下記の記事をデイリー新潮オンライン様のホームページからお借りして紹介します。(コピー)です。
新時代の到来である。認知症は「不治の病」――。そう言われていたのも今は昔。世界五大医学誌に掲載された論文が昨年改訂され、なんと発症リスクは40%も下げられることが明らかに。認知症予防の第一人者が、自らも実践する「五感トレーニング」を解説する。
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「認知症を防げるわけがない。認知症の予防だなんて不謹慎だ!」
私が医師になった1980年代、認知症はタブー視されていました。実際、私が学生の頃の教科書には、認知症は治らない病気と書かれていました。そのためか、言葉は非常に悪いのですが、認知症になった人は「気狂い」扱いされていたのです。
認知症をあれこれ言うのは禁忌。そうした空気が変わってきたのは、20年ほど前、認知症薬の「アリセプト」が出てきた頃からだと思います。以降、学術的なエビデンスを伴った認知症研究が進み、「認知症は予防や対処ができる」という認識が広がっていったのです。
その流れを決定づけたのが2017年、最も権威のある世界五大医学誌のひとつ「Lancet」に、英国ロンドン大学の教授らが「生活習慣などを改善することで認知症の発症リスクを35%下げられる」という研究論文を発表したことでした。そして現在も、認知症に関する研究は日進月歩で進んでいて、20年には先の論文が改訂され、認知症の発症リスクは40%まで下げられることが明らかになっています。
2025年に認知症患者は約700万人に
〈こう解説するのは、鳥取大学医学部教授で日本認知症予防学会理事長を務める浦上克哉氏だ。浦上教授は17年に、鳥取県と共同で「とっとり方式認知症予防プログラム」を開発。このプログラムの有効性を実証する論文が発表され、注目を集めた。
これまでに認知症専門医として診察してきた患者の数は、実に13万人以上。まさに斯界の第一人者である。〉
「たかが40%」と思う人もいるかもしれません。しかし私は、これはとても大きな数字だと考えています。
厚生労働省の資料によれば、日本では2025年に認知症の人が約700万人になると予測されています。これは高齢者の5人に1人が認知症になることを意味します。しかし、先の「Lancet」論文に基づけば、700万人の40%、つまり280万人が認知症を発症しなくて済み、高齢者の8人に1人まで認知症の人を減らせることになる。やはりこれは社会的に非常に大きなことだと思うのです。
もちろん、何もせずに40%減らせるわけではありません。「Lancet」論文には、「12の認知症リスク因子」がこう紹介されています。
(1)難聴
(2)社会的孤立
(3)抑うつ
(4)喫煙
(5)大気汚染
(6)高血圧
(7)糖尿病
(8)肥満
(9)運動不足
(10)頭部外傷
(11)過剰飲酒
(12)教育歴(知的好奇心の低さ)
リスク因子を排除する三つの習慣
これらのリスク因子を取り除くことができれば、「40%」を実現できるのです。そしてこの12の因子は、「三つの習慣」に気を配ることで排除が可能になります。それは次の三つです。
A 運動
B 知的好奇心
C コミュニケーション
Cのコミュニケーションを上手くできれば社会的孤立(2)や抑うつ(3)は改善されますし、Aの適切な運動を行っていれば肥満(8)や足腰の衰えによる頭部外傷(10)を防げるといった具合に、12の因子を減殺できるわけです。
こうした予防対策は、ついさっき言ったことを忘れてしまうといった記憶障害や、今日が何月何日だか分からない見当識障害などの症状が見られるMCI(軽度認知障害)の人にとりわけ有効です。MCIは、すでに認知症になった人と違い、まだ元に戻れるリバーシブルな状態。しかし同時に、何も対策をとらないでいると認知症を発症する可能性が高くなります。
MCIになると、例えば「今日はあそこに行って、あれをして……」と計画を立てて行動することに支障が生じるようになります。どこかに行こうとしても忘れてしまい、目的地と反対方向の電車に乗り、2~3時間で済むはずの用事に丸1日かかってしまったという人がよくいます。すると、家にいたほうが楽だということで出不精になる。出掛けなければ外部からの刺激が減り、よりMCIが進行し、ますます出不精になって……という悪循環にはまってしまうのです。
