いやいやいや、更新、ご無沙汰しておりました(^-^;)
書きたいことや、ネタはいっぱい貯まっているんですけれどもね!!(;^-^)
ま、置いときまして、昔は小説ですとか、漫画ですとかって敷居が高かったんですよね。どこか、「上手い人が書いて(描いて)いるものであって、自分は読み専だから」みたいにね、一般的には「作品というものは、出てきたものを楽しむものだ」的な意識がフツーだったと思うんですよ。
それが、まぁ、どうしたことか、一般人が『作品の裏』に興味を持つようになりましてね。本来、名前がなかなか表に出てこなかった声優さんが、現在では顔やら経歴やら、随分と表に出てきていますでしょ。需要が高まったせいもありますが、作品の裏に隠れていることの多かった声優陣を、ビジネスとして前面に押し出すようになり、キャストを決める際の判断材料として影響を与えるまでになりました。
また、作品のストーリーに関しましてもね、しきりに『伏線』というワードが飛び交うようになりましたでしょ。昔はそんな言葉、滅多に出てこなかったものでして、ナニカが終わってから「ああ、あれは伏線だったのだな」とか、そんな程度だったはずです。
ところが、ですね。最近ではニコニコ動画なんか、コメントが付きますでしょ。もうね、伏線として言わせた台詞がすぐにバレてしまうんですよねー。「これは伏線だな」「伏線っぽい展開だね」「これ、後でまた出てきそう」みたいなコメントが、リアルタイムで付きます。『フラグ』というワードも同様です。視聴者や読者がシナリオ展開を能動的に読もうとするようになったので、いわゆる『死亡フラグ』なんてものはすぐに見破られてしまい、「嫌な予感がするな……」「あ、こいつ死にそう」のようなコメントが流れます。
それだけ一般に『シナリオについて、考える』人が増えているのが現在なんですよね。王道展開も熟知していたり、キャラの立たせ方も見ていたりしますので、作者にとっては非常に怖い『目の肥えた読者(視聴者)』で溢れているわけです。逆に言えば、自分である程度展開することの出来る層とも呼べるわけで、「それじゃ、書いてみよう」、或いは「書いてみたい」という方は実際に作品を創る側へと足を踏み入れていきます。書きたい人、描きたい人って今、すんごく多いんだよって、その筋の方が仰ってました。(^-^;)
同人活動なども盛況ですよね。東京の大イベントなどは、それに付随して動く二次的な金銭流動も含めれば、国家予算規模の経済効果があると試算した学者さんもみえます。
しかしインターネットの発達した現代、もっと気軽な手もあるわけでして、様々な『小説投稿サイト』が生まれました。
老若男女入り乱れて、匿名で作品を出し合うコミュニティなわけですが、これもなかなか奥が深いです。良いこと、楽しいことである反面、問題が発生するケースも様々にあるんですよね。
まず、基本的に作品を出す側って、いろんな事にビクビクすることが多いです。
他人からの評価、或いは自身による判断に苛まれ、意気揚々と書き上げて出した後になってからいろいろと悩んでしまわれる方をよくお見かけ致しました。おおまかには、褒められて伸びる方と、叱られて伸びる方に分かれます。
そこで、だいたいのサイトさんでは厳しいコメントを控える傾向にあるようです。もうトップページから『叱られるのが怖い方はこっち』『じゃんじゃん叱って欲しい方はこっち』と、入り口を分けられたサイトさんもありました。叱られて萎縮してしまい、書けなくなってしまうのは避けたい。逆に、正直に欠点をズバッと突いてもらえないと不安を感じる人も居る。その両者を別々に固めるのは良い手だなと感心したものです。
ま~~、私は割りと後者なわけですが、それでもガンガン欠点を突くのが前提のところに出せるほど、まだまだ自分の文章に自信を持てない状態でしてね(;^-^)
そんなわけで、そのバランスが取れている場所はないものかと、探してみるわけです。
シリーズを書いている途中の息抜きと言ってしまってはさすがに失礼にあたりますが、とにかく気軽に書けるものを数こなせる場が欲しかったので、最近はこんなサイトさんにお邪魔しておりました。
てきすとぽい
ま~~ね、サイト名のセンスが非常に気に入りまして。(^-^;)
