臨死体験と言って良いのだろうかとも思うのだけど、死にそうになった体験だから、臨死体験かなあ?
そういう体験をすると、人生観が変わるとか、色んなことが言われているけど。
私の場合は、それがきっかけでキリスト者になった。
19歳の時、ドイツで、病院の手術台の上で、私は死んでいたかもしれない。と言っても、全身麻酔で、何も記憶はない(笑)
呼吸ができなくなって、喉に管を通したり、いろいろ大変だったらしい。ただの腎臓結石の簡単な手術だったはずなのだけど、手術というのは、何が起きてもおかしくないのだろう。
麻酔から覚めて来た時、お見舞いに来ていた姉に、「ぽっくり逝くって、こういうことなんだね。」って言ったらしい(笑)意識がまだ、はっきりとはしていなかったみたいだから、そう言った記憶もないんだけど。
ただ、不思議なのは、麻酔で記憶がなかったはずなのに、自分が死にそうになったということがわかっていたって言うこと!?
一体何が起こったのかを知らされたのは、もうちょっと後のことだったから。なかなか教えてもらえなくて、でも、回復が遅いとか、喉がおかしいとか、なんでこうなってるの?みたいなものがたくさんあったから。翌日には退院できるって聞いていたのに、実際には1週間入院。そのあとは、自宅で療養となった。上手く回復しなくて、結局しばらく日本へ帰ることになった。ちなみに、体調が悪い時に、飛行機に乗るのは止めた方が良い。熱も出たし、移動の方が大変だったのかもしれない。当時は、すでにソビエトが崩壊していて、シベリア上空が飛べるようになっていたから、ヨーロッパに初めて出て来た頃よりは楽にはなっていたのだけど。
日本に帰ってわかったのは、思った以上に身体が傷ついていたこと。治すことができない部分もあったこと。
でも、全然気にならなかった。
この身体は、表面上の物だから。私の魂に傷がついたわけじゃないから。
あの体験で、死から自由になったんじゃないかな。
それでも、鬱が悪い時には、「死」というものと隣り合わせのことがよくある。
少なくとも、クリスチャンである限り、自分で命を絶つことはできないのだと思う。自分で自分の命を絶つことは、罪であるから。
その後、再びドイツへ戻ったことに、周りの人はびっくりしたらしい。
私にも、わからない。どうしてヨーロッパに来たのか。どうして今、スコットランドにいるのか。神様にしかわからないんじゃないかな。
ただ、すべての経験には、意味があって、必要だったのだと思う。
あの体験があったから、道端に咲いている雛菊を見て、笑顔になれるようになった。
そもそも、生きているって言うこと自体が、不思議なことなんじゃないかなあ。それ自体がミラクル。
それでも相変わらず、ミラクル・来る来る、信じてます(笑)
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