運動、そしてグレープフルーツが有効なワケは……(他の写真を見る)
難聴対策が重要
そうならないためには、やはりMCIやそうなる前の段階で、放置せずにしっかりと予防対策を行い、それ以上の症状に進ませないことが極めて重要です。
では、三つの習慣に気をつけるにあたり必要なことは何でしょうか。それは五感を衰えさせないことです。例えば、視覚が衰えれば知的好奇心を満たす読書のような趣味はしにくくなってしまいますし、聴覚が衰えれば円滑なコミュニケーションが難しくなります。
MCIになった時に、最初に衰える五感は何かといえば、意外にも嗅覚です。加齢に伴う嗅覚の衰えにより、嗅神経は記憶を司る海馬や情動を司る扁桃体と繋がっているため、これらへの刺激が少なくなり、その結果、海馬や扁桃体が弱まって記憶障害などが進行してしまうのです。
嗅覚は、「におい比べ」などによって鍛えることができます。例えば、みかん、ゆず、グレープフルーツの三つの柑橘系果物を用意し、目をつぶった状態で嗅ぎ分ける。これはまだ健常な人が嗅覚の衰えをチェックするのにも適した方法です。また、ローズマリーカンファー(樟脳(しょうのう))やレモンの香りが、認知機能の回復に最も効果があることも分かっています。
そして、「Lancet」論文で12のリスク因子が明らかにされて以降、現在、認知症予防において最も注目されているのが難聴(聴力低下)対策です。それまで、認知症の専門家の間でも難聴対策はそれほど重要視されていませんでした。実際、聴力は視力に比べて軽視されている印象がありませんか? 人間は感覚の8割を視覚に頼っているといわれています。そのため、視力が低下してくれば眼鏡などで矯正するのが当たり前になっています。
「休める」「使う」
一方、聴力はどうでしょうか。加齢とともに耳が遠くなるのはごく自然なことであると同時に致し方ないこととして、放置する傾向が強いのではないでしょうか。事実、眼鏡と違い、補聴器はかなり耳が遠くなってからするものという認識が強いように感じます。
しかし、「Lancet」論文で難聴は12の認知症リスク因子のひとつであることが分かりました。目と同等に、耳の衰えにも気をつける必要があるわけです。聴力の低下は、その現象自体が喜ばしい事態ではありませんが、それに留まらず、三つの習慣のひとつであるコミュニケーションを妨げます。聴力が低下すると人の言葉が聞きとりにくくなるので会話の輪に入りづらくなる。会話が億劫になれば他人との接触も面倒くさくなり社会的孤立に陥る。つまり、12のリスク因子のひとつである難聴(1)が、もうひとつのリスク因子である社会的孤立(2)を招いてしまうのです。したがって、認知症を防ぐためには早め早めに補聴器をつけることをお勧めします。
このように認知症予防にとって重要な聴力は40代から衰え始めます。まず高音から聞こえづらくなり、60代になるとそれに低音が加わり、生活音も聞こえにくくなってしまう。そして、75歳以上になると約7割の人が難聴になるといわれています。
このことから分かるように、聴力の衰えを防ぐためには補聴器以前の対策も重要になります。ポイントは耳を「休める」ことと同時に「使う」こと。どちらかだけでなく、両方をともに実践することが大切です。今の若い人たちはイヤホンで大音量の音楽を聴いたりしていますが、これは「耳の将来」を考えると非常に危険だと思います。たまには耳栓をし、完全に音をシャットアウトして耳を休ませることが必要でしょう。
悪口がよく聞き取れる理由
使うトレーニングとしては、本の音読などが効果的です。自分の声を自分で聞くとともに、口を動かすことでその周りの筋肉を動かす複合的な効果も期待できます。他には、散歩中の音の聞き分けトレーニングも有効です。普段は聞き流してしまう何気ない音を、それが鳥の鳴き声なのか、猫の鳴き声なのかを意識的に聞き分けることで聴力の低下を防ぐことができます。
ちなみに、耳が遠い高齢者でも、自分の悪口だけはなぜかよく聞き取れるという話をよく聞きませんか? これは気のせいではないと私は思っています。先ほど触れたように、聴力の衰えは高音から始まり、徐々に低音に広がっていきます。そして、悪口はだいたいヒソヒソ声で話すため、声のトーンが低くなる。そのため、高齢者でも低音の悪口が聞こえてしまうのでしょう。