某氏も仰ってましたが、小説でもね、タイトルとか、第一行目っていうのは非常に重要だと思うわけですよ。言いたいことをシンプルに表して、アピール出来なければならない。ファーストインパクトで読む者を惹き込まなくてはならないと思っております。慣れていない方には、作品を投稿する勇気がなかなか出ないものですからね。「書いたテキストを、気軽にぽいっと出しちゃいなYO!!」みたいな、オープンな気風を想像したわけです。
ま、サイト運営者の想いは、本当にそうだったのかもしれません。
しかしまぁ、集まるのは『人間』なわけですからね。しかも書き手が集まるわけですから、特に『熟慮する人間』『知識・造詣の深い人間』『こだわりのある人間』といった、猛者と呼べる方々の団体になるのは当然だったのかもしれませんね。
そして、プロを目指す方や、書籍として既に出してみえる方も混じっています。出版が視野に入りますと、なかなか一筋縄では行かないケースも発生するものですよね。
こんな事件がありました。Twitterのやりとりを集めた『togetter』というもので御覧頂きますが、先に御注意を申し上げておきます。
少々偏った視点による誹謗中傷も含まれています。
『実際に起きた事実』を読み取って下さい。
では。
このホラ吹きがすごい!2013:文芸サイト・てきすとぽいがブラックすぎてむしろ秀逸になってる件w
はい、問題のある言葉も多々、出てきましたけれど、流れを細かく記録したものとしては、ここが最も適してましたので、読まれた方を不愉快にさせる恐れもありましたが掲載致しました。
お金が絡むとさすがに反応が激烈になりますね。
肝要だと私が思う点を、順番にひとつひとつ考えていきましょう。
あくまでも、私個人の見解です。
●作品料・売り上げ 云々
これは、サイト内で企画立ち上げ時の説明文に、出版云々あったと思います。私が最初に過去ログを見た時にはあったはずですが、修正されているのかは判りません。まず、最初に企画主が明示義務を負うべきもので、参加者はそれを隅々まで熟読する前提で投稿すべきもの、というのが私の認識です。
出版の可能性に触れられている時点でこうなる可能性は予見できると思いますので、それを嫌う方は『その企画』に投稿しない方が、お互いに嫌な想いをしなくて済んだのではないでしょうか。企画ごとに主催者の方針は違ってきますので、そこは投稿者が読むべきでしょう。
●運営の責任 云々
私がサイト内を見回った感じでは、おそらく責任を負う立ち位置ではないように思います。
作品というものは、書くだけでは完結しないんですよね。どうしても、読む人間が必要になってきます。実力十分、作品に自信アリという方が出版社の企画に応募しても、実際に読んで下さるのは、たった数人の審査員なのだと嘆かれた方もみえました。より多くの方に読んで頂くためにこういった場所が存在意義を持つわけで、例えてみれば「スポーツしたい人々のために、運動場を作ったよ」というのが運営さんだと思っております。その運動場でサッカーの試合を行ったとして、「さっきのはファウルなのに審判が笛を吹かなかった」と地主にクレームを付けるのは、いささか酷ではないかなと感じましたね^^;
●出版 云々
出版されるのが嫌な方もみえれば、逆に、より多くの方に読んでもらえる出版を歓迎する方もみえるでしょう。
金銭が絡んでこじれた今回、まぁ企画概要の読み零しかなという気もしますけれど、私はどんどんプロの出版社が介入してきてもいいんじゃないかなとも思いますね。もちろん前提として、企画概要で全てを正直に書かれることと、作品群がプロの興味を引くことが必須になりますけれど。
実際にプロを目指す方も参加されてますし、他のサイトさんでも逸材は埋もれていたりすると思います。プロの編集者から見て「この先伸びる」などはある程度判断可能でしょうし、条件さえお互いに納得できれば活発にそういったことが行われてもいいんじゃないでしょうか。
企画概要を参加者がしっかり読んで、把握するのももちろん必須になります。
●文芸サークルか、オープンなサイトか
これ。実はこれなんですよ、今日の記事の眼目は。
私は参加した経験がありませんけれど、文芸サークルといったものはいろんな意味でクローズなのではないでしょうか?
違ったらごめんなさいねぇ(;^-^)
書く側の好みも様々だと思います。重視するのが文章の綺麗さだったり、世界観や人物像だったり、表現力だったり、ミステリーなどのような論理性だったり、感情の琴線に触れるものを求めていたりと、いろんな方がみえるでしょう。そういった好みの似た者が集まったり、作風が影響を受け合ったり、なんてことはありませんか?
