RIKAの日常風景

日常のちょっとしたこと、想いなどを、エッセイ風に綴っていく。
今日も、一日お疲れさま。

連載小説「冬枯れのヴォカリーズ」 vol.29

2009-02-04 13:04:05 | 連載小説
     §

  いつの間にかバレンタインデーだ。

 松崎が研究忙しい中お見舞いに泊りがけで来てくれた。この週はまた冬に逆戻りして大雪が降り、外を歩くにも長いブーツが必要だった。

  午前中、遅めに起きて、家にちょうどあったハートの型でチョコレートケーキを作った。

 松崎が実家に来るのは初めてだったから、私は母のことは気になるけれども、精一杯綺麗に片付けしておいた。松崎の実家みたいにセンスよくってわけにもいかないけれど、私の家もこの辺ではモダンな方だ。

 玄関は吹き抜けになっていて、階段がまっすぐ伸びている。その分二階の部屋数は少ないが、私はこの家の造りが気に入っている。

 松崎が福島駅西口に着いたのは日の傾きかけた夕方の16時50分だった。  いつものラルフローレンのダッフルコートに、グレーのマフラーをして、大きなバッグをさげてやってきた。

 父を見ると、松崎は丁寧にお辞儀をした。
 病院の面会時間は過ぎていたので、そこからまっすぐ実家へ向かった。福島駅西口から私の実家まではだいたい25分くらいだが、松崎は母の具合のことは一切聞かなかった。無口だった。こういう時は無口でいることが一番礼儀正しいんだ、そのことを松崎は知っているのかもしれなかった。

 姉は家に残って夕ご飯の準備をしてくれていた。

 松崎が実家の玄関に入った時のことを私は忘れない。松崎は、秋に霊山に六人で泊まった時もそうだったが、冒険好きだ。玄関に立ってその吹き抜けを見た時、きらきらと目を輝かせたのだ。

 今日は松崎が来るから、姉も洒落たものを作ってくれた。貝に入ったままの生牡蠣を八個皿に並べて、レモンやローズマリーを添えてくれた。それからロールキャベツ、魚介のマリネ、スペイン風オムレツなど美味しそうな料理が並んだ。

 母がこんなだけど、父は松崎がとても気に入った様子で、

「まあ、一杯やろうや」  と言うことになり、姉も喜んで冷蔵庫を開け、奥の方になっていたお酒類を取り出してきて、みんなで乾杯した。

 食事の後、久しぶりにピアノを弾いた。レパートリーの一つで哀愁を帯びた曲、ショパンのノクターンOP9ー1を弾いた。母への思いを精一杯曲に込めて…。

 夜、姉が、松崎さんは一階の座敷に寝てもらいましょう、と言って、お客様用の布団を敷いてくれた。本当は二階の私の部屋で一緒に寝たかったけれど、そういうわけにもいかない。

