続ける。母は毎日ここに立って、何を考えていたのだろう。自覚症状があったのなら、何故すぐ父に言わなかったのだろう。

 洗い物を終え、ケイタイを碓認すると、メールが来ていた。珍しく松崎からだった。松崎は自分から打ってくることはほとんどないのだ。

「理美ちゃん、今日だったよね、実家帰ったの。明日は、お母さんに明るい笑顔を見せてあげてね」
 松崎にしては長い文面だった。松崎なりに一生懸命考えて出してくれた、そんな気がした。すぐに返事を家打つ。

「ありがとう大ちゃん。そうするわ。でも、さっき父に聞いたんだけど、お母さん、もう手遅れなんだって。大ちゃんにせっかく励ましてもらったけど、私、本当は笑顔で会える自信ないよ」
 すると松崎がまた返事をよこした。

「そうなんだ…。理美ちゃん元気出して。しばらくはずっとお母さんに付いててあげて。オレもお見舞いに行くからね」

 次の日、父と姉と三人で母に会いに病院へ行った。

 病室は母一人だった。白い壁で、窓からは明るい陽の入る落ち着く部屋。  母は本を読んでいた。普段は仕事と家事で、好きな読書もできなかったのだろう。母にとってはしばしのやすらぎの時間になっているのかもしれない。けれども、治る見込みがあってそうなら嬉しい話だけれど、母は…。

 病室に入って、はじめにかけた言葉は、

「お母さん、大丈夫?」
 だった。なんでこんなことしか言えなかったのだろう。でも他に何と言えばいいのだろう。

  「あら、理美も来てくれたの?学校の方は大丈夫なの?お母さん、みんなに迷惑かけちゃってね…」
 母はこれ以上ないほど暗い表情をしていた。女の勲章である胸がなくなった悲しみに違いなかった。大変な手術だったから、傷口だってまだ回復してはいないだろう。母の表情を見て、思わず目頭が熱くなった。涙が溢れて止まらなかった。母も独りでは泣くことさえ忘れていたとみえて、私が泣き出すと大粒の涙をぼろぼろこぼして泣いた。

 母の身に、こんなことが起きるなんて誰が考えただろう。二十余年間三人の子供を育てながら、夢中で働いてきた母。心配症だけれど寛大だった母。大学で東京に来てからも、いつも心の中にいて頼りにしていた母。

 しばらく泣いた後、私は家から持って来たりんごを剥いて母に食べさせた。

 「病院の食事はね、味気ないわ。乳ガンには動物性タンパク質がよくないから、豆とか根菜類とかが多いの」

 母はそう言って、美味しそうにりんごを食べた。

 何も用意する間もなく即入院したからか、母は病院で支給された寝巻きを着ていて、それは薄い水色で、胸のところが肌けていてあまり母には似合っていなかった。

 午後、父と姉と、中合に買い物に行った。中合は福島のローカルなデパートで、高島屋ほどではないが、良い品を数多く取り揃えている。小さい頃は休日になるとよく家族で買い物に来たものだった。

 まず、お母さんの寝巻きを買った。肌着のコーナーは結構充実していて、数ある中から選ぶことができた。毎日着替えられるように三着、赤やピンクの細かい花柄のフリル付きの可愛いのと、落ち着いたベージュ色で胸の所にバラの花のプリントがされてあるのと、水色にラベンダーの模様がちりばめられているもの、を買った。

