臨川寺のお庫裏です
6日間にわたり
母との別れをお話ししてきました
お付き合いくださった皆様ありがとうございました
最後に
今回の私の想いです
子供の頃はお母ちゃん子で
母の姿が見えないと「おかぁちゃんは?」と
必ず聞く子でした
買い物にもいつもお伴してました
そんな母との別れが来たらどうなるのかと思ってました
おっ様にも
「号泣するかと思った」と言われたほどです
90歳を越えた頃からか
いつお別れが来てもおかしくないなぁと
常に感じてました
腰痛で車椅子生活ではありましたが
いたって元気で
頭もしっかりしてた人でした
急に老衰で
逝っちゃうかもしれないなぁとも思ってました
実際には
膵臓ガンが発覚し2週間ほどで逝きましたが
葬儀とかの準備の時間や
心の準備の時間を
作ってくれたと思ってます
また長患いもなく家族孝行をしてくれました
近所の施設で暮らしてましたが
コロナもあったりで
数ヶ月に1度程度の面会しか行ってませんでした
元気で暮らしていたので
その時は安心していた感じです
淡々としていた母なので
たぶんさほど気にもしていなかったと思います
さすがに病気が発覚してからは
心細いだろうと思い
ほとんど毎日通いました
昏睡状態で息を引き取るまでに私1人になる時があり
母は意識も無くなってましたが
聴覚は最後まであるということだったので
その時に感謝の言葉を伝えました
そんなこと未だかつて(結婚の時も)
1度も言ったことありませんが
そこで最後のお別れが
きちんと出来たと思ってます
そしてしっかり泣きました
湯灌では
体を綺麗に浄めてもらい
美しく着付けてもらい
オシャレにしてもらい
うれしそうな顔に見えた母でした
人と同じ事を好まない母らしく
ピンクがメインのお花で飾った祭壇
ピンクの棺
白装束も紫の重ね衿や枕元の紫のお花
なぜか
見送れる準備が完璧に整った感じがしました
通夜や葬儀、出棺の準備の時も
多少は泣けましたが
自分でも不思議なくらい落ち着いてました
息を引き取る時
火葬炉に入る時
すべてちゃんと見届けました
すべてちゃんと見守りました
もちろん
ふとした瞬間に思い出すと涙は出ますが
悲しみにくれるようなことはありません
考えてみるに
生前中にきちんとお別れが出来たこと
母をしっかり見送れたという安堵感
それが悲しみに勝っているような気がしています
2023年3月1日 母とおっ様と私
3人での写真はこれが最後でした
2024年8月13日
兄家族全員と臨川寺で大好きなピザを食べたのが
最後の会食となりました
この時に集合写真を撮っておけばよかったと・・・
唯一の心残りです
皆さんもご両親が高齢になってこられましたら
集合写真を撮っておかれるといいですよ
人によって捉え方も考え方も違うので
否定される方もいらっしゃると思いますが
今の私の想いを残しておきたいと思い
綴らせていただきました
長きに渡りありがとうございました
この2週間
りん坊とおせんちゃんは
たぶん変な空気を感じていたと思いますが
空気を読んでお利口にしていてくれました
とてもいい子達です
ありがとうね~
お疲れ様でした。お庫裏さん(初めて呼ぶわ(笑))の色白さん美肌はお母様譲りなんだね。
最近思うんです。
亡くなって体は無くなっても側にいるんじゃないかな。って。
あちらの世界ってのはあって、自分が亡くなった時会えるんだろうな。って。
あ。私の母は存命ですけどね(笑)