ヽ ,,,,,,,, ;;,;;;;;;;;;;;;;,,,/ ヽ /|
フヽ_ ∪"'=,,,,;;;;;;;;;;/ 丿 | !-,,,,,____,,,,--;;;フ=|\_WW/ |WWWWWWWWWWWWW/
彡>;,,,,__..│ / 丿 |;;;;;;;;;;;;;;ン-彡彡=|≫ 三点リーダーひとつなど ≪
ノ 「,二,,""" 彡|≫ 物書きの恥だっ! ≪
__,,,-‐`゛ V、 '''ひ`=-,,,_ノ_ ≫ ≪
ヽ\,,,_ .丿 |/MMMMMMMMMMMMMMMMM、\
.│ ゛゛゛~ ノ
-‐-ヽ . | ヽ 丿/
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~ ""` ^''''_.丿 ./ :
,r'′ ̄ ''ヽ ,,,,ノ/ :
,, ,__,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,、 ‘ / ./ ;
∥ ( `゛‐-‐'、,,_ / ./ /
' ゛゛`=─--.,,,,,,_ ./ ./ ./ /
と言われる方が、たまーにみえます。
三点リーダーとは『…』の事で、一文字分を単体で使うのは間違いだ、と言いたいようです。
何の事を言ってるかと申しますと、出版物の文章には一定の『お約束』があるんですね。
こんなのです(リンク) ⇒ 某サイト様による文章作法の例
いろいろ文章の勉強をされた方はこういった知識を持ってみえるわけですが、小説にしてもこういったブログにしても、その『お約束』から外れただけで、その『外れた一点のみ』を叩く方もみえるんです。
例えば
・三点リーダー(…)が偶数個(2,4,6個)並べられていない(『―』も同様)
・三点リーダーの代わりに『・・・』を使っている
・『!』『?』の後ろにスペースで一文字空けていない(括弧類は除く)
・括弧で閉じる前に句点(。)がある(例:「こんにちは。」)
の様な文章を見て、中身そっちのけでそこを叩くんですよね。
このお約束は、出版するにあたって見栄えがよい・読みやすいであろうというテンプレなわけですが、多くの方々がそれに賛同して(或いは仕事上させられて)、現在一般的になっています。もちろん、『何故そうすると効果が良いのか』に一理論持ってこだわられる方もみえます。
しかし、それでは例えば石川啄木と同時代に生まれていたら、その方はなんと言われることでしょう?
型破りの作品を見て、内容そっちのけで非難されるのでしょうか?
名のある方がそんな事をしたら、後世のいい笑い者ですね。
最近は、素人が投稿する小説のサイトや動画のサイトもあり、勉強し始めて間もない方々も作品を世に出してみえます。才能の芽は、まだ土から顔を出したところにチョロチョロとじょうろで水をやっている状態です。
漫画内などで用いられる表現で言う所の『荒削りだが、光る物がある(キリッ』みたいな方も多いわけですが、見るべき部分を全く無視して『お約束』のみを叩くのは、単に御自分が上から目線でドヤ顔をしたいだけの様に思えてもったいないな、と個人的には思っています。
せっかく勉強をしてこられた方が、才能の芽を見過ごすのももったいない。
せっかく出てきた芽に、日が当たらないのももったいない。
音楽の世界でも、作曲でそういった『お約束』(和声学・対位法など)がありますが、モーツァルトなど、『禁則』と呼ばれる和音進行を用いたりしても作品の評価を落とされたりはしません。
小説の作品も、こういったブログの記事も、書く方が『こうしたい』という表現が優先されるべきであって、安易に文章作法ありきで叩く風潮が散見されるのは残念であります。
あ、今回はオチはありません。えへ^^;
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
フヽ_ ∪"'=,,,,;;;;;;;;;;/ 丿 | !-,,,,,____,,,,--;;;フ=|\_WW/ |WWWWWWWWWWWWW/
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__,,,-‐`゛ V、 '''ひ`=-,,,_ノ_ ≫ ≪
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と言われる方が、たまーにみえます。
三点リーダーとは『…』の事で、一文字分を単体で使うのは間違いだ、と言いたいようです。
何の事を言ってるかと申しますと、出版物の文章には一定の『お約束』があるんですね。
こんなのです(リンク) ⇒ 某サイト様による文章作法の例
いろいろ文章の勉強をされた方はこういった知識を持ってみえるわけですが、小説にしてもこういったブログにしても、その『お約束』から外れただけで、その『外れた一点のみ』を叩く方もみえるんです。
例えば
・三点リーダー(…)が偶数個(2,4,6個)並べられていない(『―』も同様)
・三点リーダーの代わりに『・・・』を使っている
・『!』『?』の後ろにスペースで一文字空けていない(括弧類は除く)
・括弧で閉じる前に句点(。)がある(例:「こんにちは。」)
の様な文章を見て、中身そっちのけでそこを叩くんですよね。
このお約束は、出版するにあたって見栄えがよい・読みやすいであろうというテンプレなわけですが、多くの方々がそれに賛同して(或いは仕事上させられて)、現在一般的になっています。もちろん、『何故そうすると効果が良いのか』に一理論持ってこだわられる方もみえます。
しかし、それでは例えば石川啄木と同時代に生まれていたら、その方はなんと言われることでしょう?
型破りの作品を見て、内容そっちのけで非難されるのでしょうか?
名のある方がそんな事をしたら、後世のいい笑い者ですね。
最近は、素人が投稿する小説のサイトや動画のサイトもあり、勉強し始めて間もない方々も作品を世に出してみえます。才能の芽は、まだ土から顔を出したところにチョロチョロとじょうろで水をやっている状態です。
漫画内などで用いられる表現で言う所の『荒削りだが、光る物がある(キリッ』みたいな方も多いわけですが、見るべき部分を全く無視して『お約束』のみを叩くのは、単に御自分が上から目線でドヤ顔をしたいだけの様に思えてもったいないな、と個人的には思っています。
せっかく勉強をしてこられた方が、才能の芽を見過ごすのももったいない。
せっかく出てきた芽に、日が当たらないのももったいない。
音楽の世界でも、作曲でそういった『お約束』(和声学・対位法など)がありますが、モーツァルトなど、『禁則』と呼ばれる和音進行を用いたりしても作品の評価を落とされたりはしません。
小説の作品も、こういったブログの記事も、書く方が『こうしたい』という表現が優先されるべきであって、安易に文章作法ありきで叩く風潮が散見されるのは残念であります。
あ、今回はオチはありません。えへ^^;
←例のアレです!! お気が向かれましたら。