臨川寺のお庫裏です
92歳の母との別れのお話です
いよいよ葬儀です
よかったらお付き合いください
葬儀の当日は
開始までは割とゆっくりですが
早めに準備をして待ちました
今回は身内だけの葬儀なので
香典はお断りして
供花は手向けとしてありがたくちょうだいしました
おかげさまでお花がいっぱいです
正午
あっという間に葬儀の時間です
おっ様ひとりで執り行いました
昔なら
チンボンジャランといって
チン・・・引磐(いんきん)おりん
ボン・・・太鼓
ジャラン・・・繞鈸(にょうはち)シンバルみたいなもの
3人もしくは6人の和尚さんが
この楽器をならしてました
コロナ以降は
どんどん簡略化やら最小化されることが増えて
現在では導師おひとりでの葬儀が
定番になりつつあります
宗派によっては違いますが・・・
娘の夫であるおっ様に引導を渡されて
母も喜んでると思います
そろそろ出棺の準備です
蓋を外してもらって
お花をいっぱい手向けました
たくさんいただいたので母の周りは花まるけです
生前塗り絵が大好きだったので
数冊の塗り絵帳と御朱印帳を持たせました
そして3枚の写経もね
午後1時出棺
のはずが・・・
霊柩車が到着してない
時間が余ってしまいましたが
その間
孫である姪っ子達がせっせとお花を手向けてました
すっかり顔とお花しか見えません(笑)
きっと少しでも長く
みんなと一緒に居たかったのかもですね
雨が降る中、霊柩車が到着
本堂内は女性だけで棺を運んで
外では男性だけで霊柩車まで運びました
家族葬や親族葬では男性も少なく
今回は3人だけ
(これ、これからの葬儀での課題です)
葬儀屋さんにも手伝ってもらい
なんとか納めれました
喪主の兄だけ霊柩車に同乗して
あとは各々の車で火葬場まで行きました
火葬場に着くと時間との闘いです
時間が決まっているので
遅れるわけにはいきません
おっ様の読経の中、本当に最後のお別れです
もう一度顔を見たらすぐに炉の中へ・・・
入りきってドアが閉まるまで
しっかり見届けました
点火のボタンは
喪主が押すか係員の方が押すか選択できますが
家族はやっぱり押せませんよね
なので係員の方にお願いしました
午後3時20分に収骨
その間に待合室で
遅い昼食となった仕上げのお弁当をいただきます
その頃お寺では
葬儀屋さんやお花屋さんの片付けが始まります
今回はお寺関係者が留守にはできないので
親戚の方おふたりにお留守番をお願いしました
その方達用にお弁当をお届けしてから
私は慌てて昼食です
そして収骨のアナウンスが入ったのでそちらへ
すっかり遺骨になってしまった母です
先にも書きましたが
歯が丈夫だったので歯がたくさん残ってました
喉仏も座した仏様の姿がキレイに残ってました
長患いしてないのでけっこうしっかり残ってます
骨壺のサイズに合わせて遺骨を収めていきます
昔は
竹と木の箸を使って
2人で1つのお骨を拾いましたが
現在は箸自体が竹と木で出来ているので
2本とも同じ素材の箸なので挟みやすく
2人で拾うということはしないようです
どんどん簡略化されていきますね~
この2人で1つのお骨を拾うため
普段の食事の時はそれをやってはいけない
と、いう理由がわからなくなっていくんです
湯灌の水にお湯を注ぐのも然りです
ちょっと考えてしまいますね・・・
収骨で気になったこと
コの字の針やネジビスがいっぱい落ちていて
これは何?
さすがにその場では聞けず?????でした
後で検索してみたら
どうも棺に使ってあるものらしいです
家族も気になっていたようでした
遺骨を抱えて寺へ戻って初七日法要です
本堂はすっかり片付けられていました
お時間のある方だけでの法要でした
こうして一連の母との別れも
無事済ませることが出来ました
家族みんなお疲れ様でした
余談ですが
骨壺の外箱に驚きでした
真っ白の山型が通常でしたが
今回のは黒字に銀色の模様です
なんてオシャレな~
最初置いてあった時に一瞬わかりませんでした
確認したら骨壺だと・・・
今回はホントに驚きがいっぱいです
写真の骨箱は中身を入れる前なので
ご安心ください
母との別れですが
私の想いについては明日書かせていただきます
今日はここまでです
私たちの頃はどんな棺に入れてもらえるかしら~樽?
ほぼ大往生の年齢だったから結果オーライかなと。
これからは故人の遺志をくんだ葬儀になっていくんでしょうね。
いいのか悪いのかはわかりませんが・・・
お庫裏でした