 それから、下着を数枚、…ブラジャーは買わなかった。母はきれいな胸をしていた。温泉に行く度に、お母さんのような胸になりたいと思ったものだった。  

 それからドラッグストアに行き、ティッシュボックスや綿棒、歯ブラシや櫛などの洗面用具、化粧水と乳液、手鏡、ペットボトルのお茶、ホッカイロなどを買う。

 最後に本屋に寄って、母に頼まれた本を探した。山崎豊子の『大地の子』上・中・下だ。  ガン闘病記の本にも目がいったが、買わなかった。

 病院に戻って、買った物を母に見せると、母は一つ一つ愛おしそうに手に取って眺めて、

  「お金使わせちゃったわね、ありがとう」
 と言った。

 早速買って来た寝巻きに着替えると、病人らしさはなくなり、とても明るい感じになった。

 父は、母がクラシック好きなのを知っていてか、家にあったCDを数枚持って来た。ブーニンのピアノ曲集と、モーツァルトの交響曲、グレン・グールドのバッハ小品集、それに芹洋子、さだまさしの歌集だった。私も持って来たヴォカリーズのCDを渡した。
 母は嬉しそうに、枕元のCDラジカセに、まずさだまさしの『帰郷』を入れて、スイッチオンした。

 窓の外を見ると、雪が降ってきた。私は雪を眺めながら、東中野のオシャレな喫茶店で高村くんと見た初雪を思い出した。あれから確かまだ二か月ぐらいしか経っていないはずだけれども、随分遠い昔のことのように思える。そう言えば高村くんには母の病気について話したことはなかった。なんとなく、身内のことを話す空気が彼との間にはなかった。高村くんの前では、いつもどこかで無理をしている自分がいた。無理と言うか、かっこわるい部分は見せたくないと思っていたんだろう。  母がこんなことになって、頼れるのはやはり松崎だった。松崎にはいくらかっこ悪いことでもさらっと言うことができる。泣き崩れることだってできる。松崎はどっしりと構えていてくれる、受け止めてくれる。

 その後、父が先生に呼ばれて出て行った。きっと手術後の経過や今後のことを話されるのだろう。

「理美は最近ピアノがんばってるわね」  と母が言うので、

「うん、目白の教室で習っているよ。月三回のレッスンで練習室使い放題で一万円なんだ。今井先生って言う盛岡出身のすごくいい先生だよ。今はベートーヴェンのソナタ『テンペスト』の第三楽章を練習中なの。悲壮感の漂う素敵なメロディーでね。松崎くんのお母さんがピアノの先生だから、上手くなって誉められたくて」
 母に自分の好きな人の話をするようになったのは松崎が初めてだ。

 母は、小さい頃からピアノを習わせてくれた。私がピアノができることを誇りに思ってくれていて、最近、自分も町のヤマハに習いに行き始めていたそうだ。そんなことは離れて住んでいたから全然知らなかった。

「へぇーそうなの?お母さんすごいじゃん」
 私は、母が余生の楽しみに始めたピアノを、

(これからもっと練習してどんどん色々弾けるようになったら楽しいね)
 と言いたかったが、どうしても言えなかった。母の体を蝕んでいくガン細胞が憎らしくてたまらなかった。

  こんなに豊かで平和で、最新技術が次々と生み出されているこの世の中で、なぜガン細胞をやっつける薬は開発されないのか不思議でたまらない。そんな薬があるなら借金してでも手に入れるのに…。
 お父さんはどこの本で読んだのか調べたのか医者に了解をもらい、ビワの葉の煎じたお茶や、アガリクスというきのこを乾燥させて粉末にしたお茶などを与え、母はそれを素直に飲んでいる。
 手術後しばらくして始めた抗ガン剤は副作用があった。口に三つも口内炎ができたり、髪の毛が抜け落ちたり、吐き気がしたりするという。そんな薬本当に大丈夫なんだろうか。  母はそれでも、驚く程の集中力で『大地の子』上・中・下を、なんと十日間で読了することになる。

 家に帰り、松崎に電話した。

「お母さんの手術は無事終わったよ。でもこの手術ですべてのガンを取り除くことは出来なかったみたいなの。ガンは相当進んでいて、もう助からないんじゃないかって…。まさか、こんなことになるなんて…」

 私は電話口でワッと泣き出した。

「だから、前から約束してたスノボーも行けないわ。ごめんね」

「そんなこと全然気にしないくっていいよ。スノボーはオレの友達誰か誘って行ってくるからさ。心配しないでお母さんに付いていてあげて」

 松崎の言葉は温かかった。