今日はですね、Twitter上で起こったお話です。
ハッシュタグって、ありますでしょ。頭に『#』を付けた言葉でして、それをクリックすると、同じ『#』付きの他人の発言がずらーっと出てくる、一種の検索機能ですね。
こういうヤツです。
いや、発言は気にしないでください^^;
#から続く、青い文字列ですが、これを文頭に置いたり、文末に置いたりします。文中でもOK,一般的には文末で使われます。
まぁ、そこでですね、Twitterで創作クラスタと言われる『物書きさん』を広く集めるタグが、いくつか存在するわけなんですけれども、例としてはこんな感じです。
これは、とにかく広く書き手を集める、グローバルタグと言っていいと思います。
それに類するものではありますが、フォロワー間(要は相手を知っていて、ある程度世界を共有し慣れている相手と)で書き合うハッシュタグもいくつか存在するようでして、それを不定期で「どうですか」とアナウンスされた方が、思わぬリアクションを受けられて、つい愚痴をこぼしてしまったんですよ。
曰く、
「フォロワーでもない知らない人が、黙ってこのタグを使うのは不躾だ。正直怖い」(意訳)
ということなんですが、不定期にこちらの方がツイートされるアナウンスに、そういった文言は無かったわけです。
「とにかく貪欲に、一人でも多くの書き手を集めたい」という御趣旨かなと、私個人は解釈致しましてリツイート(拡散)させて頂いたわけですが、どうもそういう想いではなさそうです。
先程のbotのアナウンスでも、注意事項が不定期に挟まれていました。
まぁ、この方とお話させて頂いた中で
「あのタグは、一言挨拶を交わす習慣があるのだから『別』だ」
と仰ったわけですが、なぜ習慣として交わされるかと言えば、もちろん
『初めて見る・使う人、慣れてない人が周りと上手に付き合えるよう、目安を広く示した』
という一点に尽きると思うわけです。
それまでAさん、Bさん、Cさん(三者相互フォローとします)が使っていたタグを、Aさんが「これ、どうですか」と呟かれて、もちろんネット上のことですからフォロワー以外の目にも止まって、全く縁の無かったDさんがそのタグを使ったとします。
そこでA、B、Cさんが「あいつ、不躾だよねー」と愚痴るのは、あまりにも身勝手な気が致します(私個人の見解)。
これは、Twitterとして現時点の限界とも言えますが、鍵付きのアカウントでもない限り、呟けば・タグを使えばオープンとなりますので、「どうですか」と呼びかけた時点でA、B、Cさん以外からのリアクションは想定に入って然るべきですし、慣例として何か交わすべきだと三者で(暗黙でも)定めていらっしゃるならば、アナウンスにその一文を入れる事は、相手も自分も気持ちよく創作を楽しむ為に必須と言えるはずですよね。現に、知らない方がそのタグを使われたことでAさん(仮)は「怖い」と仰っています。
またですね、それが創作者同士で「シェアワールド(共同で題材として使う仮想世界)」として楽しみたいのならば、やはり部外者(語弊ある表現ですが)に向けて、ある意味牽制とも言えるアナウンスは必要ですし、普通そういった想いは発生すると思うんですよ。
実際、アイドルマスターの二次創作として、動画やSS(小説)を楽しむ中で、そういったシェアワールドもあります。
こんなのです。
『偶像町幻想百景』
こちらのシェアワールドについては、私がニコニコ大百科と、Pixiv百科事典を書かせて頂きました。
偶像町幻想百景 ニコニコ大百科
偶像町幻想百景 Pixiv百科事典
御覧のように、シェアワールドの原作者より
「この一文を、どうか載せて頂けないでしょうか」
と、意思表明を受けて、記事の中に挿入させて頂きました。
私個人の見解ではありますが、
『本当に自分の世界に思い入れがあるならば、当然こういった想いを外に向けて明示するであろう』
と信じて疑いません。それが、自分(たち)の世界に対して『責任を負う』という事だと思っていますし、間違ってもそれを怠った上で反感を覚えるというのは、私にとって全く理解の範疇を超えています。
まぁ、後は…………どうも排他的・閉鎖的な空気を感じたのも悪印象でした。
ついでに言っちゃえば………………「フォローしろよ」と遠まわしに要求してみえるようにも感じて、私はそういうのヤかな、と。
あくまでも全て、私個人の考えですので、人によって「そんなことないよ」って仰るとは思います。
皆さんはどうなんでしょうかね?