 寝る前に、私の部屋から下の座敷におやすみメールを送った。返信はなかったけれど。

 次の日、父と姉と松崎と4人で、10時ちょうどに病院へ行った。

 部屋には既に悦ちゃんがいて、花の水を替えたりゴミ捨てに行ってくれたりしていた。  母は松崎に気が付くと、急に髪を直したり寝巻きの胸元を直したりした後、笑顔で、

「松崎さんとおっしゃったわよね?理美がいつもお世話になっているそうで…」

 すると松崎も、目にはまだ力があったが、口元は笑みを浮かべ、少し俯き加減で、

  「はぁ」  と丁寧にお辞儀をした。

「そうそう、秋にりんご狩りに来て下さいましたよね。あの時は運転本当に大変だったでしょう。ありがとうございました」

 お母さんは泣きそうな笑い顔をして、松崎を眩しそうに見る。

 松崎はしばらく立ち尽くしていたが、母が急に気付いて、

「あらやだ、座って座って」  と椅子を指差し、みんなに促した。

 次の日、母の車を借りて、松崎と福島デートをした。帰りには母の病室に寄ると父に伝え、出掛ける。

 真冬だから行く所なんてほんとはスキー場ぐらいしかないかと思ったけれど、信夫山、県立美術館、眺めのいい喫茶店など、行く所は結構あった。

 松崎は運転しながらこんなことを言った。

「理美ちゃんの家って、なんか温かいね。お父さんもいい人だし、なんて言うかみんな優しくて。お姉さんもしっかりしてそうだし」

 信夫山と言う山は福島市のど真ん中にあって、「ノブオヤマ」ではなく「シノブヤマ」と読む。信夫山に松崎と来れるなんて。

 美術館では、ベルギーの画家『ポール・デルポー』の企画展をやっていて観た。何回も見飽きている常設展も、松崎にとっては初めてだからと思って久しぶりに見たら、黒田清輝とかアンドリュー・ワイエスの絵もあって子供の時とはまた違った発見があり意外に良かった。松崎も結構興味深そうに観てくれた。

 病室へ行くと、母は横になって眠っていた。起こすのは悪いから、帰ろうかどうしうしようか迷っているうちに母が私たちの気配に気が付いて、目を開けた。

「あら、また来てくれたの?理美、そこの戸棚にお菓子が入っているから、松崎さんに差し上げて」

 松崎が自販機で飲み物を買って来てくれて、椅子に座ってお茶をした。

「今ね、信夫山と美術館に行って来たの」
 私が展示の話をすると、母も懐かしそうな目をして、

「理美、小さい頃見ている最中に大声出してね。監視の人にジロジロ見られたことあったのよ」
 なんて言うので恥ずかしかったが、松崎はフォローするように、

「福島にはこんなに素晴らしい美術館があるのですね。東京ではあれだけ広々とした、閑静な美術館はなかなかないです」

 松崎はやはり礼儀正しい人だ。

 けっこう夕方になってしまったので、花見山の近くの眺めのいい喫茶店へは行かずに帰った。  
   
  次の日は、福島フォーラムで『クルテク』を観た。

「まさか福島で観れるとは思わなかったよ」

 車を運転しながら松崎は嬉しそうに言う。

 映画はほのぼのした優しいお話で、母の病気のことを一時忘れることができて、心身共に穏やかな気分になった。好奇心いっぱいのもぐらくん。松崎がこのキャラクターを好きな理由が分かる気がした。

 早苗の結婚式があるので、それと、もう一つ重要な用事が出来たので…次の日、松崎と一緒に一旦東中野に帰ることにした。公共料金の振り込みや植物の水やりも気になっていた。

 松崎と東北新幹線に乗るのは初めてだ。松崎は当然のように指定を取ったので、私もそうした。席の心配をしないで並ばずに乗るなんてとっても久しぶりのことだったから、とてもいい気分だ。高々500円だけでこんな余裕が買えるなら、安いものかもしれない。

 松崎の左肩に頭をもたげて、しばらくして眠った。


 東中野のアパートに着く。留守電の赤いランプが点滅している。再生を押したら、デンマーク体操の中村コーチからだった。

「デンマーク体操の中村です。体操留学のことでお話がありますのでお帰りになりましたらご連絡頂けますか?よろしくお願いします」

 そう言えば目白祭の打ち上げの飲み会の時に、そんな話がちらっと出たが、その時は他人事のようにしか聞いていなかった。すぐに中村コーチの電話番号を調べてかけると、中村コーチが出て、来週の月曜日に池袋で会うことになった。  

  夜、高村くんと東中野のファミレスで会った。高村くんはサークル活動があり、まだ広島には帰省していなかったのだ。

 私は母の話を、なるべく分かりやすく高村くんに伝えた。

 すると高村くんは、

「わかりました。エントリーシートはほとんど出し終えたので、筆記や面接が始まる前に少しだけ帰省しようと思っていましたから、父に話してみますよ。オレの母は若い時スペインに遊学した際に現地で父に出会ったと前話してたことがありました。それにしても、夏木さんとこんな接点があったなんてオレは嬉しいです。お母様のお名前伺ってもいいですか?」

「夏木晴美って言うの。あ、お父さんにお話する時は旧姓の『佐藤晴美』って言ってね」
 お店を出て、久しぶりに高村くんと肩を並べて歩く。また、こうして歩けるとは思っていなかった。