また、先ほどの出版云々のような場合でも、似たスタンスの方が集まったりして、そこに安心感を覚えるケースもあると思います。それはそれで、気持ちよく書ける環境なのかもしれませんね。しかし、そこへ先ほどの方みたいに、全く異なるスタンスの方が混じった時にどうなるでしょう? 異分子は『悪』扱いされ、本人もなんか居心地の悪さを覚えたり、或いは怒ってしまったりして去るのではないでしょうか。
そんな感じで、クローズなサークルというのは拡大傾向を辿りにくいと思っております。気持ちよく書けたとしても、やはり、書く側の成長を阻害する環境のようにも感じますね。世界がクローズするというのは、そういった弊害も否めないでしょう。
先ほどのサイトで、こんな企画がありました。
朝の情景コンペ
いやあ、これは非常にテーマの秀逸な、私のイチオシだった企画なんですけれどもね、残念ながら作品数はあまり集まりませんでした。
このサイトでは投票機能というのがありましてね、最近、他でも流行りつつあるようですが、その五段階評価の得票平均値によって順位が決定されます。
ま~~ね、主催者としてはおそらく、作品数が伸びないことにやきもきしてみえたんじゃないかと心中お察し致しますが、主催者自ら三作品を投稿、これが力作揃いでして、一位から三位までを総ナメ致しました。力を見せ付けた感もありますが、ま、主催者ということで優勝は御辞退されました。
となると、繰り上がって優勝は四位の方かと思いましたら、なんと飛び越えて、七位の方を優勝と定められました。
朝の情景コンペ 総括
いやぁ…………私、正直なところ、背中に冷たい汗が滴り落ちた心地でしてね、かなりゾッとしました。ゾクッと言っても良いかもしれません。
投票はやはり、それぞれの個人の好みで決められますんでね、同じ作品でも評価は分かれるでしょうし、評価が低ければ悪い作品かと言えば、そういうものでもないんじゃないかと思っています。低くなっても恨みっこナシよ! という、お互いの好感度の総計といった印象でした。
しかしここで、飛び越えられた四位、五位、六位(七位と得票内容は一致)を評価した『参加者の総意』より、『主催者の好み』が優先されたところに恐ろしさを感じてしまったのです。もちろん運営さんに責のない、独立した企画者の意向でしかないわけですが、「あれっ、もしかして……文芸サークルだったのかしらん?」というのが感想でした。(※私自身も高評価を付けた作品なので、七位の作品の価値を疑っているわけではありません)
まぁ、そもそも投票機能の意義はなんだったのか、という話にもなってきますけれどもね、先日、全く違うサイトさんの企画でいっぱい作品が集まった時に、投票機能の存在が遅れて明らかになったのが、参加者から問題視されていました。また、その投票結果にも疑問が投げかけられていましたね。
今のサイトさんは『競作』という主旨を掲げられて、こうした投票機能を採用されたようなんですが…………さて、参加者にとってその投票機能というのは、一体、どういったスタンスなのか、ちょいと参加者のTwitter過去ログを拝見してみますと――――――
ええっ、そうなの?(;^-^)
うーん、私には正直、よく解らない価値観なのですが……それを励みに頑張っておられる方も多いんでしょうか。
もちろん、他の方もみんなこう考えておられるのかは判りません。
ただ、『一度は投稿した』という方は結構な人数いらっしゃるはずなのに、ここまで稼動が減ってしまったのが残念でしてね。
去られるには、去られるだけの理由がどこかにある、と思うのですが…………某企画で最低得点だった方は、その後、他で精力的に書いていらっしゃるのを把握しております。挑戦を込めて書かれたのが低評価だったようですけれど、それが彼の実力の全てだったとは、私は思っておりません。
『オープンな場』なのか。
それとも『文芸サークル』なのか。
相容れない両極を融合させるのはおそらく困難で、どうしても、どちらかに特化して行かないと難しいように思いますが、何がこういった迷いを生じさせているかと言えば、私は『分母が小さすぎるんじゃないか』と思っております。
人数が増えれば増えただけ、運営さんや企画主さんの苦労も比例して大きくなってしまいますけれど、とにかくもっとたくさんの人数と価値観を吹き込まなければ、いろいろと偏ってしまうでしょうし、企画主さんが複数投稿を余儀なくされることもあるでしょう。
人間だって、いえ動物自体、同族交配を繰り返せば未来は先細りです。違う遺伝子が入ってこなければ、弱いところが成長を阻みますよね。