さて、視覚も聴覚と同じで、休めることと使うことの両方が大切です。テレビやスマートフォンをずっと見て使うだけでなく、遠くのものを見て目を休ませる。また、聴覚と同じように、意識的に見分けることにも効果があります。外出の時に花の色の違いに注意したり、友だちの髪型の変化や服の違いを意識するのもいいでしょう。
運動、知的好奇心、コミュニケーションという三つの習慣は、聴覚や視覚に頼るところが大きい。つまり、聴覚や視覚が衰えてしまうと、認知症予防対策を始めることさえ難しくなってしまう。したがって、聴覚と視覚のトレーニングは極めて重要なのです。
私自身も、三つの習慣を意識して生活しています。
運動する時間はなかなかとれていませんが、例えば目的地の最寄りではなく、少し離れた駐車場に車を駐めてそこから少し歩く。エレベーターやエスカレーターは使わない。知的好奇心とコミュニケーションは、研究や臨床を続けているので何とかなっていますが、その他にはアロマを嗅いだりして嗅覚を衰えさせないようにしています。
対策は「長距離走」
私が実践していることは、いずれも些細なことだと思われるかもしれませんが、それでいいのです。なぜなら、認知症予防は20年、30年継続する「長距離走」だからです。続けられなければ意味がありません。実際、65歳以上の方にとって過度な運動はむしろ健康に悪いといわれています。過度な有酸素運動によって筋肉が分解されて筋肉量が減ってしまい、足元がおぼつかなくなったりして危険な転倒などにつながりかねないからです。転んで頭を打ってしまえば頭部外傷(10)となり、逆にリスク因子を増やしてしまいます。骨折して寝たきりになってしまっては本末転倒です。
長距離走である認知症予防は、本来は40代から50代で始めることが望ましい。日本人に一番多いアルツハイマー型認知症は、脳の中にアミロイドβタンパクというタンパク質が溜まることで発症します。このアミロイドβタンパクが溜まり始めるのは、認知症発症の20~30年前です。そして、MCIが最も発症しやすいのは65歳から75歳。つまり、遡って考えると40代から認知症予防を始めても全く早くはないのです。
とはいえ、40代で認知症予防をしようという人はそういないのが現実でしょう。まだ「我が事」として考えにくい。そういう人は、自分が認知症予防を始めることで、その体験を自分の親の認知症予防や、早期発見に役立たせることができると考えるのがいいのではないでしょうか。
いずれにしても、40代、50代への認知症予防啓発が、高齢化に歯止めがかからない日本にとって、とても重要になってくると思います。アミロイドβタンパクが溜まり始めているという意味では、40代、50代の人にとって認知症は他人事ではなく我が事なのです。もちろん、60代、70代、あるいはそれ以上の高齢者にとっても、三つの習慣を意識することが、認知症予防と症状の進行を遅らせることにつながるのは言うまでもありません。
コロナによる悪影響
ここまで認知症予防について説明してきましたが、改めてそもそも認知症とは何なのかを考えてみたいと思います。
私は、認知症とは人間特有の病気であり、人間らしい活動が困難になる病気だと考えています。三つの習慣である知的好奇心やコミュニケーションは、まさに人間の活動を象徴するものです。それが困難になるのが認知症です。「食べる」「寝る」といった本能的、動物的な行動は、意外と最後までできるもの。そうした動物的行動ではなく、人間的活動を充実させることが、そのまま認知症予防対策につながっていくのです。
とりわけ、コミュニケーションこそが最も人間らしい活動といえると思います。ところが、コロナ禍によりコミュニケーションをはじめ、運動も知的好奇心を向上させることも難しくなっています。この疫禍によって認知症の症状が進行してしまう人が多いのではないかと危惧しています。
しかし、超高齢社会である日本は「認知症先進国」であると考えることもできます。コロナ禍だからこそ、みんなで些細なことの継続である認知症予防の実績を積み上げ、その成果を世界に発信していければと考えています。
浦上克哉(うらかみかつや)
鳥取大学医学部教授・日本認知症予防学会理事長。1956年生まれ。鳥取大学医学部卒業。同大学の脳神経内科勤務等を経て、2011年に日本認知症予防学会を設立。認知症予防の第一人者として、NHKの「あさイチ」等、多くのメディアに登場している。
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