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
ハッシュタグって、ありますでしょ。頭に『#』を付けた言葉でして、それをクリックすると、同じ『#』付きの他人の発言がずらーっと出てくる、一種の検索機能ですね。
こういうヤツです。
いや、発言は気にしないでください^^;
#から続く、青い文字列ですが、これを文頭に置いたり、文末に置いたりします。文中でもOK,一般的には文末で使われます。
まぁ、そこでですね、Twitterで創作クラスタと言われる『物書きさん』を広く集めるタグが、いくつか存在するわけなんですけれども、例としてはこんな感じです。
これは、とにかく広く書き手を集める、グローバルタグと言っていいと思います。
それに類するものではありますが、フォロワー間(要は相手を知っていて、ある程度世界を共有し慣れている相手と)で書き合うハッシュタグもいくつか存在するようでして、それを不定期で「どうですか」とアナウンスされた方が、思わぬリアクションを受けられて、つい愚痴をこぼしてしまったんですよ。
曰く、
「フォロワーでもない知らない人が、黙ってこのタグを使うのは不躾だ。正直怖い」(意訳)
ということなんですが、不定期にこちらの方がツイートされるアナウンスに、そういった文言は無かったわけです。
「とにかく貪欲に、一人でも多くの書き手を集めたい」という御趣旨かなと、私個人は解釈致しましてリツイート(拡散)させて頂いたわけですが、どうもそういう想いではなさそうです。
先程のbotのアナウンスでも、注意事項が不定期に挟まれていました。
まぁ、この方とお話させて頂いた中で
「あのタグは、一言挨拶を交わす習慣があるのだから『別』だ」
と仰ったわけですが、なぜ習慣として交わされるかと言えば、もちろん
『初めて見る・使う人、慣れてない人が周りと上手に付き合えるよう、目安を広く示した』
という一点に尽きると思うわけです。
それまでAさん、Bさん、Cさん(三者相互フォローとします)が使っていたタグを、Aさんが「これ、どうですか」と呟かれて、もちろんネット上のことですからフォロワー以外の目にも止まって、全く縁の無かったDさんがそのタグを使ったとします。
そこでA、B、Cさんが「あいつ、不躾だよねー」と愚痴るのは、あまりにも身勝手な気が致します(私個人の見解)。
これは、Twitterとして現時点の限界とも言えますが、鍵付きのアカウントでもない限り、呟けば・タグを使えばオープンとなりますので、「どうですか」と呼びかけた時点でA、B、Cさん以外からのリアクションは想定に入って然るべきですし、慣例として何か交わすべきだと三者で(暗黙でも)定めていらっしゃるならば、アナウンスにその一文を入れる事は、相手も自分も気持ちよく創作を楽しむ為に必須と言えるはずですよね。現に、知らない方がそのタグを使われたことでAさん(仮)は「怖い」と仰っています。
またですね、それが創作者同士で「シェアワールド(共同で題材として使う仮想世界)」として楽しみたいのならば、やはり部外者(語弊ある表現ですが)に向けて、ある意味牽制とも言えるアナウンスは必要ですし、普通そういった想いは発生すると思うんですよ。
実際、アイドルマスターの二次創作として、動画やSS(小説)を楽しむ中で、そういったシェアワールドもあります。
こんなのです。
『偶像町幻想百景』
こちらのシェアワールドについては、私がニコニコ大百科と、Pixiv百科事典を書かせて頂きました。
偶像町幻想百景 ニコニコ大百科
偶像町幻想百景 Pixiv百科事典
御覧のように、シェアワールドの原作者より
「この一文を、どうか載せて頂けないでしょうか」
と、意思表明を受けて、記事の中に挿入させて頂きました。
私個人の見解ではありますが、
『本当に自分の世界に思い入れがあるならば、当然こういった想いを外に向けて明示するであろう』
と信じて疑いません。それが、自分(たち)の世界に対して『責任を負う』という事だと思っていますし、間違ってもそれを怠った上で反感を覚えるというのは、私にとって全く理解の範疇を超えています。
まぁ、後は…………どうも排他的・閉鎖的な空気を感じたのも悪印象でした。
ついでに言っちゃえば………………「フォローしろよ」と遠まわしに要求してみえるようにも感じて、私はそういうのヤかな、と。
あくまでも全て、私個人の考えですので、人によって「そんなことないよ」って仰るとは思います。
皆さんはどうなんでしょうかね?
←例のアレです!! お気が向かれましたら。
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