つまり、ですね。
みんなも、来ない?(^-^;)
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
書きたいことや、ネタはいっぱい貯まっているんですけれどもね!!(;^-^)
ま、置いときまして、昔は小説ですとか、漫画ですとかって敷居が高かったんですよね。どこか、「上手い人が書いて(描いて)いるものであって、自分は読み専だから」みたいにね、一般的には「作品というものは、出てきたものを楽しむものだ」的な意識がフツーだったと思うんですよ。
それが、まぁ、どうしたことか、一般人が『作品の裏』に興味を持つようになりましてね。本来、名前がなかなか表に出てこなかった声優さんが、現在では顔やら経歴やら、随分と表に出てきていますでしょ。需要が高まったせいもありますが、作品の裏に隠れていることの多かった声優陣を、ビジネスとして前面に押し出すようになり、キャストを決める際の判断材料として影響を与えるまでになりました。
また、作品のストーリーに関しましてもね、しきりに『伏線』というワードが飛び交うようになりましたでしょ。昔はそんな言葉、滅多に出てこなかったものでして、ナニカが終わってから「ああ、あれは伏線だったのだな」とか、そんな程度だったはずです。
ところが、ですね。最近ではニコニコ動画なんか、コメントが付きますでしょ。もうね、伏線として言わせた台詞がすぐにバレてしまうんですよねー。「これは伏線だな」「伏線っぽい展開だね」「これ、後でまた出てきそう」みたいなコメントが、リアルタイムで付きます。『フラグ』というワードも同様です。視聴者や読者がシナリオ展開を能動的に読もうとするようになったので、いわゆる『死亡フラグ』なんてものはすぐに見破られてしまい、「嫌な予感がするな……」「あ、こいつ死にそう」のようなコメントが流れます。
それだけ一般に『シナリオについて、考える』人が増えているのが現在なんですよね。王道展開も熟知していたり、キャラの立たせ方も見ていたりしますので、作者にとっては非常に怖い『目の肥えた読者(視聴者)』で溢れているわけです。逆に言えば、自分である程度展開することの出来る層とも呼べるわけで、「それじゃ、書いてみよう」、或いは「書いてみたい」という方は実際に作品を創る側へと足を踏み入れていきます。書きたい人、描きたい人って今、すんごく多いんだよって、その筋の方が仰ってました。(^-^;)
同人活動なども盛況ですよね。東京の大イベントなどは、それに付随して動く二次的な金銭流動も含めれば、国家予算規模の経済効果があると試算した学者さんもみえます。
しかしインターネットの発達した現代、もっと気軽な手もあるわけでして、様々な『小説投稿サイト』が生まれました。
老若男女入り乱れて、匿名で作品を出し合うコミュニティなわけですが、これもなかなか奥が深いです。良いこと、楽しいことである反面、問題が発生するケースも様々にあるんですよね。
まず、基本的に作品を出す側って、いろんな事にビクビクすることが多いです。
他人からの評価、或いは自身による判断に苛まれ、意気揚々と書き上げて出した後になってからいろいろと悩んでしまわれる方をよくお見かけ致しました。おおまかには、褒められて伸びる方と、叱られて伸びる方に分かれます。
そこで、だいたいのサイトさんでは厳しいコメントを控える傾向にあるようです。もうトップページから『叱られるのが怖い方はこっち』『じゃんじゃん叱って欲しい方はこっち』と、入り口を分けられたサイトさんもありました。叱られて萎縮してしまい、書けなくなってしまうのは避けたい。逆に、正直に欠点をズバッと突いてもらえないと不安を感じる人も居る。その両者を別々に固めるのは良い手だなと感心したものです。
ま~~、私は割りと後者なわけですが、それでもガンガン欠点を突くのが前提のところに出せるほど、まだまだ自分の文章に自信を持てない状態でしてね(;^-^)
そんなわけで、そのバランスが取れている場所はないものかと、探してみるわけです。
シリーズを書いている途中の息抜きと言ってしまってはさすがに失礼にあたりますが、とにかく気軽に書けるものを数こなせる場が欲しかったので、最近はこんなサイトさんにお邪魔しておりました。
てきすとぽい
ま~~ね、サイト名のセンスが非常に気に入りまして。(^-^;)