 エレガンス東中野の前まで、明るく別れた。高村くんは、私に彼氏がいると伝えてからも、態度が変わらない。


 早苗の結婚式の日は朝からよく晴れていて、あちらこちらに梅の花が咲いていて、春が感じられるような、そんな日だった。

 午前11時、早稲田奉仕園にはベジェッサ西早稲田のメンバーや記者クラブの数人、それに池上・早苗の親友など若者ばかり30人弱の人が集まった。その中に一人だけ年増の女の人がいた…池上のお母さんだ。

 早苗も池上くんもからっとしたすごくいい表情をしていた。早苗は予想通りタイトな大人っぽいドレスを着ている。

 教会の中は結構古くて小さかったけれども、返って奥ゆかしい感じがして、結婚という永遠の誓いをするにはふさわしい所だなと、私の方まで心が清められるような思いがした。松崎が正装して隣にいることで、余計そう感じたのかもしれない。  神父が清書の抜粋を読み上げ、二人が向かい合って指輪の交換をし、キスをする。お友達の結婚式に参列したのは初めてだったから、こんなにも綺麗な情景を観て、目頭が熱くならずにはいられなかった。これでもう二人には一本の長い道が拓けたのだ。

 式が滞りなく終わり、教会の鐘が西早稲田に高らかに響き渡り、後ろの戸がバッと開く。私たち参列者は花道を作って、フラワーシャワーで二人を祝福する。   
  
   ブーケは、なんと私が受け取った。           


  昼食会は奈歩が幹事で、高田馬場の隠れたフレンチのお店を貸切って楽しく行われた。

 どの人も、ハッピーな顔をしていた。松崎の笑顔が、特に綺麗だった。

 姉の式は、大丈夫だろうか…。  


 翌日の午後、中村コーチと池袋で会った。いつも練習では皆と一緒だったから、こうして二人で向かい合ってお話するのは少し緊張する。

 中村コーチのお仲間の先生が、自分の生徒が今度の夏に数人デンマークに体操留学するということで、もしも中村コーチの生徒さんでも行きたいという方がいらしたらお世話しますよ、ということで、その話を私に持ってきて下さったのだ。

  「半年も一年もだったら大学も休学しなくてはならないし、無理にお誘いはできないけれど、夏休みを利用した三週間の集中講座で、体操を教える資格を取得できるの。私もね、結婚してから思いきって留学して34で資格を取ったのだけれど、こうして主婦業の傍らお仕事させてもらっていて、自分でもあの時資格を取っておいて本当に良かったと思っているの。もちろん理美さんはちゃんと理学部を出て就職も考えているでしょうけれども、たとえすぐに使うことがないとしても、長い目で見ると、資格って持っているといつか役に立つことってあると思うの。可能性の幅が広がるって言うのかしらね。どうでしょう理美さん?」

 正直この話には惹かれた。デンマーク体操をしている時の自分はとても好きだし、自分の好きな音楽で自分でメニューを考えて指導するっていうことに前々から秘かに憧れを抱いていたからだ。それに三年も終わりに近付いて、周りの皆は銀行のSEとかメーカーの研究所とかやはり理系就職を積極的に狙っているけれども、どうも私はそう言った職種には自信がなく、かと言って何か他にやりたいことも見つからずに悶々としていた矢先だった。ただ、デンマークに三週間留学ということは、それなりに費用もかかることだろうから、それに母のことが頭にあって、即答はできずに、

「少しお時間を頂けますか?両親とも相談して、来月末までには必ずお返事したいと思いますので」  と丁寧にお返事した。

 その日の夜は松崎がお食事に招待してくれて、新宿で会った後、八時台の新幹線で再び福島へ帰る。松崎は東京駅の新幹線のホームまで見送りに来てくれた。

 「体操留学の話、ご両親さえOKしてくれるならオレは大賛成だよ。理美ちゃん体操の素質あると思うし、自分でそういう教えたいっていう想いを持っているのなら、これは願ってもないチャンスだよ」

 松崎にもそう言われて元気が出たし心が奮い立った。でも…母があんな状態なのに留学の話なんてどうやって切り出せる?この時期にそんな話をするのはなんだか不謹慎なことに思えて複雑な気持ちのまま、私は車窓から見える色とりどりのネオンをぼんやり見ていた。