某氏も仰ってましたが、小説でもね、タイトルとか、第一行目っていうのは非常に重要だと思うわけですよ。言いたいことをシンプルに表して、アピール出来なければならない。ファーストインパクトで読む者を惹き込まなくてはならないと思っております。慣れていない方には、作品を投稿する勇気がなかなか出ないものですからね。「書いたテキストを、気軽にぽいっと出しちゃいなYO!!」みたいな、オープンな気風を想像したわけです。
ま、サイト運営者の想いは、本当にそうだったのかもしれません。
しかしまぁ、集まるのは『人間』なわけですからね。しかも書き手が集まるわけですから、特に『熟慮する人間』『知識・造詣の深い人間』『こだわりのある人間』といった、猛者と呼べる方々の団体になるのは当然だったのかもしれませんね。
そして、プロを目指す方や、書籍として既に出してみえる方も混じっています。出版が視野に入りますと、なかなか一筋縄では行かないケースも発生するものですよね。
こんな事件がありました。Twitterのやりとりを集めた『togetter』というもので御覧頂きますが、先に御注意を申し上げておきます。
少々偏った視点による誹謗中傷も含まれています。
『実際に起きた事実』を読み取って下さい。
では。
このホラ吹きがすごい!2013:文芸サイト・てきすとぽいがブラックすぎてむしろ秀逸になってる件w
はい、問題のある言葉も多々、出てきましたけれど、流れを細かく記録したものとしては、ここが最も適してましたので、読まれた方を不愉快にさせる恐れもありましたが掲載致しました。
お金が絡むとさすがに反応が激烈になりますね。
肝要だと私が思う点を、順番にひとつひとつ考えていきましょう。
あくまでも、私個人の見解です。
●作品料・売り上げ 云々
これは、サイト内で企画立ち上げ時の説明文に、出版云々あったと思います。私が最初に過去ログを見た時にはあったはずですが、修正されているのかは判りません。まず、最初に企画主が明示義務を負うべきもので、参加者はそれを隅々まで熟読する前提で投稿すべきもの、というのが私の認識です。
出版の可能性に触れられている時点でこうなる可能性は予見できると思いますので、それを嫌う方は『その企画』に投稿しない方が、お互いに嫌な想いをしなくて済んだのではないでしょうか。企画ごとに主催者の方針は違ってきますので、そこは投稿者が読むべきでしょう。
●運営の責任 云々
私がサイト内を見回った感じでは、おそらく責任を負う立ち位置ではないように思います。
作品というものは、書くだけでは完結しないんですよね。どうしても、読む人間が必要になってきます。実力十分、作品に自信アリという方が出版社の企画に応募しても、実際に読んで下さるのは、たった数人の審査員なのだと嘆かれた方もみえました。より多くの方に読んで頂くためにこういった場所が存在意義を持つわけで、例えてみれば「スポーツしたい人々のために、運動場を作ったよ」というのが運営さんだと思っております。その運動場でサッカーの試合を行ったとして、「さっきのはファウルなのに審判が笛を吹かなかった」と地主にクレームを付けるのは、いささか酷ではないかなと感じましたね^^;
●出版 云々
出版されるのが嫌な方もみえれば、逆に、より多くの方に読んでもらえる出版を歓迎する方もみえるでしょう。
金銭が絡んでこじれた今回、まぁ企画概要の読み零しかなという気もしますけれど、私はどんどんプロの出版社が介入してきてもいいんじゃないかなとも思いますね。もちろん前提として、企画概要で全てを正直に書かれることと、作品群がプロの興味を引くことが必須になりますけれど。
実際にプロを目指す方も参加されてますし、他のサイトさんでも逸材は埋もれていたりすると思います。プロの編集者から見て「この先伸びる」などはある程度判断可能でしょうし、条件さえお互いに納得できれば活発にそういったことが行われてもいいんじゃないでしょうか。
企画概要を参加者がしっかり読んで、把握するのももちろん必須になります。
●文芸サークルか、オープンなサイトか
これ。実はこれなんですよ、今日の記事の眼目は。
私は参加した経験がありませんけれど、文芸サークルといったものはいろんな意味でクローズなのではないでしょうか?
違ったらごめんなさいねぇ(;^-^)
書く側の好みも様々だと思います。重視するのが文章の綺麗さだったり、世界観や人物像だったり、表現力だったり、ミステリーなどのような論理性だったり、感情の琴線に触れるものを求めていたりと、いろんな方がみえるでしょう。そういった好みの似た者が集まったり、作風が影響を受け合ったり、なんてことはありませんか?
また、先ほどの出版云々のような場合でも、似たスタンスの方が集まったりして、そこに安心感を覚えるケースもあると思います。それはそれで、気持ちよく書ける環境なのかもしれませんね。しかし、そこへ先ほどの方みたいに、全く異なるスタンスの方が混じった時にどうなるでしょう? 異分子は『悪』扱いされ、本人もなんか居心地の悪さを覚えたり、或いは怒ってしまったりして去るのではないでしょうか。
そんな感じで、クローズなサークルというのは拡大傾向を辿りにくいと思っております。気持ちよく書けたとしても、やはり、書く側の成長を阻害する環境のようにも感じますね。世界がクローズするというのは、そういった弊害も否めないでしょう。
先ほどのサイトで、こんな企画がありました。
朝の情景コンペ
いやあ、これは非常にテーマの秀逸な、私のイチオシだった企画なんですけれどもね、残念ながら作品数はあまり集まりませんでした。
このサイトでは投票機能というのがありましてね、最近、他でも流行りつつあるようですが、その五段階評価の得票平均値によって順位が決定されます。
ま~~ね、主催者としてはおそらく、作品数が伸びないことにやきもきしてみえたんじゃないかと心中お察し致しますが、主催者自ら三作品を投稿、これが力作揃いでして、一位から三位までを総ナメ致しました。力を見せ付けた感もありますが、ま、主催者ということで優勝は御辞退されました。
となると、繰り上がって優勝は四位の方かと思いましたら、なんと飛び越えて、七位の方を優勝と定められました。
朝の情景コンペ 総括
いやぁ…………私、正直なところ、背中に冷たい汗が滴り落ちた心地でしてね、かなりゾッとしました。ゾクッと言っても良いかもしれません。
投票はやはり、それぞれの個人の好みで決められますんでね、同じ作品でも評価は分かれるでしょうし、評価が低ければ悪い作品かと言えば、そういうものでもないんじゃないかと思っています。低くなっても恨みっこナシよ! という、お互いの好感度の総計といった印象でした。
しかしここで、飛び越えられた四位、五位、六位(七位と得票内容は一致)を評価した『参加者の総意』より、『主催者の好み』が優先されたところに恐ろしさを感じてしまったのです。もちろん運営さんに責のない、独立した企画者の意向でしかないわけですが、「あれっ、もしかして……文芸サークルだったのかしらん?」というのが感想でした。(※私自身も高評価を付けた作品なので、七位の作品の価値を疑っているわけではありません)
まぁ、そもそも投票機能の意義はなんだったのか、という話にもなってきますけれどもね、先日、全く違うサイトさんの企画でいっぱい作品が集まった時に、投票機能の存在が遅れて明らかになったのが、参加者から問題視されていました。また、その投票結果にも疑問が投げかけられていましたね。
今のサイトさんは『競作』という主旨を掲げられて、こうした投票機能を採用されたようなんですが…………さて、参加者にとってその投票機能というのは、一体、どういったスタンスなのか、ちょいと参加者のTwitter過去ログを拝見してみますと――――――
ええっ、そうなの?(;^-^)
うーん、私には正直、よく解らない価値観なのですが……それを励みに頑張っておられる方も多いんでしょうか。
もちろん、他の方もみんなこう考えておられるのかは判りません。
ただ、『一度は投稿した』という方は結構な人数いらっしゃるはずなのに、ここまで稼動が減ってしまったのが残念でしてね。
去られるには、去られるだけの理由がどこかにある、と思うのですが…………某企画で最低得点だった方は、その後、他で精力的に書いていらっしゃるのを把握しております。挑戦を込めて書かれたのが低評価だったようですけれど、それが彼の実力の全てだったとは、私は思っておりません。
『オープンな場』なのか。
それとも『文芸サークル』なのか。
相容れない両極を融合させるのはおそらく困難で、どうしても、どちらかに特化して行かないと難しいように思いますが、何がこういった迷いを生じさせているかと言えば、私は『分母が小さすぎるんじゃないか』と思っております。
人数が増えれば増えただけ、運営さんや企画主さんの苦労も比例して大きくなってしまいますけれど、とにかくもっとたくさんの人数と価値観を吹き込まなければ、いろいろと偏ってしまうでしょうし、企画主さんが複数投稿を余儀なくされることもあるでしょう。
人間だって、いえ動物自体、同族交配を繰り返せば未来は先細りです。違う遺伝子が入ってこなければ、弱いところが成長を阻みますよね。
つまり、ですね。
みんなも、来ない?(^-^;